http://www.aso-taro.jp/lecture/kama/2006_3.html
ニートやフリーターの中でも、追い込まれてならざるを得ない者と、あえて定職を持たないと選択した者とがあるように思います。よく見てみると彼らの共通点は、一般的な家庭で育った一人っ子で、だいたい中学校か高校の時に、成績不振、イジメ、教師との相性等で、学校生活に溶け込めなくなる。それで将来の進むコースは通常のサラリーマンコースから逃れ、音楽のバンドや、仲間とインターネットを始めて、ニート人生が始まっているように思います。「いつの日かプロに・・・」なんて夢は語るんですが、しばらくすると実現できない現実を知り、気がつけばもうサラリーマンコースには戻れなくなっている、といった具合でしょうか。
長々と書きましたが、時代が急激に変化していった時には、いつの場合でも、社会の中で身の置き場に迷う人が多く出たものです。幕藩体制を破壊するのに大いに貢献した官軍側の下級藩士は、近代明治国家の創造後には居場所を失い、無気力になっていたろうと想像します。しかし、当時は貧しく、生きていくのが大変な時代でしたから「武士の商法」とからかわれながらも、皆、懸命に生きて行こうと努力したんだと思います。それに比べ今は豊かです。働く意欲が無いのは中流でなく下流だ、なんて言って煽っても、余り意味がないように思います。
全ての人が「仕事での自己実現を・・・」なんて煽られりゃ、世の中は失意と落胆に満ち溢れる結果しか生まないのではないでしょうか。豊かな時代には、「自己実現」を達成したくて頑張る者は思う存分やればよい。しかし、全ての人に創意工夫を求めて、「自己実現」を要求するのは間違っているのではないかと思います。今の時代は餓死する程の貧しさが存在する訳じゃありません。ニートはニートで彼らのペースで、スローライフをゆっくりと生きて行くことを、世の中が認めてもいいんじゃありませんか。六本木ヒルズに住むのが幸せの証じゃないのはホリエモンの話しに限りません。
「負け組」という言葉も気に入りませんが、80年の人生を終わる時に、「幸せな生き方だった・・・」と感じられる人生は金銭じゃ買えないんではないかと思いつつ、ニートに関する私の雑感とさせて頂きます。(麻生太郎)
意外と知られていないけれども、日本のナンバーツーはニートに寛容っていう。
しかも、ナンバーワンは実際にニートだった時期があるとか。
1954年生
1962-1963 小学2年から3年生にかけて本田勝彦 NHK経営委員、日本たばこ産業顧問(東京大学法学部卒)が家庭教師となる
1964-1965 小学4年から5年生にかけて平沢勝栄 現衆議院議員(東京大学法学部卒)が家庭教師となる
1973 成蹊高等学校卒業(エスカレーター卒業)
1973 成蹊大学法学部入学(エスカレーター入学) ←親に買って貰ったアルファ・ロメオでご通学
1977 成蹊大学法学部卒業(エスカレーターで卒業)
~ニート期間2年~ (親のカネで英会話学校?のち米大学入学 → 退学)
1979 神戸製鋼所入社(コネ)
1982 神戸製鋼所退職
~再ニート期間11年~(親のカネで生活&世襲準備)
1993 親である安倍晋太郎の死に伴い出馬 → 楽々当選!
現在に至る
https://hayabusa.5ch.net/test/read.cgi/news4vip/1393375398/
ニートとかフリーターとか、無職とか、専業主婦とか専業主夫とかぶっちゃけあんまり気にしないで良いんだぜ!!
ただまぁ、この人たちは特権階級すぎるけれども。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。