逃げても良いのか、逃げちゃダメなのか。一体、どっちなのだろう。

 

一般的に、社会では「逃げちゃダメ」と言われている。

 

私は、「逃げたこと」もあるし、「逃げなかったこと」もある。

逃げた方が良いのか、逃げない方が良いのか、自分の中で決着をつけるためにも備忘録を残しておく。

 

まず、逃げなくても良かったことについて。

逃げなくても良かったことは、手垢のついたような話だけれど、

  • あの時逃げなかったから、今がある
  • 逃げたい場面に何度も襲われたけど、逃げなかったからこの最高の瞬間に巡り会えた
  • 逃げなかったから、一皮剥けた

というように、長期的に見てメリットがあったというものが多い。

 

総じて言えることは、

「逃げていたら手に入らなかったもの」

「逃げていたら辿り着かなかったもの」

を手中に収められた、というものだ。

 

一方で、逃げて良かったと思うこともたくさんある。

もし、「あれから逃げないままやり続けていたらどうなっていただろう・・・」と思うことは、

  • その先、逃げずにやっていても得られたであろうことは大したものではなかったのでは?(逃げた結果、得られたものと比較して想像)
  • あれは間違いなく、勝てないものに取り組んでいたな、向いていなかったな、というもの
  • あのままやっていたら壊れていた
  • 逃げた対象が、どんどん悪くなった

という感じだ。

まるで、沈みゆく船について思い出してゾッとするように、「逃げ遅れていたら大変だっただろう」というものや、逃げた結果、得られたものが相対的に好ましいという感覚である。

「逃げたから悪い状況を避けられた」

「逃げたから良い状況が手に入った」

 

もっと逃げておけば良かった!と思うことも

正直、もっと簡単に逃げておけば良かった!と思うこともある。

 

  1. 時間の無駄だった
  2. 拘泥していた対象がやばいものだった
  3. もっとたくさん逃げて、他の世界をたくさん見ておけば良かった
  4. もっと早く抜け出しておけば良かった
  5. 逃げていればもっと壊れずに済んだ

 

実は、逃げるのも結構大変

逃げるのにも、スイッチするコストがかかるし、新しいことを求めるのだから、それはそれなりに大変だったりする。

自分の好きなこと、夢に拘泥して、そこから抜け出せない人がいる。

沼っている恋愛対象から抜け出せない人もいる。

 

逃げるのも大変、ということは、「逃げるな派」には見落とされていることじゃないだろうか。

 

いずれも、結果で判断していることになる。

終わり良ければすべて良し、とはこのことかと思う。

でも、個人的には、不思議に思っていることがある。

例えば、よく色んな人が言う

「逃げなくて良かった、あの場面で逃げなかったから、今の自分がある、●●が身についた」

というものがあるけれど、でもそれは、暫定的な評価でしかない。その先も人生は続く。もしかしたら、それがきっと、その人をその道に縛り付けていて、そのまま転落していくことになるかもしれない。

 

個人的にも、

「逃げなくて良かったな」

と思うことについて、いろいろポジティブな理由が浮かぶけれど、でもそれについて

「それって本当に良かったのだろうか?」

と思うことがある。

 

物事には功罪があるからだ。捉え方次第とも言える。

 

結果で決めるなら、やっぱり結果が全て

結果で決めるなら、やっぱり結果が全て。

不運だろうと幸運だろうと、やっぱり結果が全て。

 

だって、自分の「逃げて良かった」「逃げなくて良かった」の判断基準が結果なのだから。

 

終わりが良ければ全て良しになるだろうし、暫定的な推移についても、ある時間軸を切り取って「それが好ましいか否か」で判断され、好ましいなら逃げたことは良しとされるし、好ましくないなら逃げたことは悪し、と判断される。

 

それがやりたいか否か(プロセスの楽しみ)、ならシンプル

それがやりたいか否かなら、とてもシンプル。結果は関係ない。楽しいな、やりたいなと思うなら、それは良いこと。そうじゃないなら悪いこと。それに沿って、逃げるか逃げないか決めれば良い。

「逃げることが絶対正義」という主張は、このタイプだと思う。

自分が壊れない・自分を壊さないということを大事にするタイプもそれだ。

 

運の総量は同じ?

誰かが言っていたけれど、人生の運の総量は同じらしい。だから、幸運のように見える人も、長い目で見れば不運にも出くわしている。逆も然り。そして、人生は良いことも悪いことも併せて、最終的には帳尻がつくのだという。

つまりこれは、「良いも悪いもない」という考え方だ。

こう言われると、ある意味、楽になる。どっちに転んでも、どっちも同じとなると、結果の良し悪しに対して縛られなくなる。ジャッジしなくなる。

すると、

  • どっちの方が面白そうか
  • どっちの方が楽しそうか

という判断になってくる。

 

端的にわかりやすいのが、人間万事塞翁が馬

物事の良し悪しはなかなか決められない。

 

「中国の北のほうにお城がありました。

そこに住むおじいさんの馬が、ある日逃げ出してしまったのです。

逃げ出したことを知った近所の人々は、おじいさんを慰めました。

しかし、おじいさんは「このことが幸運を呼び込むかもしれないよ」とあまり気に留めていませんでした。

しばらく経ってから、なんと逃げた馬が戻ってきました。

しかも、たくさんの馬を連れて戻ってきたのです。

近所の人々は、喜びましたがおじいさんは「このことが禍になるかもしれないよ」と言うのです。

しばらくすると、おじいさんの息子がその馬から落ちて怪我をしてしまったのです。

近所の人々がお見舞いに行くと老人は「このことが幸運を呼び込むかもしれないよ」と言いました。

やがて戦争が起き、この城も戦争に巻き込まれてしまいました。

しかしおじいさんの息子は足を怪我していたので、戦争に行かずに済みました。」

 

逃げ癖について

逃げ癖がつくと、

  • 今逃げたら次も逃げる
  • 逃げる度に選択肢が無くなる
  • 逃げることでどんどん苦しくなる

という話がある。

 

一方で、逃げ癖がつかない逃げもあると思う。「逃げる時は逃げる」けれど、「向き合う時は向き合う」ということもあると思う。

 

1回、逃げずにとことん戦ってみて、得られたものについて

1回、逃げずにとことん戦ってみて、得られたものについて、

 

  • なんでこれに拘泥していたのだろう
  • そんなに価値が無かったな
  • 達成したけど嬉しくない

となると、人は糸が切れると思う。

 

あるいは、手に入る直前、手に入りそうになって、「どうでも良いかも」と思うかもしれない。

 

そうやって、ある意味の「達成による、前向きな燃え尽き」は価値観を変えることになる。

 

また、戦いきれなかった、やりきれなかった、成功しなかった、という場合にも、燃え尽き症候群になってしまって、撤退することがあると思う。

 

逃走と敗北は、自己保存のためにあり、そもそも勝利も自己保存のためにある

逃走と敗北は、「これ以上戦ったら壊れる」というときに白旗を上げて終わらせるもの。

だから自己保存のためにある。

 

そして、「逃げずに戦って良かった」という評価をされるもの全般は、結局それも、自分にとってのメリット全般だから、それも自己保存のためにある。

 

どうして動物は逃げてしまうのか。人間は逃げてしまうのか。

それは、本能的に、逃げた方が期待値が高いと思っているからだろう。

 

逃げずに闘い続けるのがシンドイ、逃げずに闘った先に何もないかもしれない、逃げずに闘って勝てないかもしれない、逃げずに闘うこと自体に意味を見出せない、そういう可能性に対して、

逃げる

という手っ取り早い選択肢は、それに対する「リセット」を提供する。

 

そもそも逃げるかどうか迷ってる時点で、その先に「価値・勝ち」を見出していない

そもそも逃げるかどうか迷っている時点で、その先に価値と勝ちを見出していないということになる。

予見性がない。

計画性がない。

戦略がない。

多分、大抵の場合は武器もないし、スキルもない。能力もない。

 

もし、

  • 能力
  • 武器
  • 戦術
  • 戦略
  • 勝ち筋
  • 計画
  • 見込み
  • 仮説

みたいなものがあったら、「ワクワクして取り組める」と思う。むしろ積極的にやる気が出ると思う。

 

そして、たいていの場合は、その行為自体も面白くないし、適性もないのだろう。

 

実は、逃げることはメリットが多い

動物を見ているとわかるが、動物の基本行動は「逃げる」である。

  • ウマ
  • ゾウ
  • イノシシ
  • ヒョウ
  • キリン
  • トラ

も逃げる。特に「人間の声」で逃げる。

 

クマでさえも、人間を見て逃げることがある(襲うこともある)。クマに関しては逃げる・逃げないは状況による。子熊がいる場合は逃げずに戦う。

ライオンもケースバイケースである。

 

一方で逃げない動物もいる

  • ワニ
  • ゴリラ
  • シャチ

あたりはあまり逃げないだろう。

シロクマは人間に対しては逃げないだろうが、同種間競争では勝てない場合には逃げることがある。ゴリラも同種間での戦いで勝てない場合は逃げることがある。

こうやってみると、「かなり強い種」が逃げないことがわかる。捕食者がいない(自分が食われない)種族は逃げない。

 

しかし、最強と思われる動物のほとんども、「炎」などからは逃げる。

炎から逃げない可能性があるのは、昆虫や幼体・未成熟個体など、「知能がない生き物」である。

 

 

つまり、逃げないと危ない可能性があるほとんどの生物において、逃げることはメリットが大きく、基本的に逃げ癖があるといえる。

 

逃げるのは基本行動 「じゃあ、なぜ、逃げるなと言われるか」

このように、ほとんどすべての動物にとって、逃げるのは基本行動。

ではなぜ、逃げるなと言われるか。

 

それは、「逃げられたら困るから」である。逃げ癖がある人間、すぐ逃げる人間は、それと付き合う側からすると、非常に面倒である。逃げられたことでかかる各種のコスト・後掃除をすることになる。また、逃げた対象に対して、投資をしたり、信頼を寄せていた場合もダメージが大きい。

だから、逃げ癖がついている人間を、みんな避ける。

いわば、「逃げる人間から逃げる」のだ。

 

皮肉な話、「逃げるな!」というのは、逃げる人間からの逃げでもある。

 

逃げてもいい、が「無責任」と言われるのはなぜか

それはやはり、「逃げ続けてきた人間」から、人が「逃げる」からではないか。

逃げ続けてきた人間から、人は逃げようとする。

そして人は、人から逃げられるとやっていけないことが多いからだろう。

 

わかりやすいのが犯罪者

八田與一は逃げ続けている。

逃げ続けるから、どんどん報道されて、懸賞金が上がっていく。そして本人は生きづらくなる。

一方で八田與一が逃げるのは、逃げた方が自分にとって得だと思うからだろう。

 

逃げれば逃げるほど、状況が悪くなり、居場所が少なくなっていく。

これがまさに逃げのデメリットの構図だ。

 

一方で逃げている側は、「捕まったところでデメリットが大きいのだから」と考えて逃げようとしている。

 

逃げることで生きやすくなるのか、生きづらくなるのか

つまり、結局は、逃げることで生きやすくなるのか、それとも生きづらくなるのかだろう。

 

資本主義は、嫌な役割の押し付け合い、みたいなところがある。

そしてその嫌な役割は、逃げ癖がある人間を待ち続けているところがある。

その落とし穴が待っている。

 

社会の嫌なことの最大公約数、嫌なこと投票で人気を集まる不人気の穴が待ち受けている。

それもそれで一応の現実だろう。

 

 

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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




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(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。