日本の学校教育は、高校卒業まで「感想文教育」が多いけど、実際、法律と経済は「やったことと、結果」で評価されてるってことのギャップが、「感想文型暴走国民」を生み出している

 

日本の学校教育は、小学校、中学校までは

感想文教育

が軸である。

 

あなたはどう思ったか?

周りの人はどう思うか?

あの立場の人はどう感じるだろうか?

 

これらを軸としたものは、協調性豊かな国民を育てるのには役に立つ。

 

ところが、現実の世界、特に

  • 法律
  • 経済

はゴリゴリにロジックで回っている。

やったことと結果で回っていて、はっきりいって人の気持ちなんか考慮していない。

 

だから、例えば、

ウィルスミスの妻を侮辱した男をウィルスミスが殴った、ということに対して日本では

家族・妻を守るためによくやった!男だ!

と拍手喝采するが、アメリカではその評価は違う。

「暴力行為」に焦点が当たる。

 

日本で気をつけないといけないのは、

大学でしっかりとロジックの教育を受けないと、

社会で

テメェのお気持ちが配慮される

と勘違いしてしまうことだ。

 

特に、非大卒の女性にこの勘違いは多い。

 

 

被告人・山上徹也の事件について、日本では、世論が感情論に傾いている。ところが、実際の刑罰のロジックはまるで違う。

【大学で法律のGPA満点の俺が解説】 日本の刑法・刑事訴訟法・司法制度から言って、「統一教会→山上の母を狂わせる→山上が統一教会を呪う→統一教会とズブズブだった安倍を殺す」において、”安倍殺人罪”で酌量の余地はない

 

 

なぜそうなったか?なぜそうしたか?理由を述べよ

という場面において、

お気持ち部分はほとんど考慮されない、

情状酌量はほとんど機能しない、

それを教えない・教わらないまま社会に出てしまう可能性がある人が一定数ある。

 

こういう人にとって、

例えば、

「周りの気持ちを考えないで傍若無人に振る舞う」

みたいな人がいた時、

この人に対して正義の鉄槌を喰らわして、

周りからヒーローとして称賛されるが、

法律的には重罪が下される・・・

 

みたいな構図を理解できないまま、むしろ大衆にとっていいように使われてしまう場面があり得る。

 

 

被告人・山上についても、

家族を苦しめた敵に制裁を与える、そのための1番良い方法を考えて、見事に目的を達成したヒーロー

みたいになって、敵が敵だけに(政治家と宗教団体)、周りから持ち上げられ、称賛される声もあるが、ある意味、大衆に利用されている側面もあるだろう。

本当に最初から最後まで可哀そうである。

攻撃の矛先が母親に向かなかったところが、根っこの優しさを感じる。

その優しさもおそらく、感情論成分で出来ている。

 

こういう人間は、この社会では損するのである。

 

 

 

それあなたの感想ですよね?

というひろゆきのセリフが流行ったことからもわかるように、

実際のところ、感想文、感情は、

案外、使い物にならない。

 

感情に振り回されれば判断を間違え、

感想文を垂れ流せば幼稚だと思われる。

 

人の本能・本性がどうしても、感情ベースで動いてしまっている・・・ということに対して理解は深くなるかもしれないが、社会の骨格はあえて「そうならないように、固いもので枠組みを決める」ようになっているのだ。

 

 

感情や感想は、

他人からの「票」「金」が集められる形に作用しないと

ほとんど意味はない。

 

 

フォロワーがいないのに、感情論優先の人間は、残念ながらゴミなのである。

 

感想文も、

本来、「共感」を得てナンボなのだ。

 

共感性の弱い感情的な人間はゴミ。

これは覚えておこう。

 

共感を得られないのに、感情が優先する人間は、ゴミ。

 

 

さらには、その感情が暴走して、重たい刑事法・刑罰に抵触する行動を起こして仕舞えば、取り返しがつかない。

レッドカードである。

 


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。