世間的に面白いとされているものが面白いと感じないことが多い私にとって、
世間の人気と自分の好き
が合致する瞬間は最高に嬉しいものがある。生きた心地がする。よかったー、まだセーフ!となる。
その意味で、高橋和希は普通にワクワクした。
鳥山明にはワクワクしなかったが、高橋和希にはめちゃくちゃワクワクした俺が、高橋和希の何がすごかったのかを滔滔と語る。
もう、とにかく、見ればわかる。
なんかとりあえずワクワクする。
直感的に「イイ!」となる。
この独特の世界観は高橋和希にしか描き出せないものである。
うまく表現できないが、
このアメコミ調の感じと、
作品のテーマにも含まれている「古代エジプト」調のデザインが融合した、なんとも言えない感じがイイ。
ミステリアスでもあり、オリエンタルでもあり・・・・。
とにかくキャラデザインも世界観も良い。
デザインセンスが本当に抜群である。
ハマったのが幼少の頃とはいえ、「完全フィクション」の世界観にどっぷりハマったという意味では数少ない作品の一つである。
やはり、
売れる漫画家というのは、決して
写実的であるということではない
ということだろう。
みればその人のものとわかるタッチ、世界観。
やはり、高橋和希は、
「モンスターのデザインセンス」
がもう、抜群に良い。
鳥山明も定評はあるが、私は高橋の方が圧倒的にイイと感じる。
でも、「なぜそれをイイと感じるのか」をうまく言語化できない。
この言語化されない強みこそが、彼の強みなのだろう。
ただ、一つ分かったことがある。
鳥山明と、
その鳥山明を「神」と崇めてビンビンに影響を受けた
- 尾田栄一郎
- 岸本斉史
はそれぞれオリジナルの画風を追求しながらも、共通点がある。
それが、
「白黒」
の単調さである。
黒く塗るところは黒く塗り、白く塗るところは白く塗る。
しかし、高橋は違う。
彼は黒塗りを黒塗りで終わらせない。
特に遊戯のユニフォームなんかをみればわかるが、黒塗りとスクリーントーンをうまく併用しながら、
エナメル感
光沢感
などを出すタイプなのである。
パッと見ればわかるが、「鳥山派閥」と違って、色に単調さがない。
高橋和希は「黒ベタ塗り」がほとんどない。黒く塗っているものも、必ず、光の光沢を考慮している。
計算された「白」を入れている。
洋服をよく買う人はわかると思うが、百貨店にあるような
イイ服
というのは、どこにでもあるようなシンプルな一色Tシャツでも、光沢感があるものが多い。
高橋の絵から伝わってくる、どことなく感じる「高級感」みたいなものは、この光沢を意識した彩色によるものだと感じる。
よーくみると、
遊戯の素肌の部分にも、
丁寧にスクリーントーンが貼られている。
陰影を表現している。
スクリーントーンとは、こういうやつである。白でも黒でもない部分を表現するためのもの。漫画家はこれを切り貼りしている。現在はデジタルらしいが、アナログ時代はこの手のものをキリハリしていた。
古典的な漫画家の「仕事術」みたいな本を読めば、この手のアイテムを使っていることがわかるが、アナログ時代の制作にはかなり手間暇がかかったようだ。「手抜き主義」の鳥山明は、とにかくこのスクリーントーンが大嫌いだったという。
高橋は、丁寧にこれを多用している。
しかもそれを使って、陰影の表現をしている。
いかにもデフォルメされたアメコミ調でありながらも、スクリーントーンを使って陰影を巧みに表現する、ここに高橋和希の画風の特徴があると思う。
モンスターの爪なども、丁寧に書き込まれている。
白で終わらせないのだ。
必ず陰影が描き込まれている。
もちろん、よく知られたように、
- 遊戯の髪型のセンス
- デュエルディスクなるアイテムの発明
- 海馬の洋服のセンス
など色々設定上のうまさもあるが、やはり高橋和希は画力がすごい。
一枚絵の迫力がすごい。
うーん、
個人的には鳥山明より全然すごい。
ただし、鳥山明の時空間センスが抜群なのは、わかる。
私は、「アメコミ調」が好きなのかもしれない。
アメコミテイストの画風は全般的に好きである。
アメコミは、「コントラスト」を強調して描く画風である。確かに、高橋和希の画風もコントラストがはっきりとしているかもしれない。
アメコミ的な要素を持ちながら、漫画・コミックらしいデフォルメされたものを組み合わせているのが高橋和樹の強みだろう。
特に、「キャラクター」はコミック調を強調しながら、モンスターはリアリティが強いのもまた、別の意味でコントラストをはっきりさせているのかもしれない。
私は高橋の一枚絵に「圧倒的な迫力」を感じる。
一方で、岸本斉史の一枚絵にはそれを微塵たりとも感じない。
私はなんとなく、岸本斉史の絵に「メリハリを感じない」と感じ続けてきたのが、その原因は高橋と比較することでよく分かった。
それにしても、
「お絵かき」
なるものは、紙とペン一本でできるはずなのに、
書き手によってこれだけの違いが出るとは、なんとも面白い世界である。
100%の写実では、描き手に差は生まれない。
写実性ゼロではただの下手な絵である。
(もちろん、それはそれで味がある場合もあるが)
プロと呼ばれる人たちは、ある程度の写実性がある。つまり、うまいということだ。
問題は、
「その人たちによってどのように現実が切り取られるか、デフォルメされ、表現されるか」
である。
そこに個性が出る。
それにしても、高橋和希は考えることがいちいちセンス抜群である。
遊★戯★王
だぞ!
星を間に入れるんだぞ!!!
最期は沖縄の海で人を救助しようとして自分が亡くなるという
驚きの人生だった高橋和樹氏であるが、
駆け出しの頃はなかなかうまくいかず、
神保町をとぼとぼ歩き、
遊戯王も連載打ち切り間近だったところ、
カードゲームを導入したことで一気に人気が出たのだという。
遊戯王は、
世界観、設定、キャラデザイン、ストーリー、画力、メディアミックス、全てが完璧な作品であり、
「世界を変えた一作」
と言えるだろう。
ルイヴィトンよりシャネルより、これ一枚見るだけで興奮するからな、本当にすごいことだぜ
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。