結婚に対する圧力に困っている全ての男女へ (日本社会の同調圧力に対するプロ、この手の話題に日本一詳しい、救世主参上)

どうも!こんにちは!

結婚に対する圧力に困っている全ての男女へ!

あなたの心が軽くなる話をしたいと思います!

かなり説得力のある話で、洗脳される危険性があるので、注意して読んでください。

 

 

同調圧力に屈しないおかげで成功しました

 

いきなりですが、自己紹介をさせてください。

西園寺と申します。資本家です。

どこかで聞いたことあるかもしれませんが、「資本主義社会」には「資本家」と「労働者」の二つしかありません。私は、運よく若い頃に、

資本家サイドに行かないと時間とお金の両方が手に入らない

と気づいて、稀有なキャリアを歩んできた人間です。

 

まぁ、こんな話はどうでもいいのです。

今回したい話は、結婚の話です。

 

私は若い頃から、

「周りの同調圧力」

というものと常に戦ってきました。

 

私の人生は、同調圧力との戦いだった、と言っても過言ではないでしょう。

 

親戚の葬式で人間一匹死んだところでなんでこんなに大袈裟なんだよと悪態ついていたらものすごい圧力をかけられたり。

中学生ぐらいから「冠婚葬祭は無駄」って言い続けてますからね。

 

同調圧力がどのように襲ってきて、それをどのようにクリアし、その先に何が待っているのか、・・・・そういうものに対する、人生経験が人の100倍くらいあります。

 

ところで、あなたは、今、結婚に関する同調圧力に苦しんでいませんか?

 

 

結婚と就活、進学に関する同調圧力

 

日本人が、はじめて自分の人生を選ぶのは、高校受験の時です。

高校、大学あたりまでは良いでしょう。

問題は、就活の時期からです。

 

就活の時期ぐらいから、私たちは、「自分で考えて」自分の道を選ばなければなりません。

そして、その選択次第で人生は分かれます。

 

若い頃は、自分の人生に夢いっぱい。

当然、正解を選びたい。

でも、自分の人生を自分で決める経験が足りてない。

世の中を知らない。

怖い。

周りに遅れたくない。

失敗したくない。

 

・・・・・・・・いろんな不安が襲います。

 

最初にやってくる人生の試練は就活。

その次は、結婚じゃないでしょうか。

 

 

結婚はするべきなのか?しないべきなのか?

 

結婚に関する悩みは、大きく分けて2つあります。

それが、

  1. 結婚するべきか?しないべきか?結婚がよくわからない・・・・という、結婚そのものに対する問い
  2. 結婚する相手が見つからない、今の相手と結婚するか悩む、相手が結婚してくれない(煮え切らない)というような属人的な問い

でしょう。

 

結論から言っておきますが、結婚するべきか・しないべきかという問いに絶対的な答えはありません。そして、それが良いものか、悪いものかという絶対的な答えもありません。

賛否両論、悲喜交々なのはわけがあります。

 

まず、ここに絶対的な正解・不正解があると考えるのはやめましょう。

今すぐに、です。

 

そう考えてしまったら、自分が選んでいる道が正解なのか、不正解なのか、気になってしまいます。

自分が間違えているような気になって、不安になります。

 

 

結論から言っておくと、素晴らしい相手と出会って結婚すると(それは貴方が素晴らしい人であることも意味します)、幸せだと思います。知らんけど。

 

結論から言っておくと、素晴らしい職業、素晴らしいパートナーとマッチングすることは至福の幸せです。

これは間違いありません。

当たり前すぎる話です。

 

歌手になれたらいいよね、

プロスポーツ選手になれたらいいよね、

レベルの話です。

 

なんでもそうですが、物凄く心に「ピタッ!」と来るものを選ぶと、それを生涯やり続けることができますよね。いろんな苦難を乗り越えることができます。

 

結婚の話は、就活の話と似ています。

例えば、「サラリーマンになる」ということを考えた場合、超有名外資系金融機関だったり、日本の有名商社に勤めるようなことと、地方で変なブラック会社で薄給リーマンやるようなことを同じにはできません。

表面上は、「サラリーマン」という枠で同じに見えるから厄介です。

Fランと東大が「大学」という枠で同じなのと同じです。大学と言っても、ひどいところだと大学で中学数学やってますからね。一昔前に、「割り算のできない大学生」「分数のできない大学生」というのが話題になりました。

 

要するに、個別選択の話です。

銘柄によるわけです。

 

この選ぶという行為の重要性はみんなわかっているでしょう。

だから、就活でも結婚でも、血眼になって良い物件を探します。

 

しかし実際のところ、選ぶという行為は、選ばれるという行為と表裏一体です。

結婚の類のテーマに苦労している人は、この「選ぶ」・「選ばれる」について、よくわからないというか、暗中模索感があるのだと思います。

 

サクッと結婚している(苦労していない)人たちは、

  1. 選ばれる力があり、自身も選び取った
  2. 選ばれる力があり、自身は特に選んでない
  3. ほどほどに選び、選ばれ、結ばれた

というような人たちであり、さらに、根底にある結婚観や価値観などで、結婚相手と特に支障をきたすことのないマッチングをした人たちです。

こういうのは、就活でも結婚でも、一定層います。

 

そして、良かった・幸せだ、と思ってたり、可もなく不可もなしと思ってたりする層は、ある程度いるわけです。

 

もっと難しいことを言うと、

  • 仕事
  • 結婚

に関しても、特にこだわりが無く物事を選ぶ人たちもいます。

 

問題は、こういった層がその他大勢に及ぼすインフルエンスです。

 

昔、現在の上皇后陛下、すなわちミッチーさんが「ミッチーブーム」というのを起こしました。当然、あのような凛とした佇まいを真似ようとした女性がいたことでしょう。キムタクは、キムタクヘアーブームを起こしました。赤西仁も同じことです。安室奈美恵のアムラーとか、枚挙にいとまがありませんけれども、マスコミが強かった時代はそういうムーブメントが起こりました。今は子供達がヒカキンの真似事をしてyoutubeに動画をアップしています。高校〜大学生はインスタでインスタグラマーの真似事をしています。

 

実は、一般ピーポーの普遍的な普通の営みも似ています。

  • 就活
  • 結婚

の類にも、このような現象があります。

 

影響というか、真似事は連鎖します。

 

私が常々思うのは、社会はピラミッドであるということです。

就活や結婚というのは、「普通」の営みであるとされています。

 

しかし、冷静に考えてみると、どう考えてみても、統計上「普通」の人たちが、ダラダラサラリーマンやったり、結婚しても、幸せになれるわけはありません。幸せになれるわけはない、というのは言い過ぎですが、人生で摩擦だとか、不自由だとか、苦しみが増えるのは事実でしょう。

 

理由は単純で、likeとlikeがマッチングして、幸福感が持続することは大変難しいことだからです。

何より、「like」のものを選んだ結果、周辺で「dislike」なものが増えるというのは、往々にしてあることなのです。

 

好きなことを選ぶと、嫌なこともセットでついてきます。

「ハッピーセット」を選ぶと、中にアンハッピーな単品が紛れ込んでいる。

 

我々は資本主義社会の中に生きており、お金がないと生きていけず、そして結婚の本質は(交際と比較すればわかりますが)、民法上の金銭契約です。法的な拘束です。この手の現実的な話には、dislikeなマターが多種多様あり、そういうものが付きまといます。また、結婚という「ハコ」が社会的なものである以上、法的な拘束に加えて、あらゆる結婚に関する「社会的なプロトコル」がセットでついてきます。その圧力、暗黙の義務、そういうものはつきまといます。

基本的に、私たちの制約条件である、お金、仕事、労働、そういう外せないものを前提において考えた時、どう考えても結婚のテーマには「お金」という話が出てきます。実際、特に女性たちはマネタリーなことをしっかりと考えているはずです。

若いうちは、お金・仕事の部分で固まってる部分が少なく、失うものもなく、柔軟性があって柔らかいので、早いうちに結婚をしておくと、それにフィットするようなキャリアが自然と出来上がって生きます。

これは、容器に大きい石を先に入れて、小さな石、砂利、砂を流し込んだら全部入るのに対して、順番を逆にしたら収まらない・・・みたいな話と似ています。

 

このように、タイミングよりけり、みたいなところもあります。この辺りが問題を難しくさせます。すなわち、固定的な視座から仕事や結婚は語れない。ある種の時間論でもあります。年齢論でもあります。

言語学習やスポーツも同じことです。

同じ10年かけるとしても、どのタイミングに持ってくるかで歴然とした差があります。

 

ジャニーズの結婚が遅いのは、若くて地位が不安定な段階に結婚マターを持ってくると、下手すると人気が落ちるかもしれないし、そもそも芸能人という不安定な職業で職業的安定を築かないと、人生の根っこが危ないからであり、ある程度キャリアを積んだ後だと色々と出来上がっているものが多くて難しいからです。

しかし、サラリーマンにこの手のことは関係ない。この両者を、「年齢」という共通の尺度だけで、「●●歳だから・・・」と考えるのはナンセンスです。例えるなら、女医の30歳は若いですが、地方高卒薄給OLの30歳はなかなかの年齢であるのと同じです。40歳の男性政治家は若いですが、40歳のニートはなかなかやばいのと同じです。

私はお金があれば・・・なければ・・・という浅薄な話をしているのではなくて、結婚というのがある種の、複雑な連立方程式であり、考慮すべき項目が多いのでややこしいということなのです。

一般解にできないのです。

特殊解なのです。

 

お金マター、仕事マターはある程度一般解です。なぜなら、みんなお金は必要だからです。そもそもお金の本質は、汎用的な可換性にあり、好きなものと変えられる。

しかし、結婚マターは特殊解です。

 

知り合いのあの子が結婚した、幸せそうだ、で焦るのは浅薄です。

なぜなら、知り合いのあの子と貴方が置かれている状況は違うのです。

 

知り合いのあの子の人生には「他に何もない」かもしれないのです。

結婚が唯一の、人生のQOLを上げるチョイスなのかもしれない。

 

多くの人たちの共通理解として、「良い結婚」「良い就職」をすることが幸せであるというのはその通りで、それを実際に達成している人たちがいるのも事実であり、

好きな人と結ばれ幸せな結婚をする

好きなことを仕事にして成功し幸せになる

というのは当たり前すぎる解であり、ある種、小学生レベルの考えです。

議論する余地もない話なのです。

 

そりゃそうだ、なのです。

 

大人はもうちょっと、深い入りして考えないといけない。

色々と周辺にややこしいことがあるから、大人はより難しい視点で物事を捉えている。

「結婚」「就活」というテーマそのもの自体に対する禅問答にすり替えられていますが、実際のところは個別性が強い、そして考慮すべき範囲が広い世界、時間論(どの時勢かでも事情が動く世界)です。

簡単に言えば、

  • 中卒
  • 底辺職
  • 若い女

みたいなステータスで、「これ以上落ちようがない人」は、結婚に対して「GO」でしかありません。前向きに取り組むことが絶対善です。良い方向にしか転びません。結婚することでプラスになることが多い、というかプラスばかりです。何より、若い時ほど上手くいきやすい。結果的にグイグイになります。

 

これは、実は数学の問題です。ロジカルシンキングの問題です。集合の問題です。

 

 

幸せとは?

 

幸せというのは、基本的に難しい問題です。

飼い犬に美味しいドッグフードをあげたら、犬は尻尾振ってハッピーです。

同じように、刑務所の囚人にマクドナルドを差し入れたら、囚人はハッピーです。

 

イスラム教徒は、厳格な教えを実行している国では、女性が肌を外に全く露出しません。そのため、男たちは女性の足首がチラリと見えただけで異常に興奮し、シコリだす人もいるそうです。

ちなみに、ヨーロッパでイスラム教徒の難民が、欧米人をレイプする事件が社会問題になったりしていますが、あれは、イスラム教徒男性の視点から見ると、「欧米的価値観に染まった女たち(日本も含む)」がビッチに見えるというのも大きいです。

 

状況によりけり、人の感じ方は違うという話です。

私も、小学生ぐらいの時は、コンビニにおいてある少年誌の巻頭グラビアがあまりにも刺激的すぎて、思わずボッキし、ポケットの中で大きくなったペニスをこすってしまったことがあります。

ちなみに今は、巻頭グラビアを見ても何も思いません。

 

薄給で刑務所の囚人のように暮らしていて、毎日家と職場を往復し、不味い飯を食べて、寂しさに打ちひしがれそうな人が結婚したらハッピーです。なぜなら、家でご飯を食べ、「美味しいね」と言い合う相手がいたり、ゲームしたりテレビ観たり、一緒に遊びに行く相手がいて、エッチも無料でし放題で寂しくないからです。

 

人が「幸せ」と言ってるのを見た時、そして、その幸せの源泉となる「ある程度誰にでもできる選択」を自分がやっていない時、人は不安になります。

 

 

至上の最適解は、他の苦しみを超越する「これが好き」「この人が好き」

 

長い目で見たとき、

  • これが好き
  • この人が好き

というのは最適解です。

そのほかの苦しみや嫌なことを超越する、乗り越えられる強いlikeの感情です。

それさえあれば、他に何も要らない・・・・とまでは言わないまでも、負の物事を乗り越えられる強い気持ち。

 

好きなことがある。それをやる。シンプルな話です。

好きな人がある。結ばれる。シンプルな話です。

 

やればいいじゃないですか。

もちろん、失敗するかもしれない。でも、失敗しても良いじゃないですか。

破綻して砕け散ってもOK。

 

好きという気持ちだけで正解。

 

ミュージシャンになりたい。30歳までミュージシャンを目指した。なれなかった。失敗した。砕け散った。それでいいじゃないですか。

好きな人と一緒になりたい。一緒になった。一緒になれなかった。失敗した。砕け散った。それでいいじゃないですか。

 

実際のところは、これは困難です。

果たして、どれだけの人が、それをベースに仕事を選べているでしょうか。

Loverを選べているでしょうか。

 

失うものに対する覚悟はあるでしょうか?

 

 

好きとは身を焦がし、人生を狂わせるもの

 

「好き」とは、身を焦がし、人生を狂わせるものです。

熱狂に身を投げることです。

私から言わせると、覚悟がいる行為です。

 

22歳の時より、32歳の私は恋愛が難しくなったわー

16歳の時より、26歳の私は恋愛が難しくなったわー

と言っている人は、22歳の時よりも、手放したくないもの、守りたいもの、プライド的にできないこと、そういうものが増えたのではありませんか?

 

私は、好きという感情に、優しいイメージや癒されるイメージは感じません。冷や汗を感じるような、ピリッとした緊張感を感じます。

  • 好きなことがしたい
  • 好きな人と結ばれたい

みたいなことを言っている人を見るたびに、私は疑問に思うことがあります。

その人がU-25なら良いですけど、Over25で意味もわからず言っている人なら、

official髭男dismのpretenderのごとく、「好きって無責任に言えたらいいな」

と思ってしまいます。

 

好きを楽だと勘違いしているのでしょう。

好きなこと=楽だと考えてる人って、人生経験貧弱すぎやしませんか。

 

太陽に近づきすぎた英雄は蝋で固めた翼を焼き尽くされて地に堕ちるのです。

好きというのはある種の地獄です。hell roadです。hell roadに突き進んだら、その道を天国に帰るためにはKeep goingしかありません。ひたすら突き進むしかないのです。命尽き果てるまで、です。力尽き果てるまで、です。

 

そうでなければその道を選んだことは成功に転じません。

もし、好きなことを選ぶことにそういう苦のイメージが無いという人は、貴方の代わりに誰かが地獄を引き受けていたということなのです。

好きに覚悟のイメージが伴わない人たちは、誰かの傘の下で好きをplayしていた。

 

 

好きという言葉が隠す「義務」「責務」へのイメージ

 

好きという言葉には、「好きなようにやる」ということを、暗黙のうちに含意している人が多いようです。

はっきり言って、好きなことにガッツリ身を投げるということは、これまで、好きなように取り組んでいたことが、

  • 義務
  • 責務

としてのしかかるようなもので、ある種、liabilityです。

要するに借金です。

好きな人と結ばれる、好きなことを仕事にする、その類のことは借金を背負うことと同等です。

好きなことが借金に変わってしまう。

 

借金の正式な定義は、未来が拘束されることです。

未来において、「pay for 好き」が確定されて、犠牲を支払うことです。

不自由になることでもあります。

好きなことに拘束される不自由を楽しむのです。ある種、M(マゾ)になるようなものです。

 

貴方がこれまでに好きだと思っていたこと、好きだと思っていた人は、

  • 好きな時に距離を近づけられるから
  • 好きな時に好きなようにできるから
  • 好きなようにできるから

という、「自由性」がもたらしていたものかもしれません。

自由にやれていたから好きだっただけかもしれませんよ。

好きなゲーム、好きな映画、好きな本、明日から毎日8時間読めと言われてつらくないですか?

それは偽物の好きです。本物の好きは、距離感ゼロでずっと拘束されても好きでいられるもののことを言うのです。好きなようにいかなくても好きでいられるものを言うのです。

 

 

ついつい忘れられていますが、つい最近まで結婚とは女子にとって就職でした

 

世の中には稀に、

  • 旦那さんのためにもっといい女になる
  • 旦那さんのために家事頑張る
  • 旦那さんのために料理頑張る

みたいな感じで、旦那のために自己を律するというか、自己規律のようなものを意識している女性がいます。

すごく幸せそうにして。

 

パッと見、すごい良いこと言っているように感じますよね?

良い奥さんという感じでしょうか。

 

私が見てきた限り、結婚してその手のことを言う女性たちは高確率でキャリア貧困でした。

すなわち、「就職」なのです。

就活したばかりのフレッシュマンが言ってることと大体同じです。

 

女性の社会進出が増え、専業主婦世帯が70〜80年代と比べて半減したから、だいぶ結婚に付きまとうイメージは変わりました。しかし、割と最近まで、結婚とは女子にとって「就職」と同じことだったのです。

世間一般の就職を考えてみてください。

人は職を得たら、

  • 周りに評価されるように頑張ろう
  • 馴染めるように頑張ろう
  • 自分のスキルや能力を向上させよう
  • もっと仕事頑張ろう
  • クビにならないように頑張ろう

というように、自己啓発・自己規律しますよね。

なんというか、発奮します。

気合が入ります。

(で、20年後に早期退職の勧告に戦々恐々するわけですけど)

 

これと同じことが結婚に混入している場合もあります。

 

もはや死語ですが、昔は花嫁修行なるものがあったのです。

 

結婚が女子にとって就職の感が強い時代は、女子は必死に家庭向けに自分をカスタマイズしたものです。

そして、時代が移り変わり、一般男性向けにそれが厳しいとなると、社会向けに自分をカスタマイズしないと生き残っていけません。

この中間で宙ぶらりんになっている人たちが現代で結婚難民になっている印象です。

 

すなわち、

  • 自由を求める(不自由は無理)
  • 家庭向けにカスタマイズは嫌、家庭という就職先に服従するのは嫌
  • かといってバリキャリを目指すわけでもない
  • いい年齢になってしまった
  • 好きな人と結ばれたい(でも覚悟はない)
  • 孤独は無理だけど、不自由な家庭拘束も無理

という感じでしょうか。

 

 

好きの一点を貫ける覚悟と実力があれば人生悩まないのだよε- (´ー`*) フッ.

 

人生は、好きの一点を貫ける覚悟と実力があれば、悩まないようにできています。

覚悟があれば、やり通せるでしょう。

失敗して砕け散ってもそれはそれでOKでしょう。

シンプルです。

 

実力があれば、好きを成功や成果に近づけることができるでしょう。

 

すなわち、強い気持ちか能力です。

 

問題は、たいていの人にはそれがないのです。

 

25歳になって好きなこと探してる人は、過去25年好きなことが見つからなかったのに、というか続けてこれるものがなかったのに、これから探してこの先25年で好きなことが見つかるかどうか、いつ見つかっていつからスタートしてどれだけ続けられるか、胸に手を当てて考えてみたほうが良いでしょう。

人生、逃げることは大事。

諦めることは大事。

でも、逃げグセや諦めグセがついているかもわからない。

 

好きなことをやることも同様ですが、

「好きなこと」

「これだと思えること」

を探して彷徨う時点で、「借金を抱えている意識・積み増している意識」は持っておいたほうが良いです。保留して、人生をニュートラルにして何かを探し求め彷徨っている間は借金が増えています。これを後で挽回しないといけないのです。

見つかるかどうかわかりません。

でも見つからなくても、そのツケは支払わないといけません。

見つかったとしても手遅れで終わるかもしれません。

 

好きなことをやることは危険ですが、

好きなことを探すのはもっと危険です。

前者はぶつける・向かう対象が既にあるからです。

 

多くの人は、熱を向ける対象が、人がいないのです。そうなってくると、一気に、物事に対する考え方が現実味を帯びてきます。あらゆる条件を考慮するようなやり方になってきます。条件マッチングになってきます。

 

 

完璧な条件によるマッチングを求めた先にあるもの

 

完璧な条件によるマッチングの先にあるもの、知っていますか?

物件選びにせよ、

仕事選びにせよ、

恋人選びにせよ、

完璧な条件マッチングの先にあるものは何か。

 

微に入り細に入り、事細かな条件調整の果てに選んだものというのは、「神経症」の大作のようなものです。ものすごく繊細なチューニングの果ての作品。ものすごく儚くて脆い。

少しでも穴が出てくると、一気に不満が出てきます。

全部が少しずつズレてくると、心象も変わります。

 

何より、満遍なく揃ったものというものは、徐々に満遍なく飽きてくる。

ふとぽっかり、空虚な感じがしたりする。心を埋めるような熱情や熱狂を欲しくなってきたりする。

 

 

実家が理想郷過ぎたんじゃない?笑。

 

結婚に対する幸福度が高い人たちには特徴があって、実家があまりにも不遇だったというパターンです。

これは一人暮らしに対する幸福度が高い人もそうだと思います。

 

(私からすると信じられませんが)、世の中には、結婚してから初めて実家を出る人がいると言います。

 

よく言う話ですが、

  • 高校
  • 大学
  • 実家

というのはファンタジーの世界というか、世間とは隔離された世界です。

基本的に教師は変な人がやる仕事で、実家の環境や貴方の親は貴方に対して世界一関心がある・愛情がある人たちです。

ここに浸って、ここに基準を置いたら感覚狂います。

 

シャバは逆です。

真逆です。

シャバは学校の教師とは比べ物にならない有能な人たちが仕事をして税金を納め、大学の教授とは違うロジックで考え、貴方に興味も愛情もない人たちが溢れかえっています。

これが普通です。

これが基準値です。

 

田舎のマイルドヤンキーとかは、地元で生まれ育った仲間をファミリーのように扱い、大人になっても疑似家族的な関係を維持することでお互いの穴を埋めあっています。

しかし、上京すればわかりますが、基本的に知らない人とすれ違いざまにぶつかっても謝りませんし、路上で苦しそうにしている人に対しても誰も声をかけません。

元モー娘。の吉澤ひとみのひき逃げが昔、話題になりましたが、悪質な運転だけではなく、人が引かれた後の周りの「無関心ノーリアクション」に全国から驚きの声が寄せられました。

でもこれが、東京基準です。普通です。

これぐらい、他人に関心がありません。ノータッチです。

(私も上京して驚いた派ですけど)

 

あっ、そうそう。

このように、

  • 東京か地方か
  • 関東か関西か
  • 地方都市か、もっと田舎か

によって全然、話というか事情は違うので、このあたりも考慮したほうが良いですよ。

日本は地域格差、世代格差、学歴格差が大きい国です。

 

どこに基準値を置くのかは大事です。18歳から一人暮らししてる人・社会に出てる人もいれば、28まで実家暮らししてる人もいるのです。

 

実家が快適すぎると、結婚した後に不満を抱きやすいでしょうね、きっと。結婚前に一人暮らししてない人は、結婚に不幸を感じやすいでしょう。

 

実家があまりにも快適だった人は、実家と同じことを結婚で再現しようとします。

しかもいきなり再現しようとする。

 

そもそも、自分の両親が結婚した年齢や、自分が物心つき始めた時の年齢などを考慮せず、40代〜60代のキャリアの円熟味に差し掛かった両親の基準値や、両親が実現したものを、駆け出しの年齢の自分が相手にも自分にも求めてしまう。

そういうことは往々にしてありけり、でしょう。

 

両親は大事にしたほうがいい、とか世間で言いますが、若い頃から私は両親に関する記憶を抹消したいと内心思っていました。

恨みどうこうではなくて、記憶から抹消したかったのです。

これが人生を狂わすからです。

世の中にはマザコンという言葉がありますが、私は逆マザコンです。

 

要するに、生得的な環境というか、両親の庇護のもとにいた時の感覚というのは、あまりにも特殊すぎて、私たちを狂わせるのです。

故郷に帰ってきて、「ぽわ〜〜」っと心が温まる、、、みたいな感覚に浸ってる人、やばいですよ。生きていくのに苦労しますよ。頭の中でまだ、比較軸が残ってるということですもん。

新しく出会っていくものに対して、自分が過去得てきた比較軸を当てはめすぎると失敗するかもしれません。

 

 

17か18で結婚・出産した友達の話

 

私の友人に、17か18で結婚・出産した人がいます。

旦那も奥さんも両方知っていますが(友達)、結婚してトントントーンとうまく生きました。理由は、両家が裕福だったからです。

デキ婚だったのですが、すぐにどっちかの実家に転がり込んで行きました。両家とも、それをOKとしていて、どっちもどっちの家に転がり込める状況でした。旦那の父親は会社を経営していて、その仕事を手伝いながらやっていける感じ。奥さん側も似たような状況です。

二人とも、兄弟姉妹が早く結婚・出産するような家庭で、デキ婚も何名かいました。

このように、生得的な環境ゆえに、サクサク物事が進む人たちがいるのです。

お父さんがアパートを持っていて、とりあえず住居は安心、みたいな人たちですね。田舎とか地方に多いですが。

 

その一方で、都心で働きながら、バリバリサラリーマンをして、仕事を辞めてしまうと、急に賃貸契約すら難しくなる・・・・みたいな人がいる。年収900万円もらっているのに、会社辞めるとすぐに年収90万円になっちゃう、みたいな人もいるわけです。

夫婦ともにバリバリ働き、近くに近親者はおらず、保育園探すのも大変・・・・みたいな人たち。地方だと、おじいちゃん・おばあちゃんとか親戚・兄弟に預けられたりするけど、そういうものが無いという人もいる。

 

 

結婚圧力の正体

 

結婚圧力の正体について書こうと思う。

私は経営サイド・資本家サイドであるからはっきり分かるけれども、「会社の人間が若い人たちに結婚を迫る理由」は逃げられなくするためである。

世の社長によっては、自著にハッキリとそのことを書いてる人もいる。

会社の人事の人間でも、結婚の有無で行動パターンや責任感が変わるのをよくわかっている。

社長という人種は社員マネジメントに長けた人間たちであり、社員を結婚させると、奥さんを通して社員をコントロールできることを知っている。また、かなりの手練れになると、会社のパーティーなどで奥さんの方に近づいて奥さん側から固めていくのである。

 

貴方の両親についても考えてみよう。

歳を老いた人間というのは楽しみがない。そんな人たちにとって、人生に花を咲かせてくれるのは孫の存在なのだ。孫という口実を使って、社会人になり疎遠になった貴方とズブズブの関係にもなれる。

 

世間一般の人たちを見たとき。やっぱり、「結婚してる人間=売れた」「結婚してなかった人間=売れなかった」というイメージを持っている人たちもいる。若い世代だけではなく、ある程度歳をいった女性たちも、

既婚者の方に魅力を感じる

という人は多い。

 

ありとあらゆる事情により、社会には結婚圧力というものが存在するのだ。

 

 

結婚圧力ゼロの西園寺

 

ちなみに、私は結婚圧力を昔から受けてない。びっくりするほど受けていない。

理由は、

  • 親とほとんど喋らない
  • 友達関係が流動的
  • 上司がいない(一番トップだから)
  • 下手なこと言ってくる歳上がほとんどいない
  • 成功者なので、あんまり庶民の雑談振ってくる人がいない
  • 周りも非常識人、変わってる人が多い

ということである。

 

思うにだけれど、民間の一企業で一兵卒として働いていれば、そりゃあ、結婚圧力は凄まじいものがあるのではないだろうか、と思う。

また、私も、一企業の一兵卒であれば、一般論として結婚した方が人生はベターになる人は結構多いのではないか、とも思う。

 

基本的に、公務員などの保守的な生き方はもっとも結婚に向いている。

逆に、起業に興味があるだとか、海外放浪したいだとか、そういうアドベンチャー気質の人はもっとも結婚に向いていない。

 

結婚に関しては、ライフスタイルも関係しているだろうと思う。

「Youtuberは仕事じゃない!」「ホストなんて仕事は信じられない、ホスト狂いの女が理解できない」「路上でパフォーマンスをしているような人種は理解できない!」「水商売は良くない」みたいな感性がある人たちというのは、保守的に生きているとは思うけれども、その一方で、「早く結婚しろ!」みたいな圧力に辟易しているのだとしたら、割と結構、宙ぶらりんなのではないかとも思う。

 

人生は常々、二つの生き方しかないのでは?と私は思っている。

それが、

  1. 結婚に重きをおく人生
  2. そうじゃない人生

だ。

そして、大方の人間の人生資源(リソース)は貧弱であるから、取捨選択しないといけない。20代前半までに、「この人と結婚したい!する予定だ!」という候補を見つけて、そこに重点を置いた人生選択をしていく。

これが普通の生き方なのではないかと思う。

 

 

資本主義的制約を外していけばいくほど、可能性は広がる

 

これが絶対、とは言えないけれど、

少なくとも人生の根っこにあるのは資本主義的制約だと思う。

 

私は、この制約を外すことに熱中してきた。

これを外すことによって、人生の可能性が広がる。いろんな方向に転がっていくことができるようになる。実際、このおかげでいろんなチャンスが生まれてきた。

でも私は、

「結婚に重きを置かない人生」

を選択し、別に一生しないでいいや、と思ってきた。そして、その類のことは「自分とは無関係」と捨て去り、目先のことに集中してきた。その結果として、時間やお金の自由が得られ、色恋沙汰をたくさんでき、求婚まがいの展開というか、そういうチャンスは腐るほどあった。今もある。

だから、そういう、皮肉な展開もあると思う。

 

ただし、私は明らかに自由を愛している感がある。自分の中にある確かな感触として、自由を愛していると感じる。

でも、この「自由」に対して、飽きていくこともあるかもしれない。そしたら、それはそれでまた切り替えていけば良い話。

 

 

まぁ、みんなが一番知りたいであろう「答え」から言うと、仕事にも結婚にも「大当たり」がある。でも席はわずかw

 

ビジネスはプラスサム。みんなで富を増やしていける。

でも、株・FX・スポーツ、受験、恋愛・結婚なんかはゼロサムだと思ってもらっていい。つまり、奪い合い・殺し合いに近い。出世競争もそうだね。

 

ごくごくわずかな大当たりはある。

仕事に関しても、結婚に関しても。

でもそこには、「強烈な競争力」が要求される。マンコというのは、それに対して過敏な嗅覚を発揮し、そこに結ばれることに満足を覚えるようにできている。

 

つまり、大多数の人は結婚はハズレくじになる率が高い。

まぁ、だからそれは、甲子園に行けない率が高いとか、プロスポーツ選手になれない率が高いとか、東大に行けない率が高いみたいな話と同じこと。

 

 

Youtubeで、男女の生活ルーティンを観てみよう

Youtubeで、男女の生活ルーティンを観てみよう。

「暮らす」ということ一つ取っても、本当に男女別に違う光景が広がっている。

 

ただ飯食って、寝ているだけなのに、すごくキラキラして見える人もいれば、そうじゃない人もいる。

あの手の映像を観れば、「誰と結婚するかどうか」で景色がガラッと変わるってことを感じられるかもしれないし、魅力的に感じられる人は他の人にとっても魅力的なのだから自分磨きを頑張ってみよう、というプラスの方向に考えられることもあるかもしれない。

 

とりあえず、なんやかんや、

おっぱいが大きい女の子と暮らせたら幸せじゃん

と感じるかもしれないし、

料理が上手い女の子がこんなに魅力的だと思わなかったわ

と感じるかもしれないし、

あ、俺は本当に何のこだわりもないわ

と気づき、それが結婚に対するハードルの高さを感じている女子からすると魅力のポイントになるかもしれない。

 

 

 

本当に「結婚」したいなら若いうちにケリつけよう

 

結婚はゴールではない。

でも、本当に結婚したいなら、20代のうちにケリをつけたほうが良い。

基本的に、こういう難しいテーマ、人それぞれの話を解決する万能的な一般解は、「若さ」という万能薬を活用することだ。どれだけ美人・イケメンでも、歳をとれば衰えることを考えると、時間論がどれだけ価値があるかがわかるだろう。

自分は弱い、不利だ、危ない、と感じる人ほど、若さを大事にした方が良い。

若さを活用すれば良い。

 

モテない17歳は、一回り上、2回り上にリーチするとモテるかもしれない。

 

そして、「結婚したくない派」の人たちは、結婚というタイトルを得るための一般解・万能薬として有効なのが「若さを活用する」ということであるということを頭に入れて、「若さ・可能性・ポテンシャル」を結婚に犠牲することを頭の中で天秤にかけたら良い。

就職も、若いうちは「ポテンシャル・素直さ」でどこにでも潜り込んでいける。大企業の人事を見てもわかるように、社会のことをある程度知っているはずの45歳をバンバン切って、その人件費を若い新卒に充てようとするぐらいなのだから。

 

 

結婚と結婚するか、好きと結婚するか

 

歴史的に見て、「好きな人と結ばれる」はメジャーじゃなかった。

結婚というのは、常に、経済的な事情があった。農家が労働力を確保するためにバンバン子供を産んだり。政略結婚が繰り広げられたり。

 

「結婚と結婚」するのか。

「好きと結婚」するのか。

そもそも、人生全体の大きな枠組みとして違うライフスタイルを選択するのか。

 

選択は多様だと思う。

 

ただ、おそらく、結婚に関するテーマについて、こんなにも悩みが深いのは、結婚というものをトリガーにして、人生に対する絶望感や不満感で悩んでいる人が多いのだと思う。

例えば、会社の社員という枠組みの中で生きていて、結婚圧力に辟易している人は、人生やキャリア全体に疲れているのではないだろうか。

「独身である」というカードを使いこなせてない。その有利な点を使いこなせてない。むしろ、独身であることがマイナス評価である世界で生きている。周りは既婚者だらけで、自分が相対的に劣っているように感じられる。ネットやSNSの情報で疲弊してしまう。自分の選択が正しいのかわからなくなってしまう。そんなスパイラルの中にいるのではないか。

 

結婚したとしても不幸な場合はあるし、

独身でも不幸な場合はある。

 

結局それは、シンプルに上手いことやれてない、楽しくないのかもしれない。

 

 

楽しい=楽

楽しいという感じと、楽という感じが同じなのは、うまいこと描いたと思う。

実は、物事が「楽しい」と感じるのは、割とかるーい気持ちであるからだと思う。身軽さというか、軽快さがあるからだと思う。

大人が楽しくないのは、重たいものをたくさん背負っているからだ。

 

結婚に対して、楽しさを求めるなら、

男性諸君はいっそ、ヒモになったらどうだろう?笑

 

世の中には、ホスト狂いになる女もいるし、ヒモを買っている女性もいる。ダメンズが好きな女もいる。

結婚に対して重たいイメージがある人は、もっと軽やかになったらどうだろう。プライドを捨てて、かるーいノリでやっていけば良い。それで通じる相手を探したら良い。

 

仕事や結婚に関しても、

あまりシリアスに考えず、

どこかに軽いノリがあるようなものを選んでみたらどうだろう。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。