人生の後悔を死ぬ間際の人に聞きました
みたいな話が自己啓発にはよくあって、その回答として、
働き過ぎなければよかった
もっと好きなことをやればよかった
みたいなものが出てきたから、
これに影響を受けて、
「俺は好きなようにやる」
みたいな人がいる。
まず、言っておくけど、人生を振り返って、
「後悔」
とか言ってる話は、全て、無意味。
例えば、失敗した人間は、失敗をもたらした脳みそで過去を振り返って
「ああすればよかった」
と言ってるのだが、まずその後悔の内容が無意味。
意味なし。
君は、人を殺した人間の、
「反省しています、もうやりません」
を信じるのか?
もし、人生の反省を40歳くらいでして、後悔すれば、
その先30年でそれを生かして挽回できるはず。
つまり、
- 反省した
- 後悔した
と言ってる人間で、それを踏まえて、未来に活かして、実績を獲得した(修正軌道に乗った)人間以外の後悔は、
無意味・無価値
である。
ババアになって、
「もっと勉強すればよかった」
と言ってるババアは人生やり直しても勉強しない。
とにかく、
「たられば」
のやつはやらない。
私は、
高校の時、もっとJKと遊べばよかった
と後悔した。20代後半になって強烈に後悔した。
だからそこから、猛烈にアンチエイジングをして、そこからJKとやりまくっている。
かなりやばい「不審者」だろう。
しかし、本当に後悔したら、人間、これだけやるのである。
〜すればよかった
というやつは絶対やらない。
失敗者の脳みそで考える後悔で、
しかもその後悔をベースに未来修正のために行動をして
実績を得なかった後悔は戯言。
やる気も効力もなし。
だから、ダメなおじさん・おばさん、人生末期のおじいさん・おばあさんの後悔の話を聞いて回るだけ無駄。
今の旦那じゃなくて、他の男と結婚すればよかった
と後悔しているババアなんて、人生やり直したところで、もっとひどい男と結ばれている可能性は高い。
人間は、その時その時で、
「ベストだろう」
と思われる選択を必死に紡いで今日に至っているので、
人生をやり直したところで、
「今より悪くなる確率」
の方が高いのである。
さまざまな事情で、
「〜したかったけど、できなかった」
という人の場合は、
後悔の弁は正確には
「〜したかったけど、できなかった、それはAという状況があったから。その状況を捨てたらできたかもしれないけど、また別のBを失っていただろう」
とか、
「〜したかったけど、できなかった。Aという状況が生まれながらにあった。だから、やり直すためには違う環境で生まれる必要があっただろう」
とかになるはずだ。
振り返りや後悔、反省が正確ではない人間は、何度やり直しても同じことやるから無意味である。
それから、
例えば今、生きてる人間で、
1ヶ月、ご飯も水も食べない・飲まない
を選択すれば死ぬだろう。
酸素がない空間なら10分経たずに死ぬだろう。
命・人生は、こうやって簡単に途絶える。
そして、そういう
「失ったら終わるもの」
を人は軽視する。
その上で、人生の晩年になって
もっと好きなことやればよかった
などとほざくのである。
しかし、その渦中では、食っていくために、生活のために、必死だったはずである。
要するに、くだらない呑気なことを言えるのは、
乗り切ってきたからである。
もし、車で事故に遭って、下半身を失っていたら、
車に乗らなきゃよかった
などと言ってるはずだ。
上の年代にインタビューして、
「人生どうすればよかったと思いますか?」
みたいなことを聞いて回るみたいなのは、正直、意味がない。
就活でOBOGに話を聞くとか、
社員口コミを調べるとか、
大学受験で合格体験記を聞く、ぐらいなら参考になるだろう。
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SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。