ビジネス書を読むことは無駄である
無駄と聞くと、
ゴミ本が多いから、確率的に当たりが少ないから
と思うかもしれない。
確かにそれはある。
それはそうだろう。
しかし、本質はそこじゃない。
問題は、
- 安すぎる
- 誰でも手に入る
ことにある。
仮に良いとされるビジネス書があったとしよう。
どうなるか?
みんなに推薦される。
ベストセラーとして目立つ場所に置かれる。
内容が拡散される。
こうして、
「既知の内容」
となるのである。
知っていて当たり前の話となるのだ。
よって、
ビジネス書にはこんな矛盾がある。
ビジネスで卓越したいはずの奴が読んでいるのに、いつまでも卓越しない
ビジネス書は、
読めば読むほど、負の循環に陥る
というか、
文系関連の書物は全体的にそうである。
ビジネス書を読むときの卑しいマインドである、
- 利益を得たい
- 出世したい
- 役に立つ話が欲しい
みたいな発想を捨てて、
もはや
「何の役に立つのかわからない」
みたいなものをダラダラと続けて、その先にある偶然の出会いに期待するしかない。その意味で、読書とは、自分で選ばずに、「とにかく知らないことを知っていく」ぐらいのプロセスで、時間をかけた営みをしないといけない。
その意味で、非常に退屈な作業であろう。
PS
もちろん、学生は読めばいいと思うが
平均以下だと自負がある人は得るものが多いだろう
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。