本当に才能がある人は、周りが放置しない。
周りの騒ぎ方が違う。
才能は金になる。利用して磨いて使い倒してやろうという人間が出てくる。才能ある人間一人いるだけで、金になるわ、不労所得だわ、全てが変わるわと囲い込むメリットだらけだから、チヤホヤする。
ジャスティンビーバーみたいに、平野紫耀くんみたいに、赤西仁みたいに、タモリのように、その才能に惚れ込んで利用しようとする人間が出てくる。あるいは育てようとする人間が出てくる。
だから、自分を利用しようとするやつが出てきたら才能ある。ジャスティンビーバーにしても、マイケルジャクソンにしても、利用しようとする周りの動きがある。
才能にも度合いというかレベルの差があって、有無で片付けられないと思う。みんな才能あるけど、数値の差なんだと思う。
超絶な才能
は金になるから分かりやすく利用する動きがあったり、VIP待遇があったりするもの。メッシとか、ネイマールとかもそう。メッシなんて持病の薬代をクラブが出してくれてる。
つまり、本当に才能がある人は、利用価値があるから、なんとかなるわけだね。
才能が無くても、利用価値がある人間は周りのちやほやが違う。キャバ嬢とかソープ嬢も職場で周りがスゴイチヤホヤするけどそれは利用価値があるから。
『俺に才能があるかな?無いかな?』と迷ってる人は、周りがブワーって群がってきて利用しようとするレベルの才能は無い、と確信して良いと思う。
天才は周りが利用しようとするからね。
スカウトって言葉がある。
多くの人はこのスカウトに憧れる。シンデレラストーリー。男も女も、自分の才能を、自分自身を見出して白馬の馬車で迎えに来て欲しいと思っているものだけれど、普通は早々にして卒業する。
このシンデレラボーイ幻想、シンデレラガール幻想からさっさと卒業しないといけない。
お迎えがやってこない才能は、自分で磨く、売り込む、アピールするしか無いんだ。あるいは才能とは別の次元で戦わないといけないんだ。つまり受け身でいてはいけない。アグレッシブに、自分の中にあるものを探さないといけない。
じゃあ、どうするのか?
ここからが勝負だと思う。
個人的には、才能があるのか無いのかも結局それは、周りにとって都合が良いのかどうかだから、徹底的にその方向性を探ると良いと思うんだよね。
いかに、周りを立てるのか。
才能がないなら才能がある人に便乗する生き方も一つだと思うし、芸能事務所なんかはまさにそれをやっている。
技術で勝負しても良い。
知識で勝負しても良い。
ちなみに、ずば抜けた才能がある人生が幸せかどうかはわからない。彼らはうんざりしてるしね。なんたってチヤホヤされまくってるし、人権が踏みにじられてたり、まるでおもちゃのよう。周りがスゴイ利用してくるわけで、ある意味自由は無いのかも。
ジャスティンはいつもイラついてる。
要するに、才能があるってのはコントロールできないってことなんだよ。才能がなければ、『オフの時間』があるけれど、才能があったらその人のとにかくありのままというか全てが利用価値があるから、ずっとつきまとわられるし、安息が無い。
だから、才能がありすぎる人間はいつも困ってる。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。