#2 プロレタリアとブルジョワを生む教育

高給取りになりたいのか、それとも資本家になりたいのかはハッキリしておいた方が良いと思う。自分がどういう方向性で生きているのかを自覚しないと、途中で何をやっているのかがわからなくなる。たとえば、投資家を自称して実際はFXをやっているとか、金融業を自称してオレオレ詐欺をやっているとか、金持ち父さんに影響を受けて会計士になったとか、独立系ダイレクト・レスポンス・コピーライターになってフリーライターより時給が低くなった、とかは意味不明の典型例。

資格を取る、学位を取る、年収を上げる、役職を上げる、という発想はブルジョワの発想。役員を目指すとかプロ経営者になるとかも、ブルジョワの発想と言える。ベンチャーにジョインしてストックオプションリッチを狙うとか、子会社社長を任せられるようになるとか、これらも全部ブルジョワの発想だ。

生産手段も資本も持たない薄給層、すなわちプロレタリアになりたくないがために、人は、一生懸命勉強をしようとする。紀伊国屋書店で立ち読みし、資格試験予備校に通い、TOEICや簿記の勉強をし、プログラミングを学び、みたいな。

でも、たぶん、ブルジョワの世界に自由は無いんじゃないかな。

しかも、世の中で声が大きい人たちは皆ブルジョワ。それに思考をかき乱されてしまって、資本家を目指していたのになぜかブルジョワ化してしまっている人とかも結構いる。

 

都会にいると、高給ブルジョワをたくさん見ることになるから、「あれが成功するキャリアパスだ」って思ってしまいがちなんだけど、田舎の方に行くと金持ちは資本家がほとんど。だから、田舎の方が資本主義のカラクリが見えやすいと個人的には思うわけ。田舎は給料が低いから、金を持っているのは資本家なんだよね。そして彼らは、暇とお金を持て余している。都会にはビジネスをつくったこともないのに、ドヤ顔でビジネスについて語っている人が多いのでお気をつけ遊ばせ。いわゆるエリート層ですね。有名なあの人もあの人も、あの人も。

 

さてさて。

資本家という生き方は、歴史的には農家、不動産所有者、オフラインビジネスオーナーのことを指していた。

ここで、歴史を振り返ると、理解がしやすくなると思う。

狩猟採集時代まで、人類は平等だった。チームで行動していた。でも、農耕時代になって計画的に食料を生産できるようになり、人口が増えた頃から事情が変わった。土地の開墾が進み、作物を育てたりする技術が進むに連れて、「土地」の価値が上がるようになった。今、私たちが「不動産」に価値を見出しているわけだけど、そのルーツはここにある。土地と生産が結びつくようになったってことだね。

そして、その土地の所有者が王族となり、その土地で農業を行う小作農との間で階級が分かれるようになっていった。

農耕時代の次は、産業時代がやってきた。この頃になると、不動産の価値は作物を提供することから、資源を供給することになった。ここでさらに不動産の価値は上がったし、土地を土台にしてビジネスが展開されていったことは改めて説明するまでもない。

この頃から、中流階級が生まれてくる。

 

そして、今は情報時代になった。情報に価値がつくようになったし、ビジネスはサイバースペース上で展開されるようになった。富はどんどんとweb上に生まれるようになってきていて、知識情報社会が加速している。

こうやって歴史を辿ると、価値は移ろうことがわかると思う。そして、情報が通貨の時代が、目前にやってきていることにも気付ける。

Webが無ければamazønもフェイスブックも無かったことに注目して欲しい。

 

基本的に、世の中にはブルジョワを育てるための教育ばかりだ。それは、マーケットボリュームが大きいからだし、それだけの需要があるからなのは間違い無い。みんな、ブルジョワになりたがる。ブルジョワは悪いことでは無くて、たとえば自分の名誉欲とか地位欲みたいなものを満たせるプロジェクトにジョインする機会が得られるのは、ブルジョワの方かもしれない。また、都会のど真ん中で、大きく美しいオフィスの中で、刺激的なメンバーと働くのは実際、楽しい。日本人は仕事の虫だから、「世の中を良くする」とか「何かを広めたい」という、社会性ある志に胸を打たれる人も多い。情熱大陸とか、プロフェッショナルの流儀などに特集されるような働き方を望む人だって多い。家族に胸張って自分の仕事を紹介したい、と考える人も多いだろう。

そういう人は、さっさと都会のど真ん中でガリガリ働いたら良いと思う。

有名大学を出て、それなりのキャリアを選択し、ひたすら頑張ると良い。きっと、満足いく人生が送れるだろう。

単純に、年収600から800クラスのサラリーマンを目指すんだったら、そんなに難しいことはない。もしかすると、それぐらいもらえたら、雇われでもいいかなって思えてくるかもしれない。ビジネス全体について、あるいは1事業についてインパクトある知見なり変化なりをもたらすことができる人材、そういう人材は20代半ば〜後半くらいで、それぐらいは普通にもらえると思う。

もちろん、業界や職種にもよる。

売り込む実績が無いのなら、プロジェクト単位でも、店舗単位でも、事業単位でも良いから、裁量を持って自分のアイデアが通せそうな職場を探し、エントリーしてみよう。もちろん、最初から望むポジションにはつけないかもしれないし、スタートの年収は低いかもしれない。だけれど、本当に能力があるのなら然るべきフィールドを与えられ、相応の働きをすれば給与は上がるはずだ。

要するに、利益責任を持つポジションということ。

 

さて。

一つ大事なことを話しておきたい。それは、事業家としてのキャリアにハマればハマるほど、おそらく、自由からは遠くなる。なぜなら、それは結局、事業の中の仕組みとして働くことにハマる状態だからだ。オーナーでは無い。雇われ店長のようなものである。

 

自由は常に、資本家の側にある。

歴史を振り返ってみても理解できると思うけれど、不動産を所有するか、ビジネス(生産手段)を所有するかが基本。そして、ビジネスを所有するというのは、実際に自分がビジネスをやるのではなくて、有能な経営者を雇うとか、自分がいなくてもまわるビジネス作りをするとか、そういうことが大事になるのである。もちろん、オーナーになるにしても、経営スキル・事業スキルはあった方が良いに越したことはない。

経営者・事業家になることは、必ずしも、自由になることとは限らない。オーナー経営者・オーナー事業家と、雇われ経営者・雇われ事業家は別である。

 

今は、情報時代。

非常にビジネスを創りやすくなった。

広告を見てみよう。雑誌を見てみよう。本を見てみよう。有料メルマガを見てみよう。

そこには、マーケットが存在するということがわかると思う。ビジネスとして、成り立つというサインは、広告の存在、雑誌の存在、本の存在から伺えるのである。

 

市場さえあれば、マネタイズは簡単。

ただ、残念ながら、需要があることを確認できるのに、供給態勢を整えることができないまま、無残に散って行く人たちも少なくない。

 

あなたのアイデアがビジネスになるかどうか、それはまず、広告や書籍などの既存情報から市場性を確認することで検証できる。これは、自分がやろうとしていることと同じことをやっているライバルを探すということではなく、人々がそういったものにお金を払う意思を持っているのか、それがどの程度の規模あるのか、を確認するためである。

そして、明らかに言えることが1つ。

今、情報に価値が移っている。そして、人々はそのことを認識し始めている。実際に、情報に金を払うマーケットがあちこちに生まれつつある。大手すら参入してきているということが、現実としてあるということだ。

 

情報空間というインフラの中で、情報ビジネスを展開することは、これからどんどんと盛んになるはずである。

情報ビジネスは、うまくいくと非常に自動化しやすい。

これはつまり、どういうことだろう?

 

「資本家になるチャンス」が目の前にあるということ。

資本家にシフトできる絶好の時代に、私たちは生まれてきてしまったということ。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。