ダウンタウンから学ぶ才能と努力。芸能界に「努力」は存在しない。一体、才能とは、努力とは何なのか?僕たちはどこで諦めるべきか?

 

ビートたけし、明石家さんま、タモリ、いわゆるお笑いBIG3は、「努力」を否定している。

そして、ワイドナショーにおいて、松本人志もBIG3のスタンスに同調し、

この世界(芸能界)は努力ではない

と語った。

ちなみに島田紳助も、

努力してる若手はアホちゃうか?と思う

と完全に同調している。

さらにとんねるずは、「自分達は運が良かった」と語り、努力の重要性を語る事がないし、そもそも下積みの経験すら一切ない。

 

 

結論から言うと、私は芸能界の成功者は、

  1. 圧倒的才能で上がってきたタイプ
  2. 企画で上がってきたタイプ
  3. 話題性で上がってきたタイプ

の3種類に分けられると思う。

 

言うまでもなく、ダウンタウンは「1」である。

 

ダウンタウンはNSCの一期生であるが、当時のダウンタウンを観た

  • 島田紳助
  • オール巨人
  • 明石家さんま

が、「一組だけすごい奴らがいるな、あいつら絶対売れるわ」と完全に意見が揃ったという。

島田紳助に至っては、あまりにもダウンタウンが凄すぎて、後に比べられたら敵わないという理由で即刻漫才をやめている。ダウンタウンと同じフィールドに立たされることを避けるためである。

 

また、同期であるハイヒールも、

ダウンタウンを見た瞬間に1位にはなれないとわかった、同期はみんなそう思った

と語っている。

 

 

スポーツでも芸能でもサラリーマンの世界でも、そういうのは必ずある。

「最初からずば抜けている奴」。

サッカー日本代表の久保建英なんかは9歳くらいから全国区だし、子供の頃に長友佑都と撮影した写真まで出回っている。そして、時の流れを経て、同じ日本代表としてカタールで戦ったのだ。

 

一方で、その反対に、

「企画で上がってくる人間」

というのがある。

 

例えば、カタールワールドカップをきっかけに知名度が上がったSHONOというモデル。これなんかは最たる例である。

カタールワールドカップのabemaでのテーマソングを歌ったLisaも、「鬼滅の刃」で引き上げられた存在。

 

EXILEのTAKAHIROも企画で抜擢された。

AKB48はグループ全体がそうである。

 

「圧倒的に才能がある」

タレントはどんな経路でも上がってくるが、それ以外のケースは何かしらの当たり企画に抜擢されたことがきっかけとなって登っていく。

 

 

芸能の世界は、

  • 圧倒的才能のある人間
  • 企画文脈に恵まれた人間

が混在している。

 

一昔前だと、めちゃイケに「三中」というタレントがいたが、これも企画文脈に恵まれた例である。今、どこで何をしているかはわからない。このタイプのタレントは、気がつくといなくなっている・消えているケースが多い。

B-RAPハイスクールの「軟式globe(パークマンサー)」なんかはまさにそれだ。

仮面ライダーは若手俳優の登竜門になっているが、オダギリジョーや菅田将暉、要潤のような事例がある一方で、ほとんどの人間は打ち上げ花火のように消えている。ただし瞬間的にはお茶の間のスターになれた。

 

要するに、企画文脈で上がってくるタイプは、そんなに才能があるわけではない。

間違いなくそうだ。

 

俳優・女優の遅咲きタイプもこれである。遅咲きタイプは後になって作品に恵まれたというケースが多い。良い作品、話題作にたまたま潜り込めたケースだ。

 

この、

  • 本当の意味での真のタレント
  • 企画文脈に恵まれたそんなに才能がない人間

の峻別をできずに、「芸能人」として大枠で捉えてしまうから、私たちは混乱してしまうのだと思う。

実際のところ、芸能界の中心・頂点でキラキラ輝き続けているのは前者のタイプである。

 

 

そしてもう一つ、例外がある。

それが、

話題性を振りまくタイプ

である。

 

例えば、フワちゃんがこれである。あれだけ珍種だと、「なんだなんだ」とスポットライトが当たりやすい。与沢翼もその手の人間だった。要は、メディアが取り上げたがる美味しい素材、話題性がある素材である。

自分から話題を作りに行けるのである。

 

実は、私から言わせると、

「オリエンタルラジオ」

もこのタイプである。

 

オリラジはハッキリ言って、お笑い芸人・タレントとして才能があるわけではない。しかしながら、話題性あるフォーマット・ネタを作ってばら撒くことはうまい。だから、ドカーンと当たり、冠番組を持たせられたり通常のバラエティのひな壇に座らされるとパッとしなかった。

 

ただし、手を替え品を替え、「話題性」を作る事がうまいので、今、youtuberという文脈がかなりハマっている。彼らに合っている文脈なのだ。

 

ゴールデンボンバーも話題性を作ってのし上がるタイプで、彼らはyoutuberがいないオールドメディア時代に上がってきたが、今の時代であれば確実にyoutuberになっていそうなタイプだった。

 

レペゼン地球なんかも、ドストライクでこの「話題創造型」傾向。

 

指原莉乃もそうだろう。企画文脈で上がってきて、あとはひたすらに話題を作り込む。「今、話題の、、、、」に熱心に絡む姿は見事である。当然、「本当の意味でのタレント」たちに絡んでいく、気に入られることも欠かさない。おそらくAKBである意味一番成功したのは、一番、「自分に何もない」事がわかっており、手段を選ばずアグレッシブに仕掛けたことによるだろう。

 

 

youtuberの世界に芸能人がやってきて成功できるかどうかは、

「タイプ」

による。

 

例えばガチのタレント・ガチの才能がやってきたら当然成功するだろう。

 

しかし、元来「企画文脈」に恵まれてきたタイプの場合、youtubeに降りてきてもパッとしないケースがある。その傍ら、上手に話題を振りまいて色々ガヤガヤできるようなプロyoutuberに再生数で負けたりするのだ。

 

 

以上のタイプ分けからわかること。

それは、「売れるためにやるべきこと」の方針の違いだ。

例えば、モデル、俳優、女優、歌手なんて、もう、25歳までに頭角を現せないなら才能が無いに決まっている。20歳段階でも結構わかる。

 

だからこそ、25歳以降の努力は、

  • ボイトレ
  • 演技トレーニング

とかそういう基礎を鍛えるとかではなくて、クロちゃんみたいな気持ち悪い芸人のことを「好きだ」と言ってカップル企画に乗るとか、強い立ち位置を持っているタレントの恋人としてスキャンダルされるとか、「アイドルなのに私、野球が大好きなんです!!」と強烈にアピールしていくとか、Breaking downに出るとか、そういう方向性の仕掛けの方がよっぽど効く。

 

 

要は、圧倒的才能がなければ、

  • 何かに乗っかる
  • 何かに絡む
  • 目立つ
  • 炎上してみる

みたいな事が重要になってくる。

考えてみればわかるが、特に芸能やスポーツの世界だと、圧倒的なタレントはむしろ「自然と引き上げられている」。もうとにかく最初から輝いている。わかる。自然と道が開けていく。

そうじゃないなら積極的に仕掛けていかないといけない。

 

流石に、野球やサッカーのようなスポーツの世界だと、個々人の能力が関係するから、努力もある程度意味はある。若い頃、チヤホヤされていた人間が後から「努力の人」に追い抜かされることはある。

ただ、それは努力が報われるという話ではなくて、努力というパラメーターがそれなりに効くというだけの話で、スペックが弱いと話にならない。

 

一方で、芸能人のように、努力というパラメーターがほとんど効かないケースもある。

 

 

一度売れて仕舞えば、傍目にはもう区別がつかなくなる。

 

手段は選ばない方が良い。

 

 


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。