西園寺帝国大学入学式(2) 君のことを誰も愛してない。お父さん・お母さんでさえも。でも言えない。 

 

理想は大学生まで、

できたら25歳まで、

遅くとも29歳までに気付いておきたいことがあります。

 

それは、君のことなんか、誰も愛していない、という事実です。

 

お父さん、お母さんだろうとも。

ましてや、自分の人生の中で出会う彼氏・彼女、旦那・妻はなおさら。

 

当然、お父さんお母さんこそ、自分を愛してる度合いがMAXなのであって、それを超える人に出会うことはありません。

そしてそんなお父さん・お母さんの愛も、高が知れている、ということです。

 

そんなの嘘だ!

と叫びたくなるかもしれませんが、私が言いたいのは、

お前が思ってるよりは愛されてないよ

ということです。

 

お父さんお母さんは、立場上、

子供を愛している

と言うほかありません。

 

これは、性欲に駆られた20歳の男子が、本当はエッチしたいだけなのに、彼女に対して「愛してるよ」と言うのに似ています。

 

世間が、親に対して、子への愛を強制するのです。

親とはそういうものだ、と言うのです。

 

本当はJC、JKの身体で十分ボッキできる大人たちが、

未成年に欲情してはいけない

というルールを守って理性で自分に言い聞かせているのと同じです。

 

うんこしたらお尻を拭かないといけないかの如く、

子供を産んでしまったら子供の世話をしないといけません。

逃げられません。

法律的にも倫理的にも逃げられません。

仕方なくやるしかない。

やってるうちに、それなりに愛着が出てくる。

 

でも、思い出してください。

 

お父さんお母さんが、

  • あなたの行動
  • あなたの願望
  • あなたの言動

に対して、面倒臭そうにしたり、嫌そうにしたり、だるそうにしたり、サポートしてくれなかったり、そんな場面は少なからずありましたよね?

 

お父さんお母さんと摩擦が起きた、喧嘩した、言い合いになった、そういうこと、ありましたよね?

 

一体、自分の味方なのか、敵なのか。

わからなくなることもあったでしょう。

 

お父さんお母さんだって、あなたにかかる時間、お金、労力について、だるいと思っている。自分の人生を削っているのだから。我慢して、犠牲にしたものも多いのだから。じゃないと、子供が出て行った後のセカンドライフを楽しもう、的な発言がシニアから出てくるわけがない。

 

お父さんお母さんが無償の愛をこっちに向けている

と誤解していると、

お父さんお母さんに矛盾が見えたり、

「信用できない」

と感じたりします。

 

結局、うちの親は自分勝手な親だわ、

とか思ってしまう。

 

これは、男から無償に愛される・絶対的に過保護にされると勘違いしている女が、男に対して抱く不信感とも似ています。

期待値が高すぎるのです。

 

親のことを、

めちゃくちゃ奢ってくれた他人

と考えたらめちゃくちゃ感謝できますが、

と考えるとあたかもそれが当たり前のように感じてしまうのは親に対する期待値が高すぎるから。

 

その意味において、あまりにもひどい親で、初期の期待値が低いと、むしろ親に感謝できたりする。

結構、ちゃんと育つ家庭の子は、親に対して早々に絶望していたりする。

 

姉がいる男は旦那として優秀

と考える女性がいますが、実際のところ、姉や妹がいる男は、女扱いがなれているというのもありますが、「女に理想・幻想を抱いていていない」「女に期待していない」「女に対する絶望が早い」「女扱いの勘所がわかっている・コントロールが上手」というだけだったりします。

 

同様に、親とうまくやれる子供も、親という人間の絶対性を忘れ、諦め、距離を取ったりしているのです。

 

 

まだ幼稚で未熟で、自立していない人には衝撃の事実かもしれません。

 

お父さん・お母さんですら、あなたのことなんて、愛してない。愛してると言っても、高が知れている。

実際、子供なんて、エゴの産物で生まれるのです。

お父さんお母さんがあなたの人生を考えている度合いには限界があったでしょう?思慮深さが欠ける、と思う場面があったでしょう?

 

世の中はそんなもんです。

そして、あなたの親で、MAXです。

 

この先、誰とどう出会おうと、愛される度合いには、限界があります。

 

男に対する期待値が高すぎる、

自惚れている、

勘違いしている女は、

男性に対して、

ヤリモク?

という懐疑の目をむけまくります。

 

それが、単に、「そいつは性的に受け付けない」という意味ならわかりますが、大好きで付き合った彼氏にさえもそのようなスタンスを持つ女は、圧倒的に勘違いしています。

これ系は、必ず恋愛・結婚で失敗します。

 

なぜなら、

それ以外、男が女に興味を持つわけなんかないから

です。

 

ではなぜ、「そうじゃないように見える夫婦」がいるのか。

 

それは、

「私はあなたに対して無償の永遠の愛があるかのようなポーズをするから、あなたも同じようにちょうだい」

という、返報性の原理の強制による心理的な保険です。

もう少し簡単にいうと、傷の舐め合いです。

もっと簡単にいうと、オナニーする右手を配偶者にしてみた、です。

 

人間は潜在的に、

愛されてないのでは?

ということに恐怖を覚えるので、特に心配性で弱い人ほど、結婚契約によって似たタイプの異性を縛り、お互いに「愛し合う」というポーズをとる、義務を作ることによって、安心感を得ようとします。

 

私は無限の愛があるかのように振る舞うから、お前も頼むぜ、そして二人で地獄の果てまで勘違いし続けようぜ

 

というのが結婚の仕組みです。

 

ところが実際、所詮、紙切れ一枚、他人でしかないので、絆と言っても限界があります。

学生時代からずっと一緒とかであれば絆は深いでしょうが、大抵のカップルの絆なんて限界があるのです。

 

どこかで甘えが出たり、隙が出たり、「孤独じゃないことのありがたさ」を忘れたりします。

そして、相手も老けていく。

火遊びしたい気持ち、浮気心も出てくる。

 

刺激もなくなる。

退屈な毎日が続く。

 

まぁ、色々あって、日々、「この関係は脆いのだ」ということを意識しながら振る舞わないと、簡単に壊れます。

 

お互いのことを思い合って、頻繁に記念日を祝い合って、お互いを気遣いあってる夫婦は綺麗で美しいように見えるでしょう。

しかし実際は、

関係が脆いからこそ常にメンテナンスを怠らない、接待営業

みたいなものなのです。

 

その意味のおいて、結婚は、安らぎではありません。

外で仕事して、家でも仕事するのです。

 

 

仕事も、

家庭も、

うまく回せるかどうかは、

 

  1. そもそも愛なんてないこと、無償・無限の愛なんてない、自分なんて愛されていないこと、限度があること
  2. 愛がないこと、孤独であることに、恐怖や不安があり、同じように感じていて、お互いが性的にタイプであるパートナー(少なくとも生理的に無理じゃない)がいて結ばれたこと
  3. 経済的社会的条件を満たしていること、お互いのスペック、周りの家族などに問題がないこと

 

が関係してきます。

 

 

大人でない人、

大人になりきれてない人ほど、

衝撃を受けるかもしれませんが、

 

誰もあなたのことなど、

必要ともしてないし、

大して愛してもないのです。

デフォルトではそうです。

 

だからこそ、人は、必死になって、

必要とされたり、

愛されたりするために、

向社会的になるのです。

 

仕事も結婚も突き詰めるとそうです。

 

今は満たされていると感じている人も、やがて、要なしになります。

 

なぜなら、性的魅力が落ち、職場を失い、爺婆になるからです。

 

 

 

仮に100歩譲って、めちゃくちゃ両親から愛を感じているとか、両親が「あたかも愛しているように振る舞ってくれる」みたいな場合において、それが強いほど、その人がこの先出会う他人に対して求めるハードルが高くなったり、「面倒臭い人」に映る可能性は十分にあります。

というか、世間の相場として、「配偶者はお前の親じゃねぇ」ってやつです。妻をお母さんのように、旦那をお父さんのように期待すると、大体嫌われます。

 

実際、誕生日などを盛大に祝われたがるパートナーというのは、面倒臭いものなのです。

誕生日を祝われないことに深く悲しみを覚えるタイプは、「自分の存在、誕生は、誰からも祝福されたものなのだ」という勘違いが前提にあります。

そしてその勘違いが、

結婚式願望

につながります。

 

しかしみなさんご存知のように、結婚式は、誰もが内心、

「面倒臭い行きたくない」

と思っています。だからウェディング業界は萎んでいるのです。

 

それでも、それなりに付き合うのは、

「自分が結婚した時に誰もきてくれないのが怖いから」

というやつ。

あと、社会人として協調性がないと思われるのが怖いから。

 

その程度のものです。

 

 

ある程度、エリート階級、上流階級の人だと、自分の所属ステータスや日常に「自己陶酔感」があるので、付き合いを大事にしてますが、表向きは結婚を祝ってるように見えて、実際は

ハイソなコミュニティに接続してる俺気持ちい

ってなだけで、他人を祝ってるようで自分のステータスに酔ってるだけというのが実際です。

 

事実、これ系のイベントは、出会いとか、人脈とか、いろいろ裏の願望がある。

 

 

当然ですが、歳を重ねると、

人生で最も自分を歓迎してくれたであろう

両親すらこの世にいません。いなくなります。

 

そもそも、両親の愛というのも、両親自体が、

愛されたい願望を、子供を愛することで代替している

ケースがほとんど。

 

まさに、一定の年齢になった大人が、「結婚して家庭を築かないと寂しいよな」という動機で結婚するのと同じです。

 

あなたの人生の始まりは、

大した理由じゃないのです。

 

快楽の副産物か、

なんか一人じゃ虚しかった男女の行きずりの最果てか、

うんこした以上は拭かないとという意地・義務・責任か、

はたまた始めてしまった以上降りられなかった愛着物語か。

 

その程度です。

 

 

まず人生の基本として、

誰も自分を愛していない

という現実、その厳しさを実感すべきです。

 

若いうち、そして女ほど、勘違いします。

 

まずこのベースを勘違いしないこと。

勘違いをやめると、「孤独」を知ります。孤独を知れば、他人に感謝できます。

正しい期待値を持って、友達や恋人と付き合えるようになります。

 

あなたが、人身事故を気にも留めないように、

むしろ

誰だよ、マジで迷惑だな、死ぬなら迷惑かけずに死ね!

とイラつくように、あなたが同じように死のうとしても他人は同じことを思います。

あなたが死んでも誰も気に留めない。

 

世間では、誰かが死ぬと、お悔やみメッセージが飛び交いますが、ほぼ社交辞令みたいなもので、「そう言わないと自分が社会人として気狂い扱いされるから」程度のことであり、人の命についてそんな誰も重く思ってません。思ってるポーズをしているだけです。みんな、他人に興味ないのです。

これが社会です。

そしてここに過剰に反応しないこと。

 

アフリカにでも行って、動物たちを眺めていると、弱肉強食や、命の儚さ・脆さに気づくことでしょう。

 

人生は短く、

命は思ってるより安く、

愛は意外にもない。

 

それがこの世界、人生です。

 

ベースとして、そういうことを持ってると、正しく生きられると思います。

間違えないと思います。

 

人は、安心、安定、愛という虚構を手に入れるため、人生の大部分をささげたり、大きな犠牲・コストを払ったりしています。それは社会を観察しているとわかるでしょう。

 

お母さんの愛も、結局は自己中な女が、その片割れとして腹を痛めて産んだ子供に対する「自己の外延」に対する執着じみたもので、エゴの一部だと気づく時が来るでしょう。だから母親は無理心中したがるのです。

父の愛も、自分の遺伝子を母系と混ぜながら残した先にあるもので、母親のようなきめ細かさや、不完全な生命体を無条件にケアしようというものではないことに気づくでしょう。男は基本、保育や介護、生き物の世話が苦手です。生命体は自立し始めてからその指導、教育、トレーニングなどってのは熱は入りますが。

 

親に対する、徹底的にドライな姿勢を打ち出すインフルエンサーを見て、

 

親の愛を知らない可哀想な人だ

 

と嘆く人がいますが、むしろ、勘違いしてるのはその人かも知れませんよ。

 

そもそも社会的成功者は、社会のリアルが見れるから成功している、とも言えます。

うまくいかない人は、幻想、思い違い、勘違いがあったりするのです。

大体、社会的パフォーマンスが悪い人は、愛とか平等とか平和とかが好きですね、過剰に信じ込んでいたり、それらが無条件に降ってくるものだと思ったりします。

 

 

愛はないから愛を諦めろ、という話ではありません。

 

愛があるとなぜか思い込んでる人に限って、

他人に愛を強制したり、

期待値がバグって、

愛を得られずに彷徨う人になる。

 

勘違いしているからです。

 

 

誰もあなたのことなんて愛してないし、必要としてないし、

「愛されてる・必要とされてる」

と思っているならば勘違いで、

大体代わりがあるし、

今はそうじゃないように見えてもそれは一時的で将来は必ず崩壊し、

またあなたの人生にも人から忘れられる時、軽視される時がやってきます、必ず。

 

年寄りがなぜ、社会的な地位にしがみつくのか、見知らぬ人に話しかけたり病院を社交の場としたがるのか、考えてみてください。

 

 

 

あの人は生前、誰からも愛されるいい人だった!!!

 

みたいなのありますが、あれも実際のところは、

「そういう人が世の中にいることにしたい」

人たちがそう思うことによって、

「自分も愛される機会がある世界なのだ」

という認知を持ちたい願望によります。

 

そういう人を持ち上げたいのは、そういう人が世の中にいることを強調したい、ということです。

 

だから人は、人に対して、

「なんやかんや、いい人なのでは」

「あの人だって実際は・・・」

「根っこは・・・」

みたいなことを思いたがります。

 

 

これは、理想的な外見・内面をした異性アイドルなどを

過剰に奉りたい、持ち上げたい、推したい願望に近い。

 

 

いわば、ある他人に対して、蛍光ペンでマーキングして目立たせるような行為とも言えます。

 

 

ものすごくドライなように思えるかも知れませんが、

ある程度の経験を積めばわかりますが、

人間関係は、

期待

がおかしくさせるのであり、

それは人生の歪みにもつながっていきます。

 

 


===

西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。