不都合な未来予測 ホワイトカラーサラリーマンはもっと嫌な場所になるかもしれない

「AIが東大に受かるなら、もう学歴なんて意味がない」

たぶん逆だ。

AIが東大入試を解けるようになっても、人間は東大入試をやめない。

なぜなら大学入試の本質は、知識を証明することだけではないからだ。

人間に順位をつける。

上位者と下位者を分ける。

上位企業へ入れる人間を選ぶ。

そして、その最初の選抜結果を使って、社会人になってからもさらに人間を選別する。

この機能は、AIがどれだけ賢くなっても消えない。

むしろAIが人間の「知的能力」の価値を破壊すればするほど、

「どこで選ばれた人間なのか」
「誰から信用された人間なのか」
「どんなポストを任された人間なのか」

という身分証明の価値が上がる可能性がある。

AIが能力主義を完成させるのではない。

AIが能力の希少価値を壊した結果、社会が経歴・役職・資格・所有権による「新しい身分社会」に近づく。

私はむしろ、こちらの未来の方が怖い。

資格も学歴も、難しくなるのに価値は下がる

この20年、日本では奇妙なことが起きている。

勉強する人は増えた。

大卒も増えた。

資格試験の教材も進化した。

YouTubeを開けば無料講義がある。

スマホで問題演習もできる。

それなのに、生活は楽になっていない。

むしろ競争だけが激しくなっている。

昔は高卒で普通だった。

その後、大卒が普通になった。

すると次は「どこの大学か」になった。

さらに大学名だけでは足りなくなり、今度は、

どこの会社に入ったか。
どの部署にいたか。
どんな役職についたか。

まで見られる。

資格も同じだ。

日商簿記2級のように、昔より試験範囲が広がり、学ぶことが増えている資格がある。

ところが、

「簿記2級を持っているから人生安泰」

にはならない。

これは最悪のインフレだ。

必要努力量は上がる。

しかし得られる希少価値は下がる。

100努力して10の価値が得られた世界から、

200努力して5しか価値がない世界へ移っている。

この状態で、

「もっと努力しろ」
「もっと資格を取れ」
「もっと勉強しろ」

を続けるのは、かなり危険だ。

努力そのものが悪いのではない。

時間が味方しないゲームで努力することが危険なのである。

「AIが東大に受かるから学歴は終わる」は甘い

AIが東大入試で高得点を取った。

だから学歴は意味がなくなる。

そんな単純な話ではない。

学歴には、

「この人間は数学ができる」

以外の意味がある。

むしろ社会ではこちらの方が重要かもしれない。

東大に入った。

すると上位企業の新卒採用に参加できる。

ゴールドマン・サックス、総合商社、大手コンサル、P&Gのような企業へ入る。

そこでまた選抜される。

重要部署へ行く。

重要案件を任される。

管理職になる。

P/Lを持つ。

部下を持つ。

事業責任者になる。

役員になる。

そして転職すると、

「この人は前職でそこまで任された人です」

という信用が発生する。

つまり、

学歴

社格

配属

案件

役職

責任

さらに上位の役職

という信用の連鎖ができる。

これが強い。

そして途中から、本人が本当に賢いかどうかなんて誰も直接測らなくなる。

「ゴールドマンでMDまで行った」
「総合商社で事業責任者だった」
「P&Gでブランド責任者だった」

その履歴そのものが通貨になる。

AIが人間の知的生産能力を均質化したら、この通貨はむしろ重要になる。

AIが奪うのは事務作業だけではない

昔は楽観論があった。

AIは単純作業を奪う。

人間は高度な創造性や思考を担当する。

現実はかなり違う。

AIが真っ先に侵入しているのは、

文章。
イラスト。
音楽。
プログラミング。
データ分析。
資料作成。
調査。
翻訳。
法律論。
数学。
創作。

である。

つまり、人間が「これは人間にしかできない」と思っていた知的作業そのものだ。

文学賞にAI作品が大量に送られる。

AIが研究レベルの数学問題に近づく。

広告コピーも企画書も小説もコードも作る。

純粋な創作だから安全。

高度な思索だから安全。

そんな保証はない。

むしろパソコンの中だけで完結する思考仕事ほど、AIにとって侵入しやすい。

では最後に何が残るのか。

「誰が考えたか」ではなく、

「誰の名前で決めるか」

である。

AIが経営判断までできても、社長は残る

AIが人間より優れた分析をするようになったとしても、

「では100億円を投資します」

と会社を代表して決裁する人間は必要になる。

AIが人間より良い戦略案を出しても、

誰かがそれを採用する。

失敗したら誰かが責任を負う。

誰かが降格する。

誰かが株主総会に立つ。

誰かが部下を指揮する。

つまり上位ホワイトカラーが残るとしても、

「AIより賢いから」

残るとは限らない。

その人間に、

「意思決定権が帰属しているから」

残る。

ここから社会はかなり嫌な方向へ行く。

ポストを得るには、ポスト経験が必要になる

上位職の面接では、よくこう聞かれる。

「その規模の組織をマネジメントした経験はありますか?」

「P/Lを持ったことはありますか?」

「事業責任者を経験していますか?」

「何人の部下を持っていましたか?」

一見もっともらしい。

しかし、よく考えると恐ろしい。

その経験はどうやって手に入れるのか。

誰かにそのポストを与えてもらうしかない。

つまり、

経験がある

ポストを任される

さらに経験が増える

もっと上のポストを任される

になる。

一方、

経験がない

任せてもらえない

経験が積めない

次も任せてもらえない

になる。

完全な経路依存だ。

それなのに後から、

「経験者だから採用した」

という説明だけが残る。

経験者だけに経験を与えておいて、

「やっぱり経験者は強いですね」

と言っている。

かなりトートロジーに近い。

AIは、この梯子をさらに細くする

しかもAIが入る。

昔なら若手20人が、

調査する。
Excelを作る。
資料を書く。
会議に出る。
小さい案件を任される。

そうやって少しずつ責任者になった。

ところがAIで、

20人必要だった仕事が5人でできるようになる。

すると下積みの椅子が減る。

しかし上位職の採用では依然として、

「責任者経験ありますか?」

と聞かれる。

つまり、

経験を要求するのに、
経験を積める席は減る。

その結果、王道ルートを早く踏んだ人間ほど強くなる。

有力大学。
新卒で有力企業。
有力部署。
有力上司。
重要案件。
管理職。
事業責任者。

この一本道を踏めた人間は、次の会社でもさらに強くなる。

逆に途中参入者は、

「その経験がありませんよね」

で落とされる。

AI時代は能力主義が進むどころか、

「正統な経歴を歩んだ人間だけが上位の椅子に座れる」

世界になる可能性がある。

日本の文系ホワイトカラー組織では「何を言うか」より「誰が言うか」になりやすい

ここで日本企業特有の問題が乗る。

理系には、少なくとも議論を人間の権威から切り離す道具がある。

数学なら証明。

物理なら実験。

工学なら動くか。

統計ならデータ。

製造なら歩留まり。

プログラムなら実行結果。

部長が怒鳴っても、壊れるものは壊れる。

役員が「絶対いける」と言っても、熱設計上無理なら動かない。

自然法則は上司に忖度しない。

だから理系では、

Aさん対Bさん

という喧嘩を、

Aさん

外部尺度

Bさん

に変えることができる。

「どっちが偉いか」

ではなく、

「どっちが正しいか」

に逃げられる。

ところが、典型的な文系ジェネラリスト組織では、その外部尺度が弱い。

「この人は役員の器がある」

「このブランド戦略が正しい」

「この新規事業は伸びる」

「この組織改革が必要だ」

誰が最終的に正しいか、その場で証明する方法がない。

すると何が起きるか。

「何が正しいか」

ではなく、

「誰が正しいか」

を見るようになる。

役職。

社格。

年齢。

学歴。

人脈。

上司の評価。

押しの強さ。

威圧感。

そして最後は、

「この人が言うなら」

になる。

論理がないところでは、人間の序列が論理の代用品になる。

「もっと論理的に話せ」は、最初から論理を求めていない

日本企業でありがちな風景がある。

上司が言う。

「もっと論理的に考えろ」

部下が本当に論理的に考える。

「その前提ならこの結論にはなりません」

「その数字と矛盾しています」

「その因果は逆ではありませんか」

すると突然、

「君は組織が分かっていない」

「コミュニケーション能力が低い」

「そういう言い方では人は動かない」

になる。

おかしい。

論理の話をしていたはずだ。

なぜ急に人間性の話になったのか。

答えは簡単だ。

最初から本当の論理を求めていなかったからだ。

求めていたのは、

「上司の結論を論理的に見える形に整えてくれ」

なのである。

本当の論理は危険だ。

なぜなら論理とは否定するための道具でもある。

反例を出す。

矛盾を突く。

背理法を使う。

対偶を使う。

前提を疑う。

間違っているものを間違っていると言う。

だから論理を精密に使えば使うほど、誰かの主張を否定することになる。

ところが組織では上下非対称がある。

上司が部下に、

「それは論理がおかしい」

と言えば指導。

部下が上司に同じことを言えば、

「生意気」
「協調性がない」
「コミュ力がない」

になる。

論理演算は同じなのに、発言者の身分によって意味が変わる。

これを論理的組織とは呼ばない。

予定調和のミュージカルである。

文系学問ですら、決着できる場所は数理か法に寄る

面白いのは学問も同じであることだ。

経済学で議論に比較的決着をつけられるのは、数理モデルや計量経済学を使うところ。

心理学なら実験や統計。

社会学でも実証研究。

そして法学。

法学は自然科学ではないが、

条文。
判例。
要件。
手続。
裁判所。

という制度的な決着装置を持つ。

自然科学は現実が裁く。

数学は証明が裁く。

実証社会科学はデータが裁く。

法はルールと手続が裁く。

つまり、人間同士で永遠にお気持ちをぶつけ合わないためには、何らかの共通判定器が必要なのである。

その判定器を持たない領域ほど、

「誰が言ったか」

の世界に落ちやすい。

日立とフジテレビの違い

日本企業を見ると、この差はかなり分かりやすい。

日立のような会社では、

IT。
インフラ。
製造。
エンジニアリング。

といった現実世界の制約が強い。

動くか。

壊れないか。

納期に間に合うか。

利益が出るか。

投資回収できるか。

技術的に成立するか。

社内政治では消せない変数が大量にある。

しかも上層部自身に理系バックグラウンドが多ければ、その言語を理解できる。

一方で、フジテレビのような組織で露呈した問題を見ると、

閉鎖的な人間関係。

異論を言いにくい空気。

上位者への忖度。

人物による権力集中。

といった、「人間の序列」が強く作用する。

「理系企業は絶対に失敗しない」

という話ではない。

しかし、

「人間の権威とは独立した共通尺度を経営層自身が持っている会社の方が、誰が言ったかゲームだけにはなりにくい」

というのはかなり重要だ。

AIが文系ホワイトカラーから最後に残すものは「政治」かもしれない

ここが一番怖い。

AIが、

分析する。
資料を作る。
企画案を出す。
シミュレーションする。
文章を書く。
市場調査する。

ところまでやる。

すると人間に残るのは、

「どれを選ぶか」

になる。

ところがその会社に客観的な判定尺度が弱ければ、

「どれが正しいか」

ではなく、

「誰が推しているか」

で決まる。

つまりAIがホワイトカラー組織を合理化するとは限らない。

最悪の場合、

AIが仕事を全部作る。

人間は権力だけを持つ。

という世界になる。

考える能力すらAIに外注した文系ジェネラリストが、

役職と過去の委任履歴だけを根拠に、

AIが出した選択肢から選ぶ。

能力主義の最終形どころではない。

ほとんど身分社会である。

では会社を出れば自由なのか

残念ながら、こちらも地獄だ。

AIによって、

文章を書く。

広告を作る。

動画を編集する。

商品を作る。

LPを作る。

市場調査する。

コンサルする。

これら全部が一人でできるようになる。

「これからはAIソロプレナーだ」

と言われる。

しかし忘れてはいけない。

自分がAIを使えるなら、他人も使える。

一人の生産能力が10倍になるということは、

市場の供給量も10倍になる。

しかし人間の一日は24時間のまま。

Attentionは増えない。

そこで新しい戦争が始まる。

エリートと芸人の境界が消える

企業の外を見ると、すでに兆候がある。

金融エリート。

弁護士。

医師。

経営者。

マーケター。

コンサルタント。

芸人。

インフルエンサー。

昔なら別々だった人々が、同じYouTube、X、Instagram、PodcastのフィードでAttentionを奪い合っている。

そこで強いのは、

「専門性だけある人」

ではない。

専門性。

学歴。

経歴。

キャラクター。

トーク力。

物語。

炎上耐性。

SNS理解。

人脈。

これらを全部持っている人間である。

河野玄斗のように資格を複数持つ人間。

こたけ正義感のように専門資格と芸人性を持つ人間。

金融や大企業の華麗な経歴を持って発信する人間。

こういう人間が市場に出てくる。

つまり、

「高スペック化する芸人」

と、

「芸人化するエリート」

が同じAttention市場で戦う。

地獄である。

だから「界隈」が生まれる

一人でAudienceを作るのは高コストだ。

するとコラボする。

対談する。

議論する。

喧嘩する。

番組化する。

リアリティショー化する。

互いのAudienceを交換する。

その結果、

起業家界隈。

投資家界隈。

ビジネスインフルエンサー界隈。

リアリティショー型経営番組。

マーケター界隈。

といった群れができる。

知識市場が、いつの間にか芸能界になる。

そしてAttentionを取るために、

対立。

炎上。

成功物語。

失敗。

人間関係。

暴露。

がコンテンツになる。

知識を売るはずだった人間たちが、最終的に人間ドラマを売り始める。

これがアテンションエコノミーの行き着く先かもしれない。

AI時代、希少性はどんどん逃げる

昔は情報が希少だった。

だから情報を持つ人間が勝った。

インターネットが情報を無料にした。

次に良質なコンテンツが希少になった。

SNSがコンテンツを爆発させた。

Attentionが希少になった。

そしてAIが良質なコンテンツすら大量生産する。

では次は何が希少になるのか。

信用。

顧客。

Audience。

ブランド。

資格。

法的権限。

重要ポスト。

土地。

企業。

株式。

資本。

つまり、

知識

コンテンツ

Attention

信用

顧客

権限

所有

と、希少性が逃げていく。

AIで増やせるものは、いずれ価値が下がる。

最後に強いのは、

増やせないものを持っている人間

である。

AI時代に最も危ない生き方

ここまで考えると、一番危ないのはたぶんこれだ。

「普通よりちょっと優秀なホワイトカラー」を目指し続けること。

資格を取る。

勉強する。

Excelを覚える。

マーケティングを覚える。

分析力を磨く。

資料作成力を磨く。

プログラミングを学ぶ。

AIを学ぶ。

そのたびに少し差がつく。

しかし数年後には全員が使える。

そしてまた次の技能を積む。

永遠の軍拡競争である。

資格インフレ。

学歴インフレ。

スキルインフレ。

AIインフレ。

このゲームには終わりがない。

だから重要なのは、

「もっと能力を増やす」

ことではないのかもしれない。

何を所有するか。

どんな権限を持つか。

誰に信用されているか。

どの制度的ポジションにいるか。

どの顧客を持っているか。

どの経路をすでに通過しているか。

ここへゲームが移る。

AIは身分を破壊するどころか、身分を固定するかもしれない

AIが人間より賢くなる。

ならば人間同士の能力差は小さくなる。

誰でも同じAIを使える。

一見、平等な社会になるように思える。

しかし能力差がなくなった後、人間は何で差をつけるのか。

東大卒。

元ゴールドマン。

元商社。

部長経験。

事業責任者経験。

弁護士。

医師。

企業オーナー。

資産家。

地主。

フォロワー100万人。

こうした「認証された身分」が残る。

そして、その身分をすでに持っている人間ほど次の身分を取りやすい。

AIは能力主義を完成させない。

むしろ能力そのものをコモディティ化して、

最後に残った経歴・権限・所有権の差をむき出しにする可能性がある。

その世界で、

「努力すれば何者にでもなれる」

という20世紀的な成功哲学はかなり怪しくなる。

努力する前に見るべきなのは、

その努力の先に何が残るのか。

その能力は5年後も希少なのか。

その資格は知識証明なのか、社会的権限なのか。

その会社での経験は、自分のものになるのか。

そのポストは会社を辞めても価値が残るのか。

その仕事はAIで供給量を100倍にできるのか。

そして最後に、

自分は希少性が増える側にいるのか。

減る側にいるのか。

AI時代に最も重要なのは、努力量ではない。

どちら向きのエスカレーターに乗っているかである。

 

 

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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




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(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。