起業家精神とはありあわせの食材で料理すること

起業家と経営者の違いは何か、と言えば「ありあわせの食材で料理する能力の有無」です。何もないところ、資源が貧弱なところから業を起こしていくのが起業家です。経営者というのは、すでに食材が豊かになっている状態で仕事をするのが得意です。例えるならば、起業家とはありあわせで食事をするのがうまい主婦、経営者というのは一流ホテルの食材・調理器具が豊かな厨房で働くコックという感じです。

経営者タイプ、エリートタイプの人間の話は、よく注意して聞くことです。西園寺は基本的に、経営者タイプやエリートタイプの言説は話半分で聞きます。なぜなら、スタートが違うからです。彼らは、恵まれている状態、ある程度使える資源がある状態でなんやかんやしてきた人、それがうまい人です。

起業家精神とは、泥臭いところから這い上がる力です。今やすっかり大企業になってしまったSONYやPanasonic、Honda、三菱だって創業者というのは泥臭いものです。大きくなった後で、すっかりエリートたちの溜まり場になってしまっているだけです。

起業家タイプというのは、総じて口が悪い、態度が悪い、素行が悪い、荒々しいものです。でなきゃ、どん底から這い上がっていくことなんてできません。バイタリティがあるから上がってこれてる。そして、彼らは下にいる段階で散々苦労したり、闇を見たり、痛い目に遭ったりしてきているのです。私が思うに、エリートタイプの言説は「綺麗」ですが、綺麗すぎるのです。泥水すすってきた感じが全く感じられない。実際、ビジネス書などを見ればわかりますが、底から這い上がってきた人には、鬼気迫る何か、狂気のオーラ、棘を感じます。しかし、プロ経営者なり、ヘッドハントされて仕事する人、エリート街道を駆け上がった役員タイプなどにはそういったものが感じられないのです。

あなたは私を見てどう思いますか。

口が悪い、態度が悪い、過激、素行が悪い、荒々しい、女癖が悪い・・・・いろんなことを思うでしょう。

しかしそれは、恵まれたエリートコース、整備された道路を歩いてきたわけではないということでもあるのです。何もないところから這い上がってきたということなのです。学歴もコネも、資格もありませんでしたから。

経営というのは総じて、限られた資源から大きなパフォーマンスを引き出す営みですが、起業家というのは経営者以上にそれが求められます。経営者はどちらかというと、administration、managementといった語感がお似合いですが、起業家というのはCreatorという言葉が一番似合います。まさにあり合わせで人生をつくっていくプロです。もちろん、それは資源の調達や投入を疎かにするということではなく、自分が持てるもの・使えるものは全部使って、最大限のパフォーマンスを狙いに必死に動く、這い上がるということです。その凄まじい前進力が起業家の特徴なのです。起業家精神に溢れた人間の特徴なのです。

いいとこの家に生まれて、それなりの教育費を投下されてそこそこの大学に行くなんてのは馬鹿でもできます。詰め込んだ学識をひけらかすことは馬鹿でもできます。既存のレールに乗るのは馬鹿でもできます。嘘です、言い過ぎましたけど、限られたカードで這い上がっていくというのは知的な営みとしては相当な難易度があります。

もちろん、「起業家」という言葉は、それを称してよい人間、そうやって認められる人間は限られているはずです。そして、今の世の中ではこの言葉がどうもチープなものになってしまった感があります。キャバ嬢が持ちすぎてヴィトンの格が下がるがの如く、ネットでよく見かける若い子が起業家を自称しすぎて起業家の格が下がった感はあります。

しかし、どんな人間も「起業家らしい生き方」は求められるはずです。起業家精神というのはいつどんな場面だって求められるはずです。金がない、時間がない、人材が足りてない・・・・などと言い始めた時点で、もうオワリです。そこから這い上がっていくのが起業というゲームなのであって、それをやるにあたってリソースの乏しさを嘆いた時点で終わりなのです。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。