YouTubeで6人時代のKAT-TUNの動画のコメント欄を見ていて、昔好きだった者として、持ち上げるコメントを共感の意味も込めて楽しく読んでいたら、
- 時代を先取りしていた
- 最強の6人だった
- 彼らが解散しなければK-POPにやられなかった
- BTSになれた
みたいなのがあって、一部、「いや、それは無いわ」ってなった。それは盛りすぎだろ、って。別に解散してなくても、K-POPは日本にやってきたし、BTSは世界を席巻してたと思う。
そして私は思った。
この手の主観的な評価ってのは時代を超えたときに、後世の人間がその時の評価や市場の熱、空気感をリファレンスすることは難しくて、唯一できることはその評価の対象であるコンテンツを後世の人間が見て「どう思うか」ってこと。それだけ。それしかない。その意味で、「人気があることが人気の理由」みたいな行列効果を発生させるムーブメント現象的なものに大分頼ったものは、時代を越えるのは無理。クラシックになるのは無理。絶対無理。タピオカとかたまごっちとかは、おじさん、おばさんになった人が、「懐かしい〜〜〜〜〜」「凄かったですよね〜〜〜」と語ることはできても若い世代には「なんじゃそれ」としか思われなくなるわけだ。だから、リツイートさせる仕掛けとかでSNSを踏み台に成り上がったインフルエンサーとかは虚像。多分、10年後、20 年後、誰も覚えてない。「なんで昔はこんなのが人気あったの?」って将来の若い世代から言われるに違いない。プレゼント配って成り上がったとか、現金配って成り上がったとか、「何それそのおじさん」って思われるに違いない。これはきっと、正統派には安心感を覚える事実。
そういう意味で、たとえいくらSNSでキラキラした人たちが騒いでいようと、そんなことは目もくれずに粛々と、10年後、20年後のハタチが読んでも脳が揺さぶられるようなコンテンツを残すことだけに命を賭そうと思う。
オーバーサイズのTHE NORTH FACEを着た若者が最後の雨とか、糸とか、シングルベッドを歌っているという今目の前にあるファクトを信じて。
だって、西園寺おじさんからしても、その曲、「おじさんの曲だぜ」って。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。