ヒコロヒーのBRUTUS掲載文章を読んで、オレがなぜ、恋愛・結婚に向いてなかったのかわかった。

贔屓にしている文房具店でひとつのボールペンを買って、すぐに喫茶店に入りノートに書きつけてみれば書き心地がすごくよくて、お尻の辺りから喜びがぐわっと広がっては嬉しくてそのまま飛び跳ねそうになった。それから、ふと、この出来事を話したい、と、思って、はた、と、気がつく。

こうした些細な出来事を話したいと思うこと、そしてそう思える人がいること、それこそが人間関係における信頼であり安らぎである気がして、今日ボールペンを買った、というただそれだけの事実がどれほどの喜びときらめきを私に与えたかを知らせたい人、知らせたい思いそのもののこと、そしてきっとこの人なら私がボールペンを買ったことさえ誰にも言わないでいてくれるのではないかと思わせてくれていること、世界じゃこれを愛と呼ぶのでしょうかと山口さんに尋ねてみたくなる。

ボールペンを買ったことなんて絶対に言いたくない人もいるのに、なぜあなたにはこの喜びを伝えたくなるのだろうか。こんなにつまらないことは他の人には話したくない。あなたに話したい。それって信じてるってこと?それって安らぎがあるってこと?それとも甘えて期待しているってだけのこと?だったらそれってなんなわけ?まさか、愛してる?

一瞬の隙に飲み込まれそうで、脳を揺らすみたいに頭を振った。きっと将来の夫がいるとすれば、ボールペンのような話をしたいと思わせ続けてくれる人なのかもしれない。結婚記念日には毎年、いつもボールペンのような話をさせてくれてありがとう、と、私から妙な感謝をされるはめになるのだろう。

しばらくしてから、銀座にきた、ボールペンを買った、書き心地がよかった、と、メッセージを打ってみる。宇宙一しらんがな案件のこれにすぐさま返信がくる。それを見て、ああやっぱりこの人に話してよかった、と、やっぱり、泣きたくなった。そしてこれを、BRUTUSの連載に書きたいと思ったのはどうしてだろうか、連載を楽しみにしてくれている人々への、信頼、安らぎ、それもやっぱり、やや愛めいているだろうか。

https://brutus.jp/hiccorohee_048/

 

やばー。

ボールペン買った

みたいなどうでも良い出来事の報告を、

  • 単に時間を奪う行為
  • つまらない
  • しょーもない

として、むしろどんどんゲンナリする方向に捉えてきたのが私の人生だった。

 

私の恋愛遍歴から言えば、ヒコロヒー的な感性を持つ女を、切り捨ててきたのである。むしろ害悪と判断してきたのである。

反省させられた。

 

 

でも、ヒコロヒーも、独身だよな?

 

ごめんだけど、

そうやって、

つまらないことの報告で時間を奪い、

一緒に遊んでも財布は出さず、

自分が辛い時に「辛い」と報告してくる割には

こっちに対してサポートは示さず、

 

  • 甘え
  • 信頼

の錦の御旗をもとに、言いたい放題行ってきて、距離感の概念もなくしつこく日常の全てを共有してきて、

そのくせ、

「心の共有」

が激しいくせに

「体の共有」

には少々、疲れが早い、ペースダウンする、合わせる努力がない。

 

世界じゃそれを、

「荷物」

と呼ぶんだぜ。

 

 

いわゆるSNS疲れみたいなものを感じさせる女ばかりだった。

BeReal系のタイプ。

どうでもいい日常をひたすら報告し合うタイプ。

位置情報共有系。

 

それの何が嬉しい、楽しいんだと。

 

それが大多数の女、交際に抱いてきた印象だった。

 

 

もっというと、ヒコロヒーがその文章の中で言っていた、

仕事の合間に少し空き時間ができたため、銀座にボールペンを買いに行った。涼しい秋晴れの真昼間で、こんな時間に外を自由に出歩くなんてすごく久しぶりのことで、街をのんびりと歩けることが嬉しくて少し泣きそうにさえなっていた。

を、「彼女と別れた時」に感じていた。

1人の時に感じていた。

 

 

 


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。