資本主義と共産主義の違いを一発で教えよう。
学校の体育祭で、
男女ペアを作れ!!
と言い、イチャイチャするカップルを演じる題目において、無理矢理男女をあてがうのが共産主義、自由にペアを作らせる(イケメン男子一人に大量の女子が集中でも可)が資本主義である。
つまり、資本主義というのは、人間本性どストレートなのである。
さて、保育と介護が儲からない理由を考えてみよう。
結論から言って、
ガキと老人の世話を人々が
求めてない
からである。
いや、もう少し正確に言おう。
まずは子供から。
子供は、「金がかかるならば、産めない、産みたくない」という代物である。
子供の出生は、お金のデータと綺麗にリンクしている。
貧しい時代に子供がバンバン産み落とされていたのは、あれは子供が労働力になり(機械がない時代の農業など)、しかも老後補償になる時代だったからである。
まず前提として、
- 金がなくて産めない層がいる
- 金がかかることを忌避してる層がいる
のである。
つまり、子供を産んでる層は、意欲と資力がそれなりにある。
そしてこの層は、
子供の世話は自分でしたい
と思っている。
いわば、極力、子供と一緒にいたいのだ。
そこで、
- 専業主婦(主夫)を抱えるならば、妻(主夫)に任せる
- 共働きならば保育士にアウトソースする
ということになる。
子供の新規出生は、今、年間、70万人くらいなので、
小学校入学前人口0〜5歳が
350万人くらいだとしよう。
ということは、保育園・幼稚園の先生は、
一人で3〜4人を見るなら100万人くらい必要である。
預ける親は、自分が稼ぐ時給以上の金額を支払えない。
自分が稼ぐ時給以上の金額を支払ったら破綻する。
自分が働いている時間全てを、保育園・幼稚園に預けてるとしたら、働いて稼いでいる時間、その時給の一部しかペイできない。
そしてその時給のうち、1/4をペイしているのであれば、
4人分のお子さんを預かることで、
預ける側と同じ給与を得ることができる。
1/8をペイしているのであれば、
8人分のお子さんを預かることで、そうなる。
(預ける側の稼ぎがみんな大体同じだとしよう)
つまり構造上、
産む側は
- 子供を産み育てられる財力がある
- 保育料を支払える余裕や意志がある
じゃないと成り立たず、保育士や幼稚園の先生側も、
- 一人で何人の面倒を見るのか
- 預ける側はいくら稼いでいていくら払えるのか
で稼ぎの大枠が決まっているのだ。
子育ては、
やる人たちにとっては、
外注したくがないが、
仕方なく外注する類のものであり、
しかも出せる金額の構造が決まっており、
サービサーにもまたサービス供給(一人で何人の子供の面倒を見るか)に限界がある。
この構造は、
介護でも類推適用できる。
しかし、介護は、違った問題がある。
保育園・幼稚園の子どもは、
育つと大きくなり、
やがて40人クラスを一人の先生で見るようになる・・・・
のに対して、
状況が悪化する
のである。
どんどん手間暇がかかっていく方向に悪くなる。
いつ死ぬのかもわからない。
終わりがない。
そして、
「ただでさえ終わりがない」
上に、
「状況が悪化する」
のであり、さらに自然摂理に反しているので
「老人は可愛く見えない」
のである。
機能的でもない。
よって、地獄のイベントになる。
介護は、自前でやりたいと思わない人がほとんどである。
外注したいのだ。
そして、外に投げたいけれど、かといって、
金を払いたくない
のが本音なのである。
つまり、介護需要は広くあるが、金を出すインセンティブは低い。単価を上げられない。
介護に対してお金を払いたい!
という人は、むしろ、
自分でお父さんお母さんを世話したい!
というタイプであるか、
あるいは
お金持ちであり高級老人ホームなどに入れたりお手伝いさんを雇ったりするのだ。
それはそれで、
「別マーケット」
で成り立っているのである。
使用人とか、
執事とかの世界である。
つまり、介護一般で見ると、
- 外に投げたい厄介ゴト
- かと言って金もない、払えない、払いたくない
という感じなのだ。
そもそも老人を長く生かす、というのが自然の摂理に反している。
またすでに触れた通り、保育の構造と同じで、払えるコストが時給に制限されているという問題がある。
ただ、介護の場合、
仕事に行ってる時間だけ
じゃなくて、
そのまま老人ホームに預けたい
という人が多い。
すると、
24時間365日、施設に預ける
ということになる。
でも、払える原資は、1日8時間働いた分である。
その時給の中から、一部である。
しかも払いたくない。
極力、目を背けたい。
このようにして、介護はどうしても儲からない構造になっている。
どれもこれも、
人間本性や
自然の摂理に反していることに根付く。
人は、若い方が価値があり、歳を重ねれば価値はない。
歳を重ねて価値を保てるのは、時間経過に伴って何かを蓄積した場合だけ。
そして、
老いはやがて、
無価値どころか害に転じる。
ある意味、これは、
資本主義制度
という制度の中に存在する闇の1つだと言える。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。