#2【残酷すぎる現実論】 : 貧乏人は部活なんかやってる暇はない

 

以前、面白い本を読んだ。

それがコレ。

貧困脱出マニュアルという本である。

比較的裕福な家庭に生まれた人は、この本を読んで衝撃を受けるだろう。そして、貧しい家庭に生まれた人はこの本を読んで共感を覚えるかもしれない。

 

この本では数々の主張がなされているが、常識を裏切る斬新なメッセージがある。

それは、

貧乏人の家庭は部活なんかしてる暇はない

というものである。

 

学生時代、学校教師も、周りの友人たちも、盲目的に「部活はやった方が良い」という部活賛美風潮で溢れかえっている。また、進学であったり、将来の就職にあたり、「部活をやっていた経験」というのは買われるものである。特に、体育会系出身者はあちこちで重宝される風潮にある。

 

運動部で頑張ることは「損はない」というのが社会の共有思想である。

しかし、この本では、「貧乏人は部活なんかしてる暇じゃないんじゃないの?」という主張が投げかけられている。

私は、この主張に理解できる。

 

スポーツには金がかかる。

日本の2大メジャースポーツは野球とサッカーであるが、世界的に見ればサッカーの方が圧倒的な人気である。プレー人口が多い。なぜか?

それは、野球が金かかるからである。野球をやろうと思えば、それなりの設備・道具が無いとできない。しかしサッカーなら、ボール1個で事足りる。著名なサッカー選手たちは貧しいスラム街上がりだったりする。

 

スポーツを経験した事が無い人にはわからないだろうが、日本で運動部に入りスポーツをするととんでもなく金がかかる。

まず、スポーツには、「ユニフォーム類」などでお金がかかる。ユニフォームだけではなく、ソックスだったり、アンダーウェアだったり、とにかく衣服類でお金がかかる。そして、毎日汗まみれで運動・練習するために、洗濯量が大変なことになってしまうのである。

また、部活に入れば、

「公式戦用のユニフォーム」

など、チームで新調するものが出てくるからこれにもお金がかかる。

また、部費もかかる。

加えて、野球ならバット、グローブ、ボール、サッカーならスパイク、ボール、テニスならラケット・・・・というように専用の道具に金がかかり、メンテナンスアイテムも必要だ。加えてこれらは消耗品であって、年に2回、3回は買い換えることになるだろう。

関連する書籍を読んだり、練習場に行ったりするコストもかかる。

 

部活生は、運動することによってお腹がすく。だから、親が弁当をもたせたり、ご飯を食べるためのお小遣いを渡すことになる。部活生は部活生で、練習後の帰り道にどこかでつまみ食いをしたりする。そこでも付き合いや交際費が生じることになる。

運動部の生徒というのは、いわばサラリーマンのようなもので、部活外での活動でも群れたりすることになる。そこでの付き合いコストが生じるのである。大方の場合、裕福な家庭やそのご子息を中心に「パーティ」などを企画する事がある。すると、そこでもヒエラルキーが形成されたりする。

 

 

↑子供は親のオモチャ

 

自分のキャリアがうまくいかないから、と家庭に生きがいを求めて家庭形成に逃げる人間がいるが、大方の家庭にとって子供というのは、子供を介した親たちのマウンティングの世界、子供を使った親の自己満足の世界でもある。このことを忘れずに結婚し家庭を形成した人たちは、以後長きに渡って苦しむことになるだろう。

年長組の学芸会で出し物として劇をやることになった。王子様とお姫様がいてというよくあるやつ。一番可愛いと思っていた彼女がお姫様役になるだろうと思っていたが、なんと彼女はカエル役。お姫様は微妙なルックスの医者の娘となった。ちなみに王子様役は町で一番立派な料亭の息子、I君。僕は王様を守る一兵卒である。なんかおかしいぞ。謎が解けたのは、学芸会の会場がI家の料亭の大宴会場だと分かった時だ。それが世の中結局「カネ」なのかよ、と思った僕の原体験である。

 

また、学生の部活というのは、比較的裕福な家庭の暇な専業主婦たちがガッツリコミットしている世界である。そこには当然のことながらママ友会のようなものが形成されることになる。その中で、ママ友たちの集会が行われる。これらの会合コストはもちろん、子供の送迎などにも親は関与することになるからここでも種々のコストがかかってくる。

当然、部活をすれば怪我リスクが出てくる。

怪我をすれば、病院コストもかかる。

 

基本的に、人間というのは金がないと荒むものである。性格もねじ曲がると言えよう。そして、これが最もひどいのが家庭というスケールのパターンだ。家庭が経済的に困難だと不幸の連鎖が止まらない。

 

貧しい家庭というのは、子供が何かをやろうとして、そこにコストがかかると親がキレる事が多い。すると、子供の頭の中には、「お金=怒られる」「お金=恐怖」「お金=悪いもの」「お金=大好きな親を苦しめるもの」という刷り込みが加速していく。こうやって、大方の人間のお金に対する苦手意識は形成されていくことになる。

 

大人は、大人になってすっかり子供の頃のことを忘れてしまっている。

しかし、子供は、

  • ピアノやりたい!
  • 習字やりたい!
  • 水泳やりたい!
  • バレエやりたい!
  • 華道やりたい!
  • 茶道やりたい!
  • 野球やりたい!
  • サッカーやりたい!
  • 英語スクールに行きたい!
  • ゴルフやりたい!
  • そろばんやりたい!

といったようにやりたい事があり、そしてその世界には「その世界」のプロや先生たちがたくさんおり、親子一体になって強烈にコミットしている世界があったり、そのコミュニティやヒエラルキーの中でのあれこれがあったりする。当然、種々の苦労も存在する。

 

この本はいわば、世間の常識に対して風穴を開けるような指南がなされているといっても良いだろう。生まれた瞬間からディスアドバンテージをくらっているような人間たちは、常識に流されて「スポーツを楽しんでる暇なんて無いんじゃないの?」ぐらいの指摘である。

当然、スポーツをやった実績というのはその先の進学とか就職にも繋がってくる話である。

 

シンガポールは1965年に建国されたが、そこから経済発展していく過程で国策的に「教育しても無意味な人材は切り捨てる」というエリート主義の施策をとってきた。小さい頃から試験の連続で、ダメな人間は即教育を打ち切りするのである。

スポーツの世界も、大抵の人間はプロになれるわけではない。それをわかってて大方の家庭は子供にスポーツをさせるわけである。スポーツというのは、歴史的に見てもどう考えても「貴族の遊び」「有閑階級の遊び」である。各々のスポーツには歴史的なルーツがあるが、「大衆の遊び」「貧民の遊び」として栄えてきたものは限られるはずである。スポーツというのは生産性が無いからだ。そして、人類が豊かになるにつれて、スポーツがビジネス化していき、そこに関連的なビジネス市場がたくさんできるようになっていった。いつのまにか、スポーツは金になる世界へと変わっていった。スポーツはビジネスになった。

海外のスポーツ選手には貧乏上がりが多いが、それはその国の中央値・平均値が貧乏だったりするからである。

日本の著名スポーツ選手に、貧乏上がりというのはそう多く無い。なぜなら、日本という国の中でスポーツ環境に身を投じようと思えば、関連するコストが凄まじくかかるからである。

有閑的な遊びを、継続的に5年、10年と続けていく。しかもそれを幼少期から行うのである。早い子だと、6歳、8歳からスポーツをやるわけだが、それはイコール親が「まだ若い」ということを意味する。

 

言ってみれば、地元の有力企業(インフラ系)に勤めながら、公務員的な安定+公務員以上の高給を得て30代の頃にはすっかり安定しているような家庭の子供などが一番、子供のスポーツに熱中するのかもしれない。

そして言わずもがな、ゴルフやバレエなど、金がかかる領域は親がそれなりの経済力がある世界である。

 

金はある、でも退屈だという人間は、子供にエネルギーを注ぐようになる。

世の中には、家庭のために生きている大人がたくさんいる。そして、全てを子供に注ぎ込んでいるような家庭がある。そして、子供の成長や、勉学・スポーツでの躍進を自分事のようにして喜んでいる親たちがたくさんいる。中には、子供に英才教育を徹底している人間たちがたくさんいる。

 

私の友人で野球をやっていた人間には、

子供を甲子園に行かしたい

と燃えてるような人間たちがたくさんいた。

大人の男は、「スポーツ」となれば、一気に少年・青年の心を取り戻す。子供のようになる。本気で子供にスポーツを仕込み、自分が叶わなかった夢を子供に叶えて欲しいと考える人間は腐るほどいるのである。

 

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マイルドヤンキーでもなく、意識高い系でもなく、「ハードニート」@西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)@僻地で生きる





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お仕事は、無職です。
「0」は無限だと信じたい。賽は投げられたのだから。


Lose Yourself , Change Yourself.
(我を忘れろ、クソな自尊心を手放せ、お前の全てを何かに捧げろ。そして己を変えろ。)





「遊び心」「粋」「真面目に不真面目」

(組織と他人に縛られるのが大嫌いな人)


"強くなくては生きていけない。優しくなければ生きている資格がない。"

"世界は変えられなくても、人生ぐらいは変えられる。"

"悪貨が良貨を駆逐する中、悪貨に転じないことが「恥」や「損」であるならば、清濁併せ吞み、仮面を被った「良貨」であり続けるのみ。"

説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-20、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。