15歳の時、出勤前に日給以上のタクシー代を払って出勤することが度々あった。その日一日、何のために働いているのだろうという虚無感に襲われることも無かったといえば嘘になるけど、それでも遅刻して失う信頼よりは全然マシだという発想だった。
稼いでも稼いでも、お友達と飲み会するのに使う、しかも自分が出してあげる、みたいなね。
こーゆーものはたぶん、みんなが家庭を持つようになって、最優先が家庭になると崩れるんじゃないかなぁ、とは思うんだけれど。たぶん、中年独身の人とかはその虚無感があるんじゃない。
どこの誰に対して貢献して生きていくのか?
それが見出せないと、生き方にブレてしまう。
俺はどこの誰に貢献するのか、ってのはすっごい明確で、昔の自分みたいにボケーーーッとしてる人。人生はこのまんま、特に楽しいこともなく、頑張りもしないみたいな人。
それと、感動を求めてる人だね。俺があいみょんを見て、生まれてきてくれてありがとう!と思うようにね。
世の中に、天才的な何かを生み出すということ。


「0」は無限だと信じたい。賽は投げられたのだから。
Lose Yourself , Change Yourself.
(我を忘れろ、クソな自尊心を手放せ、お前の全てを何かに捧げろ。そして己を変えろ。)

"強くなくては生きていけない。優しくなければ生きている資格がない。"
"世界は変えられなくても、人生ぐらいは変えられる。"
"悪貨が良貨を駆逐する中、悪貨に転じないことが「恥」や「損」であるならば、清濁併せ吞み、仮面を被った「良貨」であり続けるのみ。"
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-20、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。