郵便番号「17927」は、なぜ消されたのか。

2002年、アメリカ・ペンシルベニア州の一部住民へ、奇妙な手紙が届いた。

差出人は、アメリカ合衆国郵便公社。

手紙には、こう書かれていた。

あなたたちが住んでいる町の郵便番号「17927」は、まもなく使用できなくなる。

住所が変わるわけではない。住民も、まだそこに住んでいる。

それなのに、郵便番号だけが消される。

住民は反発した。

郵便番号は単なる数字ではない。それは、その場所が一つの町として存在していることを示す番号である。

17927がなくなれば、手紙は隣町の郵便番号へ送られる。地図上には町の名前が残っていても、郵便システム上、その町は存在しないことになる。

なぜ、政府は町を消そうとしているのか。

戦争があったわけではない。

ダムの底に沈んだわけでもない。

原子力事故が起きたわけでもない。

町の名前は、セントラリア。

かつては炭鉱で栄え、学校があり、銀行があり、映画館があり、二千人を超える人間が暮らしていた。

しかし、郵便番号が消されたころ、残っていた住民は二十人ほどになっていた。

家は次々と取り壊されていた。

建物がなくなったあとにも、道路だけは残った。

道路に沿って電柱が立ち、歩道には階段がある。だが、階段を上っても、その先に玄関はない。

町の形をした空き地である。

では、住民はどこへ消えたのか。

時間を、少し巻き戻してみる。

1981年2月14日。

十二歳の少年、トッド・ドンボスキーは、セントラリアにある祖母の家を訪れていた。

少年が裏庭を歩いていたとき、足元から地面が消えた。

地面が陥没したのである。

トッドの身体は、そのまま暗い穴へ落ちた。

穴は深く、底が見えなかった。トッドは落下の途中で木の根につかまり、宙づりになった。

穴の中から、白い蒸気が噴き上がっていた。

近くにいた従兄弟が叫び声に気づき、トッドの腕をつかんだ。少年は間一髪で引き上げられた。

後の調査で、穴から噴き出していた蒸気には、致死的な濃度の一酸化炭素が含まれていたことがわかった。

なぜ、民家の裏庭に、人間を飲み込む穴が開いたのか。

その二年前、町のガソリンスタンドでも異変が起きていた。

1979年。

ガソリンスタンドを経営していたジョン・コディントンは、地下タンクの燃料量を調べるため、棒を差し込んだ。

引き抜いた棒が、妙に熱い。

不審に思った彼は、ひもにつけた温度計を地下タンクへ下ろした。

ガソリンが、異常な高温になっていた。

夏の暑さではない。

タンクの下から、何かが温めていた。

ほかにも、奇妙な現象が起きていた。

道路の亀裂から煙が出る。

家の地下室にガスが入り込む。

冬になっても、特定の場所にだけ雪が積もらない。

墓地では、一部の墓石が傾き始めた。

町の地下で、何かが動いていた。

住民たちはすでに、その正体を知っていた。

火である。

セントラリアの地下には、網の目のように古い坑道が走っている。

その坑道の周辺に残された石炭が、燃えていた。

地表に見える炎ではない。

地下深くで、石炭層そのものが、ゆっくりと燃焼している。

空気は坑道を通って供給される。石炭は地下に大量に残っている。水を少しかけた程度では、火元まで届かない。

燃焼によって石炭が失われると、地下に空洞ができる。

空洞の天井が崩れれば、その上にある道路や家や庭も沈む。

トッド少年を飲み込んだ穴は、突然現れた事故ではなかった。

十九年間、地下で作られていた穴だった。

だが、ここで別の疑問が生まれる。

十九年も燃えていたのなら、なぜ誰も火を消さなかったのか。

もちろん、消そうとはしていた。

町も州政府も、地下を掘った。水を流し込んだ。粘土や砕石で火を封じ込めようとした。火災区域を掘り出し、燃えている石炭そのものを取り除く計画も立てられた。

しかし、工事を始めるころには、火は予想より先へ進んでいた。

ここまで掘れば止められる。

実際に掘ってみる。

その向こう側で、すでに燃えている。

新しい予算を申請する。承認を待つ。設計を変更する。

その間にも、火は坑道を通って移動する。

火災は巨大だから止められなかったのではない。

止め方を決めている間に、巨大になったのである。

当初は、燃えている場所を掘り返せば済む問題だった。

やがて、町の地下全体に火が広がった。

次に必要になったのは、消火工事ではなく、住民の健康調査だった。

一酸化炭素が検出されると、住宅の換気設備が問題になった。

地盤が崩れ始めると、道路管理と建物の安全性が問題になった。

人が住めなくなると、住宅の買い取りと移転補償が問題になった。

住民が移転を拒否すると、土地収用と裁判の問題になった。

住民がほとんどいなくなると、最後に郵便公社が現れた。

最初は消防隊だけで扱える問題だった。

最後には、州政府、連邦議会、環境当局、住宅当局、裁判所、郵便公社まで巻き込む問題になっていた。

火は、ただ大きくなったのではない。

担当部署を増やしながら、別の問題へ変身していた。

では、その火は、いったいどこから来たのか。

炭鉱の機械が爆発したのか。

坑道で作業員が火を使ったのか。

放火だったのか。

現在も発火原因には議論が残っている。

しかし、最も有力とされている説では、始まりは1962年5月27日。

場所は炭鉱ではない。

町のゴミ捨て場だった。

セントラリアでは、使われなくなった採掘跡の穴を、埋立地として使っていた。

家庭から出たゴミが運び込まれ、穴の中へ捨てられていた。

やがてゴミが増えた。

見た目も悪い。悪臭もする。害虫も出る。

町は、ゴミを片づけることにした。

消防隊員たちが埋立地へ入り、ゴミの山へ火をつけた。

ゴミを燃やして、きれいにするためである。

夕方になり、目に見える炎へ水がかけられた。

火は消えた。

清掃作業は完了した。

二日後、炎が戻ってきた。

再び水をかけた。

また消えた。

数日後、もう一度火が現れた。

ゴミの下には、古い炭鉱へ通じる穴が隠れていた。

ゴミを処分するためにつけた火は、その穴から地下へ入り、石炭層へ燃え移ったと考えられている。セントラリア地下火災の経緯は、のちに町全体を消すことになる。

住民を追い出した火。

道路を割った火。

少年を地面へ飲み込んだ火。

町から郵便番号を奪った火。

その出発点にあったのは、事故でも、災害でもない。

問題への対処だった。

ゴミが多い。

だから燃やす。

炎が見える。

だから水をかける。

炎が消える。

だから終わったと判断する。

一つひとつの行動だけを見れば、すべて筋が通っている。

それなのに、ゴミの処理は、最後には町の処理になった。

ここで初めて、「先送り」の本当の怖さが見えてくる。

人は、問題を同じ姿のまま未来へ送ると思っている。

今日のゴミを片づけなければ、来月も少し大きなゴミの山が残っている。

今日の赤字を放置すれば、来月は少し金額の大きな赤字になる。

今日決めなかったことは、来月もう一度決めればいい。

実際には、問題は待ってくれない。

待っている間に、別のものと接続する。

ゴミは坑道と接続した。

火は石炭層と接続した。

石炭層は住宅地と接続した。

住宅地は住民の健康、土地所有、裁判、郵便制度と接続した。

十九年後に現れたのは、大きくなったゴミ問題ではない。

人間を飲み込む地面だった。

問題を先送りする本当のリスクは、利息がつくことだけではない。

原因と結果の間が、見えなくなることだ。

小さな判断が、時間の中で何度も姿を変える。

経営判断だったものが、資金繰りの問題になる。資金繰りの問題が、睡眠不足になる。睡眠不足が、家庭の問題になる。家庭の問題が、健康の問題になる。

最後に現れた症状だけを見れば、最初の判断との関係はわからない。

だから人は、それを「運が悪かった」と呼べる。

先送りは、時間を稼ぐ方法であると同時に、責任の出所を洗浄する方法でもある。

自分の判断だったものが、十分に時間を通過すると、環境や年齢や他人のせいに見えてくる。

問題に対処したかどうかを、目の前の症状が消えたことで判断してはいけない。

見るべきなのは、その後も原因が動いているかどうかである。

水をかけたあと、火は本当に止まったのか。

追加資金を入れたあと、赤字を生む構造は止まったのか。

誰かが残業したあと、人手不足は止まったのか。

相手が黙ったあと、不満を生む関係は止まったのか。

原因が動き続けているなら、問題は解決していない。

次の姿へ変身している途中である。

2002年、郵便番号17927は無効になった。住民に届いた通知には、今後は隣町アッシュランドの郵便番号を使うよう書かれていた。

地面の下では、まだ火が燃えている。

セントラリアという町は、地下火災によって消えた。

だが、その地下火災は、ゴミをきれいに片づけようとした日に生まれた。

問題を放置したから、町が消えたのではない。

問題に対処したつもりになったから、町が消えたのである。

 

 

統合構造理論 


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。