父は農学部だったので最後の招集、昭和20年8月1日に入営でした。で、戦地に就く前に戦争が終わりました。
若い時に仕事で知り合ったシベリア抑留経験者は、技術者だったので、抑留は長かったけど生き延びられたと言ってました。— かげろう (@kagerou2011) May 3, 2022
ホントそうなんですよね。。うちの祖父も召集されて本来入るべき部隊はペリリュー島で水戸連隊(歩兵第2連隊)と共に玉砕した高崎連隊(15連隊)か、高崎の予備役で編成されてニューギニアで壊滅した115連隊だったんですが、土木技師だったので内地に留まって命拾いしました。。。
— Born_in_Joshu (多拠点生活の群馬県民)💉×7 (@born_in_Joshu) May 3, 2022
終戦時30歳だった祖父も技術者だったので、召集されることなく終戦を迎えました。20歳で徴兵され、満州に行きましたが、その時もなぜか関東軍に引き抜かれ、元々いた部隊は南下して全滅し、死を免れたと。絵が得意で、満州では作戦立案の前提となる測量の仕事をしていたそうです。
— おうか (@shidugokoronaku) May 3, 2022
大戦後期になると医学部は意外と招集リスク高めだった
— 濱町爺医 (@vr2idvyauOF8n4p) May 3, 2022
満州医大生だった父は4年間シベリアのラーゲルに抑留され1/3の方が命を落としたそうです
ソ連の参戦が8月9日、ポツダム宣言受諾が8月15日ですが民間人の父は8月下旬に連れ去られ、大学生だという事で、労働は半日で半日は「赤色教育」でしたが、そのため結局帰国できたのは抑留者の中で最後でした
— thmonk (@thmonk_pf) May 3, 2022
https://twitter.com/rpa1234rpa/status/1521433506819485696?s=21&t=EBm_Ljg8DW5JcQx46PTuOg
東京芸術大学の学生は学徒動員で、悲惨な目にあったそうです
— spaik (@spaik5656) May 3, 2022
https://twitter.com/proletariat_o/status/1521443699284004865?s=21&t=EBm_Ljg8DW5JcQx46PTuOg
石油技術者は優遇されたけど、最前線へ……。https://t.co/3wW0TREVOe
— フリッツ (@DlKtKXJ1hq5dbgC) May 3, 2022
文系は今も昔も兵隊として死ぬ宿命
アーティストになれない文系など利用価値がなくゴミでしかない
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。