THEスクエアホテル、横浜みなとみらいからお届けする。
みなとみらい界隈の景色と、神戸メリケンパーク界隈の景色が好きで周辺のホテルは大体制覇しているというミーハーな男。
それがシックスシグマ、西園寺貴文だ。
個人的に、横浜が神戸より優っていると思う点がある。
それが、神戸は神戸駅にしろ、高速神戸にしろ、三宮にしろ、そこからイクタロードなりDAIMARUなり旧居留地なりを経てメリケンパーク・モザイク界隈までに距離があるということだ。
横浜は違う。みなとみらいまで直通。これが良い。
明治の開国時にもともと旧横浜駅だった桜木町界隈はもちろん、みなとみらい駅もある。
ちなみに、今回も深夜のみなとみらい界隈を電動キックスケーター、「ループ」で散歩していたらパトカーにうろうろ周辺を回られて警戒された。そうだ、深夜の0〜1時にループで界隈してハンマーヘッドでアイスを食っている奴は俺以外にいない。11月だというのに。
成功者の景色というのは素晴らしい。
なんたって、時間と場所が自由だ。仙台、水戸、つくば、小山、東京、横浜界隈を自由に飛び回る。
みなとみらい界隈はもともと一般人が立ち寄れる場所ではなかった。
この景色は造られた景色だ。
1980年代に再開発が行われる以前は、当地に三菱重工業横浜造船所、国鉄高島線(貨物支線)の東横浜駅および高島駅・高島ヤード(操車場)、高島埠頭、新港埠頭などの広大な港湾・業務関連施設が広がっており[6][7][8]、横浜市の中心部に位置しているにも関わらず一般の人々が気軽に立ち寄れるような場所ではなかった。そのため巨大ターミナル駅で市内随一の繁華街である横浜駅一帯(西区)と、横浜港開港以来の中心市街地である関内(中区)の2つの横浜都心(ツインコア)は長らく分断された状態が続いていた。そういった経緯から、それまでの港湾・業務施設の機能を他所に移転させ、横浜都心部の一体化と都市機能の強化を目指したウォーターフロント都市再開発として計画・建設された。
横浜みなとみらい21(よこはまみなとみらい21、Minato Mirai 21)は、神奈川県横浜市の西区と中区にまたがり[注 1]、横浜港に面している再開発地域である。また、1983年(昭和58年)度から現在にかけて整備が進められている計画都市である。都市景観100選受賞地区。略称は「みなとみらい」、「みなとみらい21」、「MM21」など。
1989年(平成元年)の横浜博覧会 (YES’89) 以降、当該地区の開発が本格化し[3]、首都圏の新都心として、さいたま新都心(さいたま市)と幕張新都心(千葉市)に並び重点的に整備された[4]。当地区全域は、横浜市における都心(ツインコア)の一つである横浜都心に指定されている[5]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/横浜みなとみらい21
横浜と言えばこれだ、ランドマークタワーだ。
クリスマスには全館ライトアップしてキャンドルタワーと化す。
大阪のハルカスができるまで日本一だったタワーだ。今、ハルカスと比べても、デザインのオシャレっぷりや周辺環境と比べてもこっちの方がダントツだ。天王寺界隈の汚さと横浜では比べ物にならない。
天王寺は飛田新地に遊びにいく時に寄る場所
このランドマークタワー、ストーリがある。
手掛けたのは現在の三菱地所プロパティマネジメント。
オープンは1993年。
設計は三菱地所設計とザ・スタビンス・アソシエイツ。竣工には大成建設、鹿島建設、大林組、竹中工務店、清水建設のいわゆるスーパーゼネコンを筆頭に計26社。
ハルカスが竣工するまで20年以上にわたって日本一高いビルとして親しまれてきた。ハルカスに抜かれてからは、乱戦模様がすごい。ハルカスの地位は10年持たない、なぜならそれを越す虎ノ門麻布台プロジェクトが森ビルによって進行中で、さらにそれを超える予定の東京トーチタワーが三菱によって東京駅前でプロジェクト進行中。
旧来の管理手法の常識が通用しない超高層ビルとして建てられたランドマークタワー。この自体には今のようなコンピュータもスマホもなかった。開発にかなり苦労しているのだ。
ちなみにこれは上層階に泊まった時の眺め。
最高。
観覧車は00:08に消灯するので、界隈には出来るだけ早めに来た方が良い。
00:00を回ってしまうとあらゆる建物が消灯するので街が寂しくなる。
ランドマーク開業以前のみなとみらい21はだだっ広いだけの空き地であり人の流れなど全く存在しなかったという。
建物というより、街を作ろうというプロジェクト。計画的に、人口の街を作ろうとしたプロジェクトがこれだったのだ。
相応のオブジェクトが無ければならない。北海道や九州沖縄、海外に行かないと無いようなものを横浜に取り揃えればそこそこ成果は出せる。しかしそんなことは東京でやり尽くされていて手垢がついている。それでは遠方からの集客は不可能。だからこそ横浜ならではのオリジナルな付加価値が必要。
横浜は、もともと歴史的なストーリーに溢れた求心力のある土地なのだからそれを活用するほかない。
流行を先追いするのでは東京に勝てないため、今売れているものよりも将来売れるものを取り扱うテナント誘致に重心を置く。もともと横浜に限られているオフィス需要を荒らすようなパイの奪い合いではなく東京に本社を置いている企業を引っ張るようにオフィス賃貸は戦略的に進める。
裏側にはさまざまな苦悩、工夫があったというわけ。
何も無いところから美しいところが創造されていくストーリーは、奇しくも自らの人生と重なるところがある。
「創造の力」が人の力なのかもしれない。
私たちは、人の手が入っていない原野を見ても、何も感動しない。自然な景色で感動させられるものは限られている。
人を感動させるのは、いつだって、人だ。
人生をやり直すとしたら、めちゃくちゃ勉強して、いい大学を出て、不動産デベロッパに入って、まちづくりを手がけるような人間になっても良かったかもしれない。
その手の理想を掲げて建築家などを目指す人がいると思うけれど、安藤忠雄クラスの重鎮にならないとダメだし、安藤忠雄クラスでもやっぱり個人の仕事として手掛けられるスケールは限界がある。やっぱり財閥系の大組織の醍醐味はやってる仕事のスケール感だと思う。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。