何を信じれば良いか、誰を信じれば良いか、わからなくなった時に。トルコ人友人女性が幼馴染に裏切られた話と「誰も貴方のことなんて気にしてない」ってことと

 

20代に突入すると、必ずどこかのタイミングで、

  • 何を信じれば良いかわからない
  • 誰を信じれば良いかわからない

ということを感じるタイミングが来ます。

 

私にもありました。

 

今回は、何を信じれば良いか、誰を信じれば良いか、わからなくなった時に読みたい至極のコンテンツをお届けします。

 

少々角度は異なっているかもしれませんが、

結論から言うと、

「誰も貴方のことなんて気にしてない」

が答えになります。

 

何を信じれば良いか、

誰を信じれば良いか、

とかそういうもの以前に、貴方は実際以上に、孤独の中で生きています。

人生をソロプレイしているのです。

 

だからこそ、それを逆手に取って、好きなように好きなことをやる、が1番です。

(好きなことで食っていく、という話ではありません)

 

人生楽しそうな人たちは、自己完結的な部分を持っています。

もちろん、社会で生きる以上、他人の関心や評価は欠かせませんが、あまりそこに心理的に入れ込むことはなく、ゲームを構成する要素の1つとしてのレスポンス、ぐらいの淡々とした割り切りがあります。

 

想像以上に、世の中の人は貴方のことを気にしていません。

人が他人のことを強烈に気にして頭がいっぱいの時なんて、片想いの恋愛中ぐらいです。

 

世の中の人間の6割はまず、貴方のことを気にしていません。貴方が友達だと思ってる人たち、自分にアテンションが集まってるだろうと思ってる人達ですら、です。

無関心というやつです。

 

残り2割はどちらかというと貴方のことが嫌いです。

残り2割はどちらかというと貴方のことが好きです。

 

好き嫌いを合わせても、貴方に対して強烈な関心を寄せると考えられる層は、貴方のことを知っている人たちの中でも「好き嫌いを合わせて」せいぜい1割ぐらいです。

 

しかも、「好き」の中にも、

  • 利益になるから好き
  • 利用価値があるから好き

といった類が多く混入しています。

例えば貴方が社長なら、取引先・得意先から「あそこの社長をどうやって口説くか・・・・」などと考えられてるでしょうし。美人なら、勤め先で、「ヤリテー」ぐらいには思われてるかもしれません。

 

ここに、炎上マーケティングの有効性の根拠があります。あれは、「大いなる無関心」と戦っているのです。

 

10代というのは、大いなる自意識過剰の時期です。

仕方がありません。

周りにいるのは保護者ばかりだからです。

友人、家族、地元といった味方が多い環境です。

 

これが、20代になっていくと、だんだん変わります。現実を知ります。

 

まず、親元を離れます。

 

世間は貴方の親じゃありませんから、大いなる無関心と戦うことになります。

やがて、友人たちは結婚していき、アテンションはそこに取られていきます。

また、友人の中でも、結構アホな人達が率先して親になっていく姿を見て、世の中の命が誕生する原理や親という存在の生成原理が割と薄っぺらいものであることにも気づいていくでしょう。

 

割と結婚や出産はノリなのです。

 

やがて、自分の親という絶対視していた存在も、貴方がどれだけ親に甘やかされていたかによりますが、親も親で自分の都合で産んだことがわかるでしょう。

まさに貴方が、

 

1人は嫌だ

結婚しないと出遅れている気がする

寂しい

とりあえず親になっておかないといけない気がする

 

という発想で、結婚を考えたり、結婚したように。

 

私はこれまでに万を超える読書をしてきましたが、これまで読んだ本の中で心に残っている言葉として、ドイツの偉人であるゲーテの、

人生で最も役に立つ教訓は、周りの人間は誰も貴方のことなんて気にしちゃいない

というものでした。

実は、人がコドモから社会人になる過程で、「自立」を獲得する過程は、

 

  • 物理的自立 (親元から離れる、一人暮らしを始める)
  • 経済的自立 (働き始める)

 

を通して、ある種の「周りの人間は誰も自分のことなんて気にしちゃいない」という諦観を獲得する過程でもあります。

 

 

誰を信じて良いかわからない

何を信じて良いかわからない

 

そう思った時、貴方は、誰かに対して、何かに対して、

自分に都合が良い利益だったり、

関係だった理、保護だったり、

喜びや優しさの提供だったり、

自分を自分の望ましい方向に導くものだったりに対して、

 

「自分が思うほど、そうではなかった」

 

という現実に落胆し、自分が今まで抱いていた期待や思い込みが音を立てて崩れていくのを前にして、急に視界が真っ暗になっているような経験をしているはずです。

 

 

私の友人のトルコ人女性の話をしましょう。

彼女は、最近、幼馴染の友人に裏切られました。

ずっと幼馴染で仲良しだったはずの友人に、裏切り行為を働かれたのです。その背後には、「女の嫉妬」というものがありました。男を巡るイザコザがあって、妬みや恨みで長年の友人と思っていた人に攻撃されたのです。

彼女はこれを前に衝撃・ショックを受けていました。

そして、こう言ったのです。

 

世の中の人間は自己中すぎる

 

彼女は年齢が20代前半の学生です。

これから、学生を卒業し、社会人になっていくフェーズですが、まさにこういうショッキングなイベントを数多く経験することになるでしょう。

 

Everywhere is the same.

 

国や場所を問わず、男女ともに、好きな人を寝取られたとか、浮気されたとか、そういう経験を通して物の見方を改めていくことになるでしょう。

 

 

男性であれば、早くから一人暮らしを経験することによって、社会には大いなる無関心が蔓延っているということに気づき始めることができます。

男性にとって20代の10年は成長の10年です。

これはキャリアやスキルの文脈で語られることが多いですが、1番は「精神的な成長」が大きいと思います。

 

No one, cares about you

を肌で学ぶのです。

 

恋とか友情、家族愛のような

ゲマインシャフト的繋がりの崩壊を経て、

ゲゼルシャフト的繋がりに慣れていきます。

 

特に、親が裕福で、比較的甘やかされたが、社会に出て1人で自立すると生活水準がガクッと落ちた、という場合にはその落差も相まって社会の厳しさに揉まれていきますが、20代の10年間を通して慣れていきます。

 

 

これに対して、女性の場合、ある程度の水準のルックスを保っていると、25歳くらいまでは無条件である程度の関心の対象になります。

街を歩けばナンパされるでしょう。

職場では下心が隠れたアプローチを受けるかもしれません。美人というだけでチヤホヤされることもあるでしょう。

 

 

しかし男女ともに、基本的には年齢を重ねるたびに大いなる無関心の世界に突入するのです。それに対する期待値と実際のギャップに慣れていかないと、どこかで落胆するタイミングがあると思います。

 

 

どんなどうしようもない人間も、生まれた時は可愛い赤ちゃんです。

周囲からの関心を受けて育ちます。それが無ければ生きられません。

大なり小なり関心を受けて育ったから、死なずに育ったのです。

 

 

これがやがて、そういう関心を受けなくなっていく。

 

 

赤ちゃんとおじさん・おばさんでは無条件存在価値が違うのです。

逆に言えば、人は赤ちゃん・子供を抱えて「保護者」というポジションを確立することで、中年以降の自分の存在意義を得ようとします。

 

 

関心と無関心は成長プロセスでも多いに関係しています。

 

思春期はどうして、鏡の前に立って異様に髪をセットするのか。

傷つきやすいのか。

死にやすいのか。

 

思春期というのは、親や親戚といった身内からの関心と、学校社会で経験する一つの社会の中での自分の立ち位置と関心のギャップで揺れ動く時期です。

親はチヤホヤするのに、学校社会ではそうでもない

というギャップによって、親が嘘くさく感じたり、その愛情や優しさに怪訝な目を向けて反抗的になるのです。

 

また、自分が何なのかもわかりません。

アイデンティティーを形成していく時期です。

 

アイデンティティーの形成は10代でおおよそ固まっていきますが、

社会的な立ち位置・社会的に自分が何者でどの程度であるか(そしてどういう結末を迎えそうか)を気づくのには平均的に25歳くらいまで待たなければなりません。

 

ある意味で、10代、20代前半の男女がキラキラしているのは、

不確定要素や曖昧な要素の中で、漠然と将来や自分にまだ夢や希望が抱けるからです。

 

自分とは何者か、というものが見えないからこそ不安定ですが、

それゆえ、自分や自分の将来にexpandする余地があるのでキラキラワクワクしている。

 

逆に自分が固まってくる(=身の丈を知る)ほどに、

精神は屈強になってきますが、

頑固になり、素直さを忘れ、未来に希望や楽観ができなくなっていくというか、

ほどほどに諦観を持つようになり、未来も容易に予測できるようになります。

 

 

これに向かう過程として、

初期フェーズの思春期は非常に心が不安定です。

 

自分を産んだ家庭という世界と、

学校を通して経験する社会世界との間で揺れ動くのです。

 

好きな女の子や好きな男の子の関心を得られないのに、

おうちに帰るとパパママからは関心を惹けてしまうことのギャップが苦しいのです。

 

 

パパやママが最もうざったくなる瞬間とは、

息子がシンガーソングライターを目指して一生懸命路上ライブをし、

手売りでCD販売をするが全く売れないで落胆していたところ、

初めてCDが5枚売れて、

感極まって意気揚々とお家に帰る途中、

実はママが知り合いに頼んで買わせていた、というシーンを目撃し

激怒する、みたいなところにあるでしょう。

 

 

これが、親の愛情と、子の気持ちが対立するわかりやすいシーンです。

 

 

あるいは、好きな子に振られた後、おうち帰ってママに慰められるシーンでしょうか。

 

 

親は自分のことに関心を向けてくれるのに、学校という世界は必ずしもそうではない。人気者とそうじゃない者には明確な差がある。お母さん・お父さんは甘やかしてくれても、クラスの意中の女子・男子は冷酷な対応をぶつけてくることもしばしば。

また、モテる・モテないの差があったり、自分の種としての優劣や選別にも直面します。だんだんこれに慣れていくのですが、就活時期の大学生などはパンパンに破裂した自尊心バブルが就活で落ちまくることによって破裂し、自分が期待していた期待値と実際のギャップで「バブル崩壊」してそのまま自殺してしまうのです。

 

親はハッキリと言いませんし、

先生もハッキリとは言いませんが、

よほどの馬鹿ではない限り、

時間をかけてゆっくり・ゆっくりと、

 

無条件で存在価値が認められることはない

という現実、

 

それ以前に社会的立ち位置の確立なくして物理的・生物学的に生存・存在できない(食っていけない)

という現実、

 

 

何より、

この世は競争原理の社会

という現実に慣れていきます。

 

 

もちろん、これは誰かがハッキリ突きつけるものではありません。

あまりにも劇薬で、心が弱い段階でいきなり摂取すると、絶望してメンタルヘルスに悪い。

 

 

だから、誰もが、時間をかけて、ゆっくりゆっくりと習得していくものです。

ゆっくり、ゆっくり慣れていく。

 

 

逆に、鈍感な層、鈍感で何も考えないまま大人になった層には、過激なコンテンツが効くのです。

カイジ 「命より重い! 」お金の話

 

 

小中学生の頃、同級生はみんな同じです。同じようなことをやっています。

逆にいうと、みんなと同じことをやっていないタイプが、

本田三姉妹

とか

石川遼

とか

イチロー

とか

大谷翔平

とか

あいみょん

みたいな、大人になって羨望を集めているタイプになっていくのですが、基本的に小中学生は足並み揃っています。

ただし、学歴エリートコース、教育熱心コースだとじわりじわりと差がついてきています。某塾講師によれば、「東大受験対策は高校からやってどうにかなるものではない、遅くとも中学時代から始めなければならない」とのことです。

こう言うと、「高校から対策して受かった」というタイプもいますが、実は中学段階で結構下地ができてる、上位だったりします。

中卒で働き始める人もいるので、だんだん、15歳くらいから人生は分かれます。

グラビアアイドルを始める人もいます。

 

 

高校を卒業すると、道が分かれ始めます。

 

おじさんのちんちんをしゃぶって稼いだお金で一人暮らしをしている子もいれば、

今までと変わらず親元で暮らしながら親に買ってもらった車で大学に通って親からお小遣いをもらっている人もいます。

妊娠・出来ちゃった結婚をしている人もいます。

 

やがて、ハタチぐらいになると、同級生や年下の人のテレビスターを見かけることが増えてきます。

25歳になるとそれは顕著で、

20代後半・30歳ぐらいになると

凄い人が大体歳下

という現象と直面します。

30歳ぐらいから新しいことを始めれば、大体、歳下に教えを乞わないといけなくなり始めます。上司が歳下でも珍しくありません。バイトであれば、22歳、23歳ぐらいから勤め先に歳下の先輩がいるようになってくるでしょう。

 

 

おじさんというのは、基本的に立場に固執します。

役職を降りてしまうと、ただのおじさんになってしまうからです。

昨日まで人を引き連れて経費で銀座で飲み食いしていた人が、一瞬でそうじゃなくなるのです。

 

また、女性は女性で結婚に固執します。

大いなる無関心に1人で立ち向かっていく勇気がないのです。

 

 

誰も自分のことなんて気にしていない

その現実から誰もが大なり小なり逃げているのです。

 

 

逆に、

世の中の人の関心がウザい!干渉がうざい!

と思っている人がいるかもしれませんが、そういうのも結局、表面的というか、実際はそんなにだったりするのです。

相手方も、そんなに実際の関心は寄せていない。

むしろ相手方が寂しくて、無関心と戦いたくて、そういう風に積極的に関わってきている場合があります。

 

 

無関心に対するソリューションとして、恋愛や結婚は最適でしょうか?

 

確かに、これらは人を惹きつけます。

特に結婚に関しては、ずっと誰かがそばにいてくれるというコミットメント性、エンゲージメントを感じます。

 

しかし、例え恋愛をしようと、結婚をしようと、

心理的に、

 

自分が思っているほど世界は自分に対して無関心だ

 

ということにどこかで気付いていなければ、どこかで寂しさを感じるでしょう。

あるいは、バブルとバブルクラッシュを繰り返します。躁鬱的になるのです。

 

 

現実を見ている人ほど、

他人からの挨拶や、

何気ない話しかけや、

優しさ、思いやり、

手助け、

仕事上のつながりなどに感謝の念を覚えていきます。

恋愛等に対してもそうでしょう。

 

 

一方で、心は強く持っていかないといけません。

 

 

そしてそれは、「社会の中の自分」という生きていくために必要なものと、もう一方で「自己完結的な自分」というものの二つをうまく使いこなせるようになっていくこと、分別がつくことなどに結実していくことでしょう。

 

 

何を信じれば良いかわからない

誰を信じれば良いかわからない

 

そうなった時、親という存在も結局のところ、自己都合の果てに自分の存在や自分との関係性の中での立ち位置を確立した存在であり、

親元の庇護下で何も考えずまったりと生きていた中で形成した人間関係や友人関係もやがて絶対ではなくなり、

社会は大いなる無関心で回っている、

 

 

そういう諦観の果てに、初めて、新しい自分というか、

大人としての自分というものを考え始めるでしょう

 

 

残念なことに、

一人暮らしを経験しなかったタイプ、

孤独を経験しなかったタイプ、

親元から離れたらすぐ配偶者との生活を始めたというタイプは、

そういう経験を積むことなく、

「終わらない勘違い」の中で生き続けている状態とも言えます。

 

 

しかし、本質的に、

他人との関係性の中で自己を定義することは、

それが全てでありながらもどこか不安定という危うい状態にあるのです。

 

 

思うに、世の中には、

レスポンス(反応・見返り)で生きていかないといけない世界と、

そうではない世界の二つがあります。

レスポンスは、レスポンシビリティ(責任)という言葉とも結びつきます。

 

レスポンスを気にしないといけない領域には、

責任が伴っている。なかなかしっくりくる話ではないでしょうか。

 

 

一方で、そればかりだと心が壊れやすいのも現実です。

本来、LoveやLikeはレスポンスを気にしない世界に用いる方が良いような気もします。

見返りを求めない愛

などと検索している時点で、もしそれが人に向けた話ならずいぶん怪しいと思います。

 

 

貴方には、愛がありますか?

 

 

それと、愛の領域と、レスポンスの領域を完全に分けすぎるのもいかがなものか、と思うのです。

なぜなら、時折、レスポンスの世界では、「そこに愛があるか」を見るような場面が散見されるからです。

変な話ですが、レスポンシビリティを求めながら、そこに愛があるかを見て評価が決まるような部分もあるのもビジネスシーンのややこしいところです。

 

 

評価なんて気にしてたらここまでやれてないぜ!!

という側面と、

評価を全く気にして無かったらここまでやれてないぜ!

という側面が矛盾する世界があるというのもややこしいものです

 

 

 

 


===

西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。