- 父親が蒸発してシングル家庭だったらしいが、本当にやばい家庭は(というか普通のシングルマザーは)、子供を麻布に入れられないし、父親は麻布→早稲田という噂も。ビリギャル、バカヤンキー的な胡散臭さをどことなく感じることを否定できない。
- 日本の受験は平等だというが、遺伝と受験成績の関係についてのデータには触れない
- 「進学校に行くかどうかはその後の人生を左右しないということがわかった研究をしている」と言い、その結論の根拠が、ぎりぎりの成績である学校に受かった人と受からなかった人のその後の学校成績を比較して差がない対照実験を示しているが、「良い学校に行った後のその後の人生=進学先での成績」になっているし、そもそも受かるか受からないかギリギリの成績の生徒を比較すれば当たり前にそうなるわけで、例えば東大と早稲田の違いはギリギリ受かった・落ちた層の差ではなくて、中央・平均ゾーンの差、あるいはトップ層の差ではないのか(学校名が担保する統計確率論的な傾向差)。多くの優秀な学生が研究者・官僚などの薄給コースに行く東大、親が金持ちの割合が多い慶應と比較しても卒業生平均年収は東大がトップであること、世間一般の学歴序列に応じて卒業生平均年収もまたその序列になっていることはどう説明するのか。また、林修も「東大落ちて早稲田受かった人間が1年浪人して東大行くのは無駄だから早稲田行けとアドバイスしている」と成田に協調しているが、ギリギリ層だからこそ「東大」ブランドを欲しているのではないか、東大の中間層やてっぺん層が形成する東大というラベル、錯覚資産を手にして人生を有利にしたいと思っているのではないか、実際、社会は学校名で評価するバイアスはある(林修、成田悠輔が注目されるのはそもそも東大卒だから、で自己証明している。マスコミはいつも「東大東大」、出版社はいつも「東大東大」で東大ネタを使う。)
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。