私は割と、こう、生きてて、「もっと良い生き方が!」とか、「なんかつまらない!」とか、「もっと自分らしく!」とか、「もっと自由に!」みたいなことを考えて生きてきたタイプです。もちろん、それ以前に、フツーに社会に絶望しつつも迎合していた時代があったんですが。
でも、大人になって、ある女性から戒められたことがあるんですね。その女性は、なんというか、日本人としての鏡みたいな方でしたね。
「自分自分って考えるから、そういう発想が浮かぶのであって、もっと自分を社会の中の歯車、砂粒の1つと考えられるようになれば、みんなのおかげで生きていると考えられるようになれば、自然と社会に迎合できるようになるよ」
って。
すごい納得しましたね。おっしゃる通り。
自己実現とか、自分らしくとか、やりたいこととか、自由とか考える前に、もっと、自分が社会の中の砂粒であることを自覚せよ、というお話。そして、そういう考えができると、スッと社会に適合できるというお話。
いやー、実に日本らしい。でもおっしゃる通りですわ。
そのアドバイス、マジで身に沁みましたね。なるほどー、と。思えば、自分の自我みたいなものを抑えれば、別に、仕事なんてなんでもできますよね。
っていうか、思うんですよね。
自我って無駄ですね。プライドって無駄ですね。
有能で価値があったら選択ができる・選択権があるってだけで、自我・プライドだけじゃダメですね。もちろん、そういうものにドライブされて、それなりの努力なりステップアップをしたんならわかりますけどね。
そして、これができればきっと、この国で、フツーに生きていくことができるでしょうね、日本社会で。
考えてみれば、日本社会から外れる人って、我が強いっていうか、そういう感じの人が多い。そりゃー、怪訝な顔されますわ。海外逃亡組が叩かれるのもわかる気がする。
日本社会で認められないから、海外ってのは、なんかちょっと、切ないかもね。
海外に行かない多くの日本人の胸にあるのは、そういう感覚でしょう、きっと。
やっぱ、大事なのは、「いざという時は、底辺に落ちる」という心構えでしょうね。
私はもともと底辺なので、全然平気ですけど。ふっつーにブラック企業万歳、新聞配達・コンビニバイト万歳で働きますわ。空襲来ないだけマシよ。むしろ、そういう状況から、再度這い上がることにまた、楽しみを見出してなんとかしますわ。
結局、日本にいようと、海外にいようと、大事なのはその人が有能かどうかっていうそれだけ。
「良い逃避先」として、希望のフロンティアが示されたとしても、み〜んなそこに群がったら、結局、そこの旨味って減るよね。そんな中で、旨味を握れる人って、人ができないことや、やらないことをやっている人だよねって。みんなから認められている人だよねって。
こうやって考えると、世の中にうまい話はないのかもしれない。
海外の場合、エグい所は本当にエグいから、だから基本発想が「逃げ」とか「どこにポジションするか」なんだよね。でも、日本の場合、エグいといっても、一応程度が知れているし、日本人てなんだかんだ優しいから。だから、それなりに相応な人間であれば認めてもらえるっていう所はあるからね。
うーん。難しい。
雇われない働き方も、結局はリスクを背負っているだけだしなぁ。
しかもなんだかんだ勉強するし、働くときは働くし。
やはり相性問題かね。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。