メルマガ12

 

▶︎第0部 : 西園寺のつぶやき

 

どうも。

今日は突然ですが、最高のリラックス法をご紹介します。

 

まず、Fカップの女性を用意します。

そして、胸元がザックリと開いた服を着てもらいます。

 

対面座位のような形で目の前にオパーイを用意し、そして、真顔で谷間に顔を接触させるのです。

腹式呼吸をしながら、柔らかな人体の恵みに感謝し、顔面を「フニャ・・・・・・・」っと埋めます。

 

大切なのは、この際、喋らないということです。

 

無言を貫いてください。

 

「・・・・・・・・・・(あぁ、や、柔らかい)」

 

無言のまま、オパーイに顔を埋め続けるのです。

実にリラックスできます。

 

我々男性は、乳房を見てしまうと、どうも「カッカ」としたような火照りというか、欲望を煽られる感じがしてしまいます。しかし、ここで大事なのは、静かなエロを楽しみつつ、癒されるということです。

80%ぐらいは癒し、20%ぐらいはエロです。

 

オパーイに包まれながら、静寂の時間を過ごすことで、悟りがひらけてきます。

 

私は煩悩だらけなので、人里離れた寺で清貧を極め、滝に打たれることで悟りが開けるとは到底思えませんが、むしろその逆の方向で、美味しいものを食べて行きたいところに行き、欲のままに女性の身体に癒されまくっていると・・・・

だんだん悟ってきました。

 

悲しいことに、もはや性欲もピークアウトしており、若い頃のギラギラ・ギトギトしたような脂っこい欲望は、ほとんどすべて消えてしまいました。

 

昼間の公園で、猫をじーっと眺めている私は、もはや、おじいちゃんなのでしょうか。

 

ちなみに、おっぱいに顔を埋める場合、相手が優しい女性だと、頭をなでなでしてもらえる場合があります。世の中には、谷間に顔を埋めると、「スッ」と頭に手を当ててくれる聖母マリアのような女性がいるのです。

その時は思わず、心の中で「YES!!」と叫びたくなりますよね。

 

(今、高度なジョークをかましたのですか、誰か気づきましたか。)

 

そういう場面で、勇気がある人は「ママ・・・・!!」って言ってみてください。もしかすると、母性本能を刺激することに成功するかもしれません。

ちなみに西園寺さんは、そんなこと、言ったことはありません。

(今度、実験も兼ねてやってみようと思います)

 

オパーイには凄まじい効用があることに、ある時、気づきました。

 

「はぁ・・・なんか疲れた・・・」

って日があったんですよ。あれは、とある夏の暑い日だった。

Fカップのパティシエの谷間に顔を埋めたんです。

 

疲れていたせいか、ガシッとその子を抱きしめて、おっぱいに顔を埋め、フリーズしてしまったんです。

すると、その子は頭をなでなでしてくれたんですね。

 

そのまま、無言の時間が流れました。

静寂のオッパイタイム。

 

基本的におっぱいとかを見たり触れたりすると、止まらなくなるじゃないですか。

次のステップに移行するじゃないですか。

ブラのホック、外しちゃうじゃないですか。

 

でも、疲れていたせいで、おっぱいに顔を埋めたまま、動けなくなったんです。

 

そのまま、ちーんみたいな。

そしてね、すごい癒されたんです。

 

その時、思いましたね。

おっぱいって偉大だな、って。

 

癒しじゃん、って。

神じゃんって。

 

もう、包まれて受け入れられる感じ。

 

おっぱいは神だ。

あぁ、おっぱいを信仰しよう。

 

Fカップぐらいになると、しっかりと埋められる。

フニッって、ホールドしてもらえる感がある。

優しく包まれる感じ。

 

ちなみに、Fカップ〜Gカップの女性って、国内全人口のうちの6〜7%ぐらいしかいないそうですよ(Hカップ以上は大きすぎる)。

余談ですが、年収1000万円以上の男性も5%ぐらいでしょうね。

 

20代で、たかだが月収30〜50万くらいを、しかも自動で(あるいは高時給で)稼げない人間が、20代のFカップ女性に相手なんてしてもらえるわけないじゃないですか!!

だからね、お金なんてさっさと稼きましょう。そして、若いうちに、存分におっぱいと戯れてください。そして、Fカップの美女に優しく頭を撫でてもらい、おっぱいで癒してもらってください。頭ハゲ散らかしてきた頃に、おっぱいに顔を埋めても、なかなか許容してもらえませんよ。

西園寺さんなんて、エッチうますぎて、行為中、女の子がガタガタと小鹿ちゃんのように震え、昇天しますからね。

 

(こういう刺激的な煽り文章を書けるようになると、ネットでは人気が得られる傾向にあるようです)

 

 

・・・・・・・・とかなんとか偉そうなこと言ってますけど、

西園寺さん、女の子の前で恥かきまくりですからね。

 

まず、ファーストキスした相手の唇に歯をクリティカルヒットさせて気まずい雰囲気になったことがあります。

ファーストセックスではチン●がたたず、「もういいよ」と軽く半ギレされたことがあります。

「元カノ」に浮気をされたこともあるし?振り回されて発狂したこともあるし?

女の子に、「モテなさそう」とか「その服着ている人と歩きたくない」とか「うざい」「痛い」「整形してきて」などという、心無い言葉を頂戴したことも多々あります。

 

 

 

あ、ちなみに。

 

なんか、仕事ができる人ほど赤ちゃんプレイを好むそうです。大企業の部長クラスになると、3歳児程度の赤ちゃんプレイを好むようになり、ウイスキーのつまみには離乳食を食べるようです。役員クラスになると、乳児〜1歳ぐらい、社長や会長クラスになると胎児レベルの赤ちゃんプレイを好むようです。

(まじでネットのコラム記事にあった。「赤ちゃんプレイ 出世」で検索してみてください。)

 

仕事ができる人になりたければ、女性の前で赤ちゃんになればいいのか。

なるほど。

 

全ての人間は、女性から生まれています。

なので、原点に帰りたくなったら、女性に大股びらきをしてもらい、「I’m home now」と言いながら、頭を女性の恥部にグリグリと押し付けてみましょう。

「ボクちん、原点に帰るナリ〜〜〜」

とか言って。

 

I can smell your cuntとか言って。ジョディフォスターの名演が光る、「羊たちの沈黙」より、クレイジーなフレーズを拝借致しました。

 

これ、英語圏で絶対言っちゃダメですよ!!!

 

ダメ、ゼッタイ!!!

 

 

 

▶︎第1部 : お金について

 

オフラインのビジネスを立ち上げる時って、最初の立ち上げでお金かかるじゃないですか。でも、これって逆に言えば、「金さえ出せばすぐに商売が立ち上がる・動き出す」ってことなんですよね。

実際、私の知人を見ていても、アホそーな人でも、スモールなオフラインビジネス立ち上げて、食べてますよ。

 

大きな落とし穴さえ踏まなきゃ大丈夫とのこと。

供給過多のところで競争に負けないとか、需要を掴み損ねない、とかね。

 

普通に商売で食べている人って、手堅い需要を確実に取りに行っているようです。そして、その際に、競争問題をうまーくクリアしている。

昔よく行っていたラーメン店の店長は、30歳で独立してましたけど、

  • ラーメンという手堅い需要
  • この地域には無い種類のラーメン

という2点に着眼して、開業してました。もう、4〜5年は食えているんじゃないかなぁ?

 

じゃあ、オンラインのビジネスの問題点は何か。

これはね、「スタートするのに時間と労力がかかる」ということです。特に、一人でオンラインビジネスを立ち上げたいとかいう場合には、それなりに時間と労力がかかるんです。

で、みんなね、ネットについて「手軽そー」「金かからなそー」って思って注目し、ネットで稼ぐことを画策するんですが、まず、

ーーーーーーーーーー

ビジネスモデルを組み上げて完成させ、スタートする

ーーーーーーーーーー

っていうところにすら辿り着かずに失敗するんです。

 

あと、ネットはいきなり全国大会なので、オリジナリティがないと難しいですね。厳しいですね。

 

逆に言えば、それ、全部整えたら、サクッと、ある程度稼げますよ。しかも自動で。それだけで。もっとブラッシュアップしていけば、もっと伸びます。どんどん伸びていきます。売上はある程度、積み上げなので。

そもそも、大した固定費もかからないのだから、月収10万〜20万程度のお小遣い稼ぎは、そんな大したことないですって。その先は、縦に伸ばそうと横に伸ばそうと、どうにでも伸びます。

 

でも、それぐらいの額を家賃収入で得ようと思えば大変なわけですから、すごいことだと思いませんか!?

 

オフラインビジネスと違い、そこまで経費の垂れ流しなんてないのだから、しっかりと全体を完成させて、試行錯誤しながらブラッシュアップすれば良いじゃないか、って本当に思うんですよね。

<1>リストを集める
<2>リストに教育する
<3>リストに販売する

っていう全体を、まず、ガッチリと組み上げられる人がいない。

これをちゃんとやり切れる人がいない。

 

どう考えても、商売ってのは「お客さん」なのに。

そのお客さんというものにフォーカスして、リレーションシップしていくことに力を入れているのがDRMなのに。

 

市場から、ゴソッとお客さんを集めてきて、ガッチリとクリティカルマスを達成してその上で事業を安定させるのがDRMです。

まぁ、DRM自体はネットでもオフラインでもどっちでも使えるんですけど、個人的にはネットの方がオススメですね。だって、郵便DMとかじゃなくてEメール(メルマガ)使えばいくら配信してもタダでしょ。

 

DRMの基本は、お客さんとのコミュニケーションなので、そこに毎度、大してコストがかからないのがネットの良いところです。

逆に言えば、ネット使っているのに、顧客とのコミュニケーション頻度が少ない場合は、オンラインDRMの特徴・醍醐味を活用しているとは言えませんね。

 

ネットでモノ売るとか、コンテンツ売るとか、そーゆーことしたいのであればお客さんとの信頼関係がすごい大事じゃないですか。ガッチリと関係をつくることが求められるわけです。

今、ネットにはアフィリエイトをはじめとして、誰もが簡単にマネタイズできる機会があると思うんですよ。やりたい人は、1回、腰を据えて、「自分で自分のお客さんを取るんだ!!」っていう気持ちを持ち、真剣に客を取りにいってみてください。「自分の客を取る」という意識ですね。

そして、しっかりと、お客さんと関係を深めてみてください。

需要を大きく捉え損ねているとか、ライバルに大きく引けを取っているとかじゃない限りは、普通に成約の1件、2件は取れると思うんです。で、この時に確信するわけです。

「あぁ、これはちゃんとやれば、稼げてしまうな」

と。

 

多くの人が気にするのは、ライバルに引けを取ることでしょうか。でもこれも、何というか、ありきたりなことをやろうとしている証拠ですよね。

そもそも、これに関しては、めちゃめちゃ競争が激しそうなところとか、自分の強みが発揮されないところとか、自分が苦手なフィールドとかを避ければ良い話だと思うんですよね。

 

そもそも、ビジネスはスポーツでも戦争でもないので、二者競争ではなく、お客さんをめぐる三者関係であることを理解すべきです。

 

普通に、リサーチすればいいと思うんですよ。

ライバルをリサーチしてみたり、世の中の人をリサーチしてみたり、自分をリサーチしてみたり。

あと、実際に、自分で消費者体験を積んでみて、感覚を養ったり、考えてみたりする・・・・・と。感じてみると。

よくわかんないなら、とりあえずフラッと駅ビルにでも寄って、世の中の商売をフワーッと眺めてみたらどうですか。ウインドウショッピングでもしまくったらどうですか。

 

結局、

  1. 自分
  2. 世の中の人
  3. ライバル

の3つについて、上手に理解できれば、どこかで自分がポジショニングできる場所が見つかると思うわけです。

 

で、私がすごい大好きな、気に入っているフレーズと、そこから得られる考え方があるので紹介しますね。

ーーーーーーーーー

Business success really is as simple as finding what I call an “under-recognized” or changing need and filling it in with wisdom, empathy, and understanding that no one else can demonstrate or display. In short, you will be solving problems that other people may not even be able to articulate, These are three categories of problems: your own problems, your competitor’s problems, and your market’s problems. Since time immemorial, the people most skilled at solving the biggest, most important problems have been the best rewarded. That has always been so, and will continue to be.

Chances are that in hard times, both you and your competitors don’t even recognize the problems you are struggling with, You might not be able to put these problems into words, let alone find solutions. But if you can get clarity about what problems you’re confronting and trying to solve, you can become a master at solving those problems for yourself and for your marketplace. And if you do, rich rewards await you.

( The sticking point solution ーp6 : Jay abraham Vanguarad Press)

ーーーーーーーーー

 

解説します。

 

ビジネスの成功というのは、見つけられていない(気付かれていない)ニーズだったり、変化したニーズを、「知恵」、「共感」、「理解」などを用いて、「満たす」ことによって、簡単になる・・・というお話。しかもそれは、他の誰もが掘り起こしていないものであれば尚更、簡単になるということ。

重要な点は、コレは「新規性あるビジネスモデル」を意味するのではなくて、世の中のビジネスがケア・フォロー仕切れていない、「かゆいところに手が届くアプローチ」みたいな意味です。

人は自分が何が欲しいとか、どんなことを求めているということを言葉にする反面、自分でも自分のニーズに気づいてないことは多いものです。そして、そういうものは需要者本人はもちろん、世の中の人だって、既存の競合だって気づいていないかもしれない。

 

ーーーーーーーー

大昔から、最高の報酬を得てきた人間は、

人の最も重要な問題を解決した人間に与えられてきたし、

それは今後も続いていく。

ーーーーーーーー

 

 

とりあえず、世の中で売れているもの・人って、このセンスがムッチャ良いです。本当に需要されているものを見抜く・感じる力。

で、世の中で名をあげている人たち、成功している人、成果を上げれている人たちって、ここらへんをセンシティブに、確信を持って「掴んでいる」感じがあるんですよね。

音楽家の久石譲さんとか、youtuberのhikakinさんとか、名探偵コナンの青山剛昌さんとか、ああいう人たちをみていても、本当に思います、私は。もちろん、ジョブズもそうです。

ーーーーー

(久石譲さんの音楽がすごい好きで。彼の著作を読んだんですが、もともと、自分のやりたい音楽を追求してけど、ある年代から需要に寄せていくようになったっていう話を聞いて驚くと同時に、とても勉強になりました。あぁ、確信的にあんな素晴らしい音楽を創造していたのね・・・・・。名探偵コナンは、あの恋愛模様は完全に女子ウケ狙ってますわ・・・・。完全に・・・・・。)

ーーーーー

 

ここを直感的に理解しにいくか、データドリブンマーケティングでなんとなく統計的に科学するか、それとも逆に、「クリエイティブ」の方にぶっ飛んで人を引っ張るか、ひたすらリサーチするのか、方向性は色々あると思います。

 

で、「苦しい時期」には、自分も、自分のライバルも、市場にある需要が理解できなくて苦労する時があると。それが何なのかを言葉にすることも、ソリューションを見つけることもできないかもしれない。でも、そこで、自分がどんな問題と対峙し、解決しようとしているかを明確にすることができれば、自分自身と自分がいるマーケットのために、その道のマスターになることができる。

そして、実際にそれができるのであれば、大きな報酬が待っている。

そういうお話。

 

 

 

▶︎第2部: 世界について

 

私が個人的にすごく思うことがあります。

それは、人間の認識と思考は、常々、現実に即していないのではないか、ってことです。

そして、その根本的な原因は、古い教育に求めることができると思うんです。

 

今の教育だと、「過去を見て、未来を見る」っていう考え方がガチッと身についてしまうんですね。

そもそも、科学の基本的な姿勢がそんな感じなので、科学の手先みたいなコンテンツを小学校から教え込まれると、やっぱ、そうやって世界を見るのが普通になってしまう。

 

でも、私、思うんです。

 

未来は、未来だ、って。

未来は未来で、過去とは全く切り離されたものである。

 

そもそも過去って何?

未来って何?

 

「今」しかないのでは?

人間が都合よく、「過去→現在→未来」というものに物事を当てはめているだけじゃないか?

って。

 

一度、そのパラダイムを「捨て」てみると、世界が、グワッて変わる。

私はそんな感触があるんですよね。

 

確かに、未来は過去の先にあるものかもしれない。

でも、あまりにも、

  • 世の中の人が「過去→未来」という因果を信じすぎている
  • 世の中の人が、世の中を「過去→未来」という捉え方で捉えている

せいで、それが多数派すぎるせいで、「未来は過去の結果である」みたいな感じで世界が形成されているのかな、って。

おまけに、多数派って、それそのものがそのまま「世界」になっちゃう部分があるじゃないですか。

 

でも、実際のところ、「過去が原因で、未来が結果」っていうのが当てはまる場面って、ごくごく限られているのではないかな、って私は思うんです。

 

人間って、考える時に、必ず過去を分析するんですよ。

過去から未来を導こうとする。

 

歴史を知って、過去、こういうことがあったから未来はこうなるだろう・・・・的な。

過去にあった事例やeventを分析して、未来はこうなるだろう・・・・的な。

自分は過去こうだったから、未来はこうなるだろう・・・・的な。

 

自然科学の世界では、天体の動きとか、物理の法則とか、そういうものは過去繰り返されてきて、未来も同じことが起こるだろう、っていう世界です。

法律の世界も、判例のように、過去あったものをベースにして未来についてあーだーこーだすることがあると思うんですよね。

就活の時も履歴書出せって言われます。

 

でも、そういうものを除いて、世界を見た時。

本当に、世の中ってそこまで、「過去→未来」で動いているか?って思うんです。

もし、過去と今を断絶させて捉えるなら、「今の連続」として、世界や人生を捉え直すのなら、

ーーーーーーーーー

全てがガラって変わる

ーーーーーーーーー

と思うんですよね。

 

考えてみてください。

なぜ、

「過去→今→未来」

で物事を捉えるんですか。

 

なぜですか?

 

・・・・・・・原点を探れば、親、先生、学校ですよ。

そこに、認識フレームワークの、ルーツを求めることができる。

 

別にそれが悪いって言っているわけではないですけど、思うことがあるんです。学校教育でトップの成績を収めた人たちって東大とか行くわけですよね、最終的には。で、その上澄みの上澄みの人たちに人気の就職先とかって官僚とかなわけですよね。他にも色々あるだろうけど。

エリートコースの行く先というのを見つめると、学校教育的なものに浸った先でそれが存分に活かせるフィールドというのがちょいちょいピックアップできると思います。

そして、そこでどういうことが求められ、どんな人材がどういう働きをし、どういう価値を世の中に提供しているのか・・・・・・・

っていうのを考えてみる。

 

そして、そういうコースからは思いっきり外れた人間たちにどういう選択肢があって、どういう活躍のパターンがあって、どういう成功の仕方があって・・・・というのを調べたり考えたりしてみる。

 

すると、

ーーーーーーーーーー

全くもって違った思考・認識を持つ人間が、

完全に常識的なもの・マジョリティ的なものとは

外れた道で変なことをしている世界がある

ーーーーーーーーーー

っていうことに気づきます。

 

そして、そういう世界で生きている人間が、どんな思考を持って、どんな認識で世界を捉えて動いているのか・・・・

っていうのを理解しようと努めてみる。

 

最初はすごい時間がかかるし、意味がわからないのですが、あとあと、ピンとくるようになったりする。

その時に、

「うわあぁぁぁぁぁぁぁ!!」

って、鳥肌が立つような衝撃を受けることがあるんですよね。

 

で、私にとってその代表格が、

「働き方」とか

「仕事」とか

「売れているもの」なんですよ。

 

完全に、ゲームのルールは変わった、変わっていると思うんです。

考えてみてください。

 

人間の生活なんて、シンプルにまとめりゃ、究極、

  1. 食う
  2. 寝る
  3. ヤる

ですよ。

で、企業寿命がどんどん短くなっている今(現在、平均23.5年)、性売春みたいなものは「ビジネス界の化石」と呼ばれるぐらい、ずーっと残っている。つまり、食とか住とか、性みたいなものはずっと不変的。

でも、こういうものもいずれ、テクノロジーの進展で変わるはずです。ご飯は、錠剤を1粒飲むだけで空腹感が満たされ栄養が完璧に取れるようになるかもしれないし、VRコンテンツと人工知能を搭載した完璧なダッチワイフで性欲が満たせる時代が来るかもしれない。

こうやって考えたら、他の領域のビジネスなんて、「尚更余計に変わりまくる」わけですよ。

 

過去の延長線上に未来がある、という発想で、職探し、キャリア選び、起業を考えることがどれだけ狭い発想か、ですよね。

考えてみてください。

 

人間の生活なんて、

  • 朝起きて、
  • ご飯食べて
  • 着替えて
  • 電車乗って
  • 職場行って
  • 帰ってきて
  • 寝て

終わりでしょ。そんなもんでしょ。

こんな人間の1日を支えている、関連するビジネスって?

  • スーパー
  • コンビニ
  • 外食
  • 服産業
  • 鉄道事業
  • 不動産
  • 家電製品産業
  • インテリア系産業

こんなもんじゃないですか。

基本的な生活、基本的な機能に着目すれば、そんなもんですよね。でも、世の中を見渡せば、

  • スマホゲーム事業
  • カフェ事業
  • エステ事業
  • カラオケ産業
  • 音楽産業
  • アミューズメントパーク事業
  • テレビ事業
  • アダルトコンテンツ産業
  • 出版産業
  • オーディオ製品産業
  • 観光産業

とかまぁ、いろんな「無駄なもの」「不必要なもの」が溢れかえっている。もっともっとありますよね。

しかも、人間は、基本的な商品・サービスにすら、余計な付加価値を求めてますよね。わかりますかね。

 

こうやって考えると、ビジネスというのは、基本的に、無駄なものだらけです。

 

そして、そんな無駄なものだらけの商売で飯を食べている人、それに雇用されて生活が支えられている人がたーーーーくさんいるわけ。

だから、世の中の

  • 商売
  • 仕事

みたいなものも本来的な機能に還元したり、人間の基本的な質素な生活設計をベースにして考えてみると、あちこちに意味不明なものが溢れているわけ。

人間と似ている猿という生き物は、ご飯を食べるし、セックスするでしょうけど、「あ、ちょっと隣町の猿の集落に旅行行って来るわ!」とか言わないですよね。

 

わかりますか、この感じ。

 

基本的には、この世界はいらないモノが溢れかえっていて、テクノロジーは進歩しまくり、機械やITがどんどん人間の仕事を奪い、人間は重労働からどんどん解放されていっているわけですよ。

インターネットみたいな意味わからないものも出てくる。

 

こうやって考えると、思うわけです。

 

ーーーーーーーーーー

一体、この世界は何なんだ。

ーーーーーーーーーー

と。

 

すっごいカオスだし、意味不明なものに溢れているし、常に前に進んでいるし、新しい技術が生まれている。

 

こんな世の中を生きる上で、

ーーーーーーー

旧来的な発想に拠って立って、世界を見ることがどれだけ視野を狭めるか

ーーーーーーー

ですよ。

 

人間は何か知らないけれど、

  • 正しさ
  • 良さ
  • 当たり前

みたいな概念が頭の中にこびりついていて、それは大体、ルーツは親、学校、先生、親戚みたいなところにあるわけです。

で、生涯、その物差しを持って、何かを測って生きていく。

 

「常識とは、18歳までに集めた偏見のコレクションである」、というのはアインシュタインの言葉ですね。

 

常識がないと生きていかれない。

過去を知らないと生きていかれない。

学校に行かないと基本的なことがわからない。

 

それはごもっともです。

ごもっとも。

 

しかし、時代に適合したり、面白いことやっていたり、うまく成果を上げている人たちって、よーく観察していくと、「手放している」んですよね、色々。

 

「過去」から解放されているというか。

「過去の自分を殺している」というか。

 

私は、「過去にとらわれる」ってことが、実は、多くの場合において間違っているんじゃないか、って思うんです。

 

例えば、お父さん・お母さん、おじいちゃん・おばあちゃん、親戚のおじさん・おばさん、学校の先生、こういう人たちの言うことを聞いて、キャリア選択した場合。

どうですか。

なんか、あんまり、うまいこといかなくないですか、今の時代って。

 

なんか、おかしくないですか。

 

うまくいかないっていうか、うまいこと、仕事したり生活していけなくないですか?

 

ーーーーーーーーー

今、成功している商売、今、成功しているキャリア。

こういうのって、過去のパラダイムで捉えきれるものですか。

ーーーーーーーーー

 

っていうね。

 

ましてや、世の中にはどんどん、若い世代が育っているわけです。

古い人間は、どんどん、引退したり死んでいく。

 

世界は「人」が創っているわけですから、

若い世代・新しい感性が世に出て行けばいくほど、

世の中が変わっていくのは当然なわけです。

 

15歳ぐらいの子と、25歳ぐらいの人が会話をするってなった時、一体何がその間を取り持つのか(あるいはつなぎ「うる」のか)といえば、「人間の普遍的なこと(恋愛、性、身体的成長や変化など)」を除けば、

  • 言語
  • 常識
  • 学校の話、学校で学ぶこと
  • 学問
  • スポーツ

みたいなものばかりで、そういうものってぶっちゃけ、人間を型とか枠にハメるものばかりですよね。決められた、ルールがある。

こうやってみていくと、全く違う感性・感覚を持った生き物であるはずの人間をつなげている(まとめている)のが、案外、そういうモノに限られているんだってことに気づきます。

実際の現実世界では、そういうもので人々を束ねる・繋げることが苦肉の策として実行され続けているのではないか、と思うわけです。

(やっぱり、社会的な動物である以上、人間は社会性を失い孤立したら機能しませんからね)

 

こうやって考えると、ちょっと、世の中の見方が変わってくる気がします。

 

今の時代って、明らかに昔と違いますよね。

私がかなり、自分勝手な見方をしているのかもしれませんが、
なんというか、確かに今は、昔よりいろんなものに恵まれているし、
いろんな便利なものは生まれていると思うんですよね。

でも、QOLっていう観点から見たら、それって、どうなのかな?って思うんです。

 

昔の日本人が当たり前にしてきたこと、できてたことが、すごくハードルが上がっている気がする。

昔のように報われなくなってきている気がする。

 

で、今の時代、報われている人って結局、時代に適合した、未来に合わせた人ばかりだと思うんです。

で、完全に、過去の自分を手放している。

 

人間の幸せが、例えば結婚して幸せな家庭を築くとか、
愛する人と出会うとか、
雇用の安定とか生活の安定みたいな、
「普遍的なもの」にあると考えた場合、
今の時代って、どうなんだろうって思うんです。

 

すごい、複雑で難しいな、って。

 

複雑な世界って、褒められたものじゃないですよ。

幸せって、シンプルなところにあったりしますから。

 

いい大学を出て、いい会社に就いて、
シコシコ働いていればそれなりに幸せになれる・・・・

っていうわかりやすいレールがあった時代と、
それではなかなか報われなくなった時代と比較した時、

仮に昔の働き方の方がエグかったとしても、
QOLという点では昔の方が良かったのかもしれないってたまに思うんです。

わかりやすいというか。

 

昔、めちゃめちゃ低時給労働してた時代ありましたけど、

確かに

「きついなー、大変だなー」

って感じはあったんですけど、シンプルでわかりやすかったです、なんか。

 

わかりやすい=生きやすい、ですからね。

 

で、特に、肉体労働系はわかりやすかった。

 

短期で、肉体労働のバイトしたことあるんですけど、大きな声を出して、走り回って、体育会系の人に怒られて・・・・

っていうのはキツイ反面、ご飯がすごい美味しく感じられるし、体を動かしているとやっぱりスッキリするし、何より仕事内容がわかりやすい。

問題は、給料ですよ。

 

その職場で働いている人が言っていました。

「昔は良かった(実入りが)。今は全然稼げなくなった。」

って。

 

人間ってそもそも、動物なんで、体を動かしてナンボ、自然の中で活動してナンボだと思うんですよね、私は。

そして、本来の営みって、簡単だったはずなんです。

 

都会でサラリーマンをする、という働き方。

ああいう、大組織にみんなが群がってガリガリ働く時代と、
みんなが農業とか商店やって原始的に暮らしていた時代。

 

どっちが幸せなんだろう、って思うんです。

 

村上春樹さんの本の中に、
彼自身の人生について語られている部分があったんですけど、
彼は若いころ、喫茶店みたいなものをやっていたそうですね。

で、あの時代を回顧して

ーーーーーーーー

あの頃は良い時代で、

今と違って若い人が店を始めるのにそんなにお金もいらなかったし、

食っていくぐらいなら簡単で、

隙間がある領域(ニッチな領域)がたくさんあった

ーーーーーーーー

みたいなことを言っていたんですね。

 

で、ロックというか、パンクというか、
ちょっと道を外れたような生き方をしても
自由気ままにやりながら飯が食える領域が結構たくさんあった時代だった・・・

不器用な人間が生きる道がたくさんある良い時代だった・・・

って言っていたんです。

 

で、それを聞いて、「あー、それ、いいかも」って思いましたね。

今の時代、そういうニッチすら、一通り食いつぶされて、なくなってますよね。

 

村上さんがやってたようなことをできる若者は、あまりいないんじゃないかな。

 

で、その時代は、その時代にあったそういう生き方があった。

もし、今の時代にそういう生き方をしようと思えば、今の時代に合ったやり方が必要。

 

その代表格が、やっぱ、ネットを使ったビジネスかな、って個人的には思います。

今の時代も、ネットの世界にはパンクな生き方、ロックな生き方、外れた生き方をしている人たちがポツポツといるようですね。

 

こうやって考えると、時代性って大事。

 

そしてやっぱり、今の時代に適合することだったり、未来を読むことって大切だと思うんですよ。

 

でも、「過去」を前提とした教育だったり、
「過去」にばかり囚われている世界だったり、
「過去」しか見ない人とばかり接していると、やっぱり、苦しいのかな、って。

 

それは冒頭述べたように、

この世界は実際のところ、

「過去 → 未来」という因果で説明できる現実の領域は、

実際のところはそんなに多くないから・・・・・・っていう。

 

でね、

今みたいにyoutuberみたいな新しい生き方が出てくると、

ヤフコメみたいなところでは、

「そんな働き方続くか」とか、

「この人たち、将来どうするんだろう」とか、

すごい批判があるわけです。

 

でも、私が思うに、そういう見方って、「過去→未来」の認識がベースにある。

新しい生き方している人たちって、「今」とか「未来」しか見ていない気がするんですよね。

蓄積型の人生発想じゃない。

実際、hikakinとかはじめしゃちょーみたいなトップクラスを見ているとそうですが、あの人たち、金バンバン使うじゃないですか。

なんか、「貯金」みたいな発想、無さそう。

 

頭の中がきっと、違う。

だから、彼らはもし、youtuberみたいな仕事がなくなっても、その時々で、「今」「未来」に合わせた動きをするから、また、うまくやると思うんです。

 

「過去→未来」の発想で生きる人は、

やっぱりひたすら貯金とかしようとするし、

学歴積もうとか資格取ろうとかそういうことを考えるわけ。

そして保守的に生きるし、変な生き方している人を見ると、イラっとくる。

 

保守的な生き方も、もちろん未だ、健在ですよ。

公務員とかは、まさにその路線の勝ち組筆頭だと思います。

 

でもね、そういう道を選ばないんだったら、

私は、

ーーーーーーーーー

「過去に縛られた発想」

ーーーーーーーーー

は、やめたほうが人生、うまくいくんじゃないか?って思っています。

 

って考えると、計画とかもあんまり意味ないなぁ、とかすごい思うようになってきてて。

 

川の流れのように?

今の連続で生きる人生?

未来を見る人生?

 

明らかに世の中、ゲームチェンジしてますからね。

 

過去に縛られたやり方をしても、報われない世界が多すぎるのだから。実は思った以上に、「過去→未来」というパラダイム、認識フレームワークが通用する世界は、限られていると感じるんです。

だから、

「今、今、今」

の連続で生きる。

 

未来を見る。

そういうのが大事なんじゃないかな、ってすごく思って。

 

何が言いたいのかわかんなくなってきたんですけど、

もし仮にですよ、

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過去には、意味がない

ーーーーーーーーー

という考え方を大胆に取り入れたとするじゃないですか。

 

で、何か面白そうだな、っていう道を見つけたとする。

その際、そこにチャレンジするのを恐れる気持ちって、やっぱり、「過去→未来」というパラダイム・認識に囚われすぎてきた結果、もたらす思考が呼び起こしているものなんじゃないのかな、って思うんです。

過去が今の思考を形成しているじゃないですか。

 

で、「怖い」とか「危ない」とかいうのは、過去から来るわけですよね。でも、ゲームチェンジしてて、「今」と「未来」をただちゃんと見つめて、それに合わせていくことがはるかに重要な領域で、過去引きづってたら、余計危なくないですか、っていう。

 

過去の自分と今の自分は、一切関係がない。

過去の恋愛経験と、未来の恋愛機会は、一切関係がない。

もし、完全にそうやって思い込めた場合と、そうじゃない時って、この先の全てが変わってくるような気がしませんか。

 

過ぎたことは、全く、今と未来に関係がない、と、もし考えてしまうとしたら。

なんか、景色が変わる気がしませんか。

 

・・・・・・・。

 

こうやって仮定して、世界を捉え直していくと、ふと気づくわけですよ。

 

「え、自分、どれだけ過去に囚われているの」って。

 

過去を手放す。

完全に手放す。

いかに自分が、過去に縛られていたかに、まず気づく。

 

そして、「今を見る」。

未来を呼び込む。

 

すると、目先の景色が、完全に違って見えるかもしれない。

 

ある時、気づいたんですよ。

自分が、「過去の物差し」をひきづって、それを連れ添って歩いていることに。

 

面白くないですか?

この話。

 

自分が見ている景色のその全てが、メガネを通して見える景色で、そのメガネをかけていることに自覚がないまま生きてきていたとしたら。

そしてそのメガネを外して飛び込んで来る世界が、全く持って違った世界だったとしたら。

 

世界は、完全にゲームチェンジしてたことに、今まで気づいてなかった・・・・・・・なんて驚きに、頭をガツンとやられる衝撃が来るかもね。

クラクラしちゃうかもね。

 

少なくとも、これは自信を持って言えますよ、私は。

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今の時代の仕事やビジネスは、

過去のものに対して、完全にゲームチェンジした

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こういう話をすると、「はいはい、そーゆーふわふわした話ね」って思う人は多いと思います。

私も元々そうでしたから。

 

でも、その証拠にって言ったらなんですけど、

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過去のやり方・生き方・仕事が

バンバン通用しなくなってるじゃないですか。

儲からなくなってきているじゃないですか。

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未来の話を考えるときに大切なのは、

「すでに起こっている未来」

です。

 

この、「すでに起こっている未来」ってのは、ドラッカーの言葉なんですけどね。

 

すごい文学的で深遠ですよね。

もう、頭にジワジワ染み込んで来るんですけどね。

 

もう一度言いますよ。

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すでに起こっている未来

ーーーーーーーーーー

があるんですよ。

 

そこら中にあるんです。

 

すでに、起こっている未来が。

そこを感じ取れるだけでも、確実に、未来の匂いや、ゲームチェンジの香りは感じ取れるはずです。

 

森に入って、木に熊の爪痕があると、

ーーーーーーーーー

熊が出るな・・・・・・

ーーーーーーーーー

ってのがわかるかのごとく、今の世の中を、「過去に縛られたバイアス」を取り払って再検証していく。

 

すると、あちこちに、「既に起こった未来」があることに気づくのです。

そして、確実に世の中が変わっていることがわかる。

 

未来の話をすると、「テクノロジー」の視点ばかりで捉える人は多いですが、「マーケット」も変わっているということを忘れずに。

マーケットも、完全に変わっていますよ。

人間心理は不変な部分もあれば、可変の部分もありますからね。

 

過去を手放す考え方は、自分という人間を見る上でも、新しい景色を呼び込みます。

 

少なくとも、恋愛や仕事に関して、今の自分と過去の自分を重い鎖で繋いでいるのは、過去と今が不可分だっていう「思い込み」と、自分の「記憶」と、他人が自分に対して持っている「記憶」だけですからね。

特に一番厄介なのが、他人です。

「お前はこうだよな」っていうスタンスで接して来るから、それに応じているだけで、自分でも自己洗脳かけてしまう。他人が、自分の変化についてこれない、自分の変化にブレーキをかけるんです。

他人の中では、今のあなたは「過去のあなた」なのです。親が、子供のことをいつまでも子供だと思っているかのごとく。

 

もちろん、こういうこともありがたいことですけど、程よく手放すことも大切です。

 

人間関係刷新して、住む場所変えて、職業変えて、生き方変えれば、誰も自分の変化を止めませんよ。

 

変化すればいい。

変化し続ければいいんですよ。

 

私、わかるんですよ。わかってるんですよ。

明らかに、自分を縛っているのは自分の思い込みと、周りの人間が自分に対して寄せている認識だって。

 

5年ぶりに会っても、10年ぶりに会っても変わってない人。

そういう人たちは、

  • 同じ場所で、
  • 同じ人とずっと付き合って
  • 同じようなことして
  • 親や親戚とばかりべったりしている

んです。

 

そういうことは大事です。

もちろん大事。

 

でもね、人間関係刷新して、住む場所変えて、仕事変えて、情報チャネル変えて、過去の思考パターン手放して・・・・

っていうのをやるとね、

もうね、

 

チョーキモチイイんですよ。

 

チョー気持ちいい。

 

もう、あの感覚がたまらないんです。

 

 

 

▶︎第3部 : 人生について

 

もし仮に、

「ネット禁止」

「資金ゼロ」

でゼロから起業しなおせ、って言われたらどうするか、っていう話をしたいと思います。

 

実際にその状況に追い込まれないとわからないのですが、一つ、プランとしては「カウンセリング」のようなメンタルケアの領域で起業するかもしれません。

カウンセラー事業は業務独占資格(資格を取らないと仕事ができない)ではないので、「心理師」のような名称独占資格(その資格を取らないとその名称を名乗ってはいけない)と同じ名称を使わなければ、フツーに仕事を始めることができます。

 

なぜこの領域なのか。

理由は3つあります。

 

  1. 需要が大きいのに供給が足りてない
  2. 競合が弱い
  3. 自分の強みが発揮される

「需要が大きいのに供給が足りていない」、という点ですが、ある程度栄えている街のカウンセリングルームなどは、今はあちこち、予約でいっぱいです。また、今の世の中、精神病院はあちこち埋まっているし、鬱を発症する人もかなり多い。

また、鬱予備軍とか、鬱っぽくなっている人、病んでいる人などもめちゃめちゃ多いです。軽く悩んでいる人なども含めれば、相当なマーケットサイズと言えます。

 

「競合が弱い」、という点ですが、この領域の事業者は総じてマーケティング素人ばかりが目立ちます。彼ら・彼女らの営業活動を見ていても、全然、最適なマーケティングが実行されているとは思えません。

 

そして、「自分の強み」が発揮されるという点について。これは、私の人生経験上、「思った以上に喜ばれる」「求められる」という経験が山ほどあったから、です。まぁ、人生相談とか、お悩み相談みたいなものですね。

自分としては、メンタルケアのようなものに大して興味はないのですが、人の相談に乗ると、思った以上に喜ばれることが多かった、という事実は、見過ごせません。かなり、この領域に強みがあるのだと思われます。

 

とはいえ、カウンセリングというのは非常に、高度な心理知識が要求される業務であるのかもしれません。なので、リサーチついでに、実際にカウンセラーのお客さんになってみたり、関連する書物をチェックするなどの下準備はもちろん行います。

また、重度な鬱になっている人などには手を出さない方が良いかもしれないので、カウンセリングというよりは、「お悩み相談」寄りの、もう少しライト・ポップなポジショニングで進めていく・・・・などの戦略的な調整はすると思います。

 

開業にあたっては、100万〜200万円ほどの借り入れを起こしたいと思います。もし、それができない・やりたくない場合には、工場でもなんでも良いので、半年ぐらい働きづめになれば100万円ぐらいは用意できるでしょう。

固定費に金をかけてはしゃーないので、出張型、自宅型、カフェ・・・・など、色々工夫をすると思います。

じゃあ100万円は何にぶっこむのか、というともちろん「広告」です。、新聞広告を使うのか、郵便DM・ポスティングを使うのかはわかりませんが、広告にお金を使うことになります。

 

重要なことは、「リストを集める」ことです。広告の目的は、完全にこれです。短期的に売上を上げよう、投資を回収しようなどとは1ミリも思いません。

なので、最初は「無料相談」をひたすら行ったり、無料の冊子などを用意し配布するかもしれません。あるいは、最初は非常に低額でサービスを行うか。

最初の段階で重要なのは、収益採算がとれるかどうかではなくて、見込み客リストが集まるのかどうかです。また、実際に需要があるのかどうかの確認、マーケティングテストをすることでマーケティングプランの方向性が狂っていないかを確かめることなどはかなり重要です。

興味がある人に対してCTA(Call to action)を呼びかけるような広告を打ち、レスポンスリストを集めていきます。

 

初回のサービスで、好感触が得られるようであれば、後続のサービスの販売につながるでしょう。収益採算はここで帳尻を合わせていくわけです。長きにわたって利用してくれる顧客が得られるのなら、100万円の投資など、長い目で見れば簡単に回収できます。また、一人一人のお客さんからの収益の獲得ではなく、そのお客さんから紹介を得られるような手立ても打っていきます。

同時並行的に、BARなど、お客さんと会話できる空間で働きながら、対話の腕を磨いたり、あとは経済力がある人との接点をつくっていくかもしれません。営業先の開拓、リスト収集です。経営者など、明らかに精神的プレッシャーの高い仕事をしている人を顧客リストとして獲得できれば、もう、その時点である程度、その事業の収益性は約束されてしまいます。

 

一番大事なのは、カウンセリングサービスへの需要喚起と、信頼の獲得です。今、世の中にあるサービスを見ていると、切迫したカウンセリングサービスへの需要に関しては供給がされているでしょうが、そこまで切迫していない(カウンセリングサービスを利用しようという発想に至らない)客層にとっては、

「カウンセリングサービスを受ける」

という発想すら浮かんでいないのが実情です。そもそも、わが国ではこういった無形のサービスに対するお金を払う意識や、重要性認識が足りていません。米国などと比べると尚更そうです。米国はマリッジセラピーとか受ける人多いですしね。

 

こういうマーケットを開拓するためには、無料でサービス提供やリレーションシップをしながら、サービスの価値について、サービスの必要性について理解してもらう必要があります。すなわち、「教育」をする必要があるわけです。

心理ケア業界を見ていると、この意識がないまま、「初回●●円」という形でお金を取ろうという人があまりにも多い。これだと、切迫した需要を持っている人しか狙えません。潜在需要がある層の大半は、そういったサービスを利用したことも、その価値もわかっていないので、その心理障壁たるや、です。

だからこそ、その向こう側には多大なる金脈が広がっています。

それを理解して、先行投資的に行動ができるか。長期的な視野を持って、潜在客層のリストを大量に集め、リレーションシップを取っていけるのか、そのために先行的な広告投資ができるかが肝心です。

 

バックアッププランも万全です。もし仮にこの事業に失敗したとしても、

  1. 100万〜200万の痛手で終わる
  2. 失敗はネタになる
  3. 貴重な実践的マーケティングテストの知見が得られ、これが次回のマネタイズに使える
  4. 実践から得た知見をこの分野のライバルに提供してマネタイズできる
  5. 獲得したリストに対して、業態変え・ビジネスモデル変えを行い再度アプローチできる
  6. 同業者に経験を買ってもらって雇ってもらう

といったような可能性があります。

 

というか、そこまでリスクは背負わなくても、すでに開業していて死にそうになっている事業者から事業を買い取ったり、顧客基盤(リスト)を譲り受けたり、すでに成功している人の顧客チャネルを借りて有料広告を打たせてもらったり、JVを依頼すれば、

  1. かかるお金を抑えつつ
  2. リスクも抑えつつ
  3. 時間もショートカット

して、もっと素早く軌道に乗れるかもしれません。このプランの方が無難かもしれませんね。

あるいは、ビジネス系の情報発信事業・セミナー業をしている人たちに対してJVを持ちかけ、ある程度経済的に成功しており、かつ、自己投資の重要性や無形サービスへの理解がある人たちに対してマーケティングを仕掛けていくという方向性も面白いかもしれません。

 

成功した暁には、

  • ビジネス書を出版する
  • 同業者へのコンサルタントへと転身する
  • 同業者を雇って自分は働かない方向にシフトする
  • ゼロから成り上がった経験をネタに自己啓発セミナー講師になる

など、展開も見込めるでしょう。

 

はい、ここまでのお話でお気づきかもしれませんが、

  1. リストを集める
  2. リストに教育する
  3. リストに販売する

というフォーマットに沿って、これを応用して、きちんとDRM的な動きをしていることがお分かりいただけると思います。

 

一度、ビジネスをやって成功すると(失敗してもいいけど)、経験値というものが得られます。リスクテイクの胆力がつきます。何より、自分自身がビジネスを行うことへの自信と行動力が得られるようになります。

これこそが、本当の財産になる・・・・・・・・ということをお伝え致したく、このコンテンツを提供した次第です。

 

ビジネスは、成功しようが、失敗しようが、そんなことは本当はどうでもよくて、大切なのは自分の中に、しっかりと価値ある経験や知見が蓄積されたのか?ということです。

これが最強の生活保障となります。

 

さて、では実際はどうなのか、という現実的な話をしましょう。

私がもし仮に、全てを失ったとして、もう一度ゼロからやり直せと言われても、ビジネスをもう一度するかどうかは定かではありません。一度、成功してしまうと、昔のようなハングリー精神は失ってしまうからです。ましてや、私のように怠惰の極みをいく生活を実現するビジネスモデルを構築した経験を持ってしまうと、働くことに対してモチベーションが絶望的になってしまいます。厳密にいうと、たとえ年収がそこそこあっても働く時間が多い人生が嫌になるのです。働けない体になるのです。

 

また、

「別に成功したってなぁ・・・・」

っていうような気持ちになっちゃっているので、やる気も非常に弱い。

 

なので、フツーに新聞配達とか、コンビニ店員とかになってしまうかもしれません。テキトーに働けそうなやつ。でも、新聞配達もコンビニ店員もきつそうなので、もっと楽そうなやつを探すかもしれません。

なんか、機械を一日中眺めているだけで済む仕事・・・・とかね。

 

あるいは、お金持ちの女社長と結婚してニートになり、横から口だけ出す家庭内コンサルタントになって、家で猫と戯れながら皿洗いする生活をするかもしれません。

・・・・・・・・・これは冗談だけど。

 

そもそも、本当のことを言うと、一度当てちゃって、しかも実力がある場合、ベンチャーの経営幹部とかすでにビジネスで成功している人にビジネスパートナーとして迎え入れられる話とかが舞い込んできます。なので、嫌でも、「保守的なそこそこ待遇の良い逃げ道」が生まれてきてしまう、というのが実際の現実なのです。社畜と自由なビジネスプレーヤーの間ともいえるポジションで、人様のビジネスの頭脳として働いて、そこそこの給料をもらう・・・・とかできてしまう。

っていうか、一度ビジネスに成功していると、そのビジネスモデルが仮に破綻したとしても、そのビジネスをフォローしてくれていたお客さんからの信頼が厚ければ、模様替えして再度、容易にビジネスのリスタートができます。というか、同じ業界で再度、また別のことをやればまた超速で復活もできてしまいます。

 

このように、

ーーーーーーーーーー

地に堕ちたくても、堕ちきれない状況

ーーーーーーーーーー

みたいなものが生まれてしまったりするのが、ビジネスでそこそこ成功することの利点なのです。幸いなことに、世の中の人間が自分の能力と経験を放っておかないでくれなくなる・・・・っていう。

それなりのリスクを背負い、それなりの成果を得てきた人間の経験というのは、実はどこでも買い手がある・・・・・っちゅうことですね。

 

別に意図したわけでもなく、生活保障のバックアップが、二重・三重・四重のレイヤーとなって、自分の身を後ろで支えてくれているわけです。

 

そりゃ、安泰ですわ。

 

どうですか。

チャレンジする人生も、案外、悪くないでしょ。

みんな、安定安定言うけど、民間での安定は幻想で、トップ層や投資家がリスクを背負っているだけですよ。安定の代名詞である公的機関はその民間から税を徴収しているだけですよ。

 

安定欲しさに、不安定に突っ込んで、めぐりめぐって安定・・・・・・

っていう逆転の発想も面白いかもね。


===

西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。