いいことを教えてあげるね。
20代は23歳まで。
30代は33歳までなの。
20代に入った!20代を謳歌するぜ!
ってのは実は、23歳までしかできないの。
20代らしく、20代を存分に味わう、今を生きる、みたいなのは実は23歳までしかできないの。
で、20代後半は、30代に向けた準備をしないといけないんですね。
これは、夏休みの後半がほとんど機能しないのと似ている。宿題があるから。遠方への旅行スケジュールも後半だと厳しいでしょ。
あるいは、大学生が大学生らしいことを謳歌できるのが大学2年生までなのと似ている。3年生からは就活でしょ。
小学生だって同じだね。
13歳まではガキを謳歌できるね。
でも14歳がどうなのかで、入る高校決まってくるね。
人生が決まり始めるね。
- 14歳
- 24歳
- 34歳
でモード変わることに気づかないまま、
後手後手で、常に一歩遅れる、
これが多いのなんの。
23歳までは露出して、男に奢られ、飲んで、よって甘え、わがまま通ってた女が、急に通じなくなって急速に売れ残りが加速していき、恋愛も拗らせていく、これも24歳、25歳、26歳な訳。ここでいきなり、独身ババア呼ばわりされていくわけ。3年で。
(↑この状態から、独身ババア呼ばわりまでの時間はあっという間。たったの3年程度)
いわば、謳歌できる実質時間は限られ、あとは
「次の準備」
をしないと、次に進めないわけ。
はい大学卒業しました、仕事ください
は無理なわけ。
この法則はあちこちで機能する。
これがわからず、
25歳って20代ど真ん中のちょうど良い時期だよね
とか勘違いして、転落するわけ。
ここでの振る舞いが、売れ残りババア30歳を生むわけ。
そもそも、10代、20代、30代という括りがナンセンスです。
アラツー、アラサー、アラフォーの方が、
ライフステージに即しています。
これはR&D(研究開発)の神髄は血液型分析に詰まっているでも触れた論点ですが。
人生の岐路、分岐点を自覚するにはどうしたらいいか?
それは、多くの人間が
- 20歳
- 30歳
を区切りにしているが、
それじゃ意味ないってこと。
30歳になった
って自覚を改めて何かなる?ならないでしょ?
違うんです、どちらかというと、子供・若者カテゴリーから完全に脱却したことをひしひしと痛感して改めないといけないのが25歳であり、ここから急速に、「これまで24年プレイしてきた若いというroleを脱却しておじさん・おばさん1年生としての適応が始まる」ってのを痛感するでしょう。
アラサーを25歳からとするのは早すぎる、27歳からにしろ、とか暴れても、2年の差だから別に大差ないわけ。
そうやって現実逃避しても意味ないわけ。
23歳、24歳は第二新卒で通用したかもしれない。
それが、26歳・27歳だと
「未経験NG」
の壁に阻まれたりする。
それが人生。
2年、3年で、今の前提の梯子はすぐ外れる。
調子乗ったら落ちるのはすぐやで。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。