このコンテンツは時給と富裕層の秘密と本質より引用しています。
▼:ABC予想と西園寺
数学の世界で、未解決問題の中で1番重要なものとして注目を集めているのがABC予想です。
これは数々の数学の難問の親玉だとされているからです。
ABC予想が何なのかを一言で言うと、
「足し算マジで難しい」
って話です。
掛け算より足し算の方が難しい、って話なのです。
足し算と引き算は逆演算の関係にあります。その意味で同じグループです。
掛け算と割り算も逆演算の関係にあります。その意味で同じグループです。
ただ、この二つをごっちゃにすることから、
数学上の数々の難問は生まれてしまう。
シンプルだけど深い。
さて、
その話の前に、
数学の歴史を振り返ると、
かなり厄介だったのは
「無理数」
の出現です。
整数で表せないものを分数・小数点という有理数で表すという体系で完璧かと思いきや、
図形の問題で行き詰まってしまい、
「√(ルート)」
という無理数が必要になった。
要は割り切れない数です。
足し算・引き算と掛け算は計算できても、割り算は、「割り切れない・・・?」ってのが出ますよね。
多分、小学生も、
「意味わかんない」
と最初に思うのは、
割り算とか、分数とか、少数ですよね。
で、無理数が出てきた瞬間にオーバーヒートすると。
この無理数は、
√だけに限らず
・π(3.1415…)
・e(2.71828…)
といったややこしいやつもそれに該当します。
こういうのは全部、
「比」
の問題なんですね。
実はこの「比」ってのが、
数学全体を考える上でかなり重要で、
だから私は、
「LUXEM DNA」
の第1章を「÷(division)」にしたのです。
あれには深ーい意味があった。
科学的な発見(数学的な発見)というのは、
・数
・形
に関するものですが、
形ってのは突き詰めると「比」です。
サイン、コサイン、タンジェントも「比」です。
・・・・・こういう本質を教えてくれる数学者、数学本、数学教師・講師は日本中、這いずり回っても見つかりませんよ。
中小企業診断士とか、
公認会計士の勉強とかすると、
「財務分析の視点」
として、
・ROA
・ROE
とか
「総資産回転率」
とか色々出くわすんですが、それらの分析ツールも大抵は「比」。
英語で比は「ratio」って言うんですが、
rational(合理的)ってのはそっからきていて、合理的であるとは「合比的」なんですね。
物事が
「ロジカルに考えられる」
ってことについて、
「知ったかぶった外資コンサル出身のクソ文系」
がいろんな本を出してテキトーなことを言っていますが、その本質は、「比」で考えられるかどうかなのです。
フェルミ推定とかもどうやってやるのかっていうと、実際は「比」で考えることなのです。
で、
こっからが重要なんですが、
「等比級数」
とか考えるとわかりやすいですが、
ある数字を2倍していくとすると、
「1」→「2」→「4」→「8」→「16」→「32」→「64」・・・
みたいな感じで、当然ですが全部2の倍数で、
2で割り切れて、しかも偶数ですよね。
しかも、これ、途中のステップを、
「3倍」とか
「4倍」とかしても、
基本的に同じなんですね。
例えば4を3倍すると12、4を4倍すると16、と、以上のステップをスキップして続けるか、
あるいは中間の同傾向のプロセスのライン上にある。
偶数だし2で割れる。
掛け算ってのは「比」なので、同じ性質を受け継ぐのです。
等比性というか、相似性というか、なんていったら良いかわかりませんが、
そういうもんです。
そもそも三角関数とかも、「相似性」とかを利用したやつですよね。
〜〜〜〜〜
背景に遺伝子(傾向)の共有、類似性がある。
〜〜〜〜〜
一方でこれ、
足し算だったらどうなりますかね。
「1」→「2」→「4」→「8」→「16」→「32」→「64」・・・
という流れに、
「3」足してみたりしたらどうなります?
2に3足してみたら5になりますよね。
4に3足してみたら7になりますよね。
奇数になっちゃいますね。
割れなくなっちゃいますね。
・・・・・・ほら。
崩れちゃう。
体系が違うんですね。
これって、かなり結構重要で、
例えば数式を考えるとき、数理モデリングをするときなんかがそうなんですが、
結構、分かれ目になるポイントです。
私が数式を考えるとき、まず頭にあるのは、
・並列 (多項式的)
・直列 (比例的)
の区分なのですが、
いろんなファクターを混ぜ合わせて考えるときは、
並列・多項式的な組み立てをして、それって結局、「足し算」なんですよね。要するに。
足し算って、
性質が違う、
遺伝子が違う、
傾向が違う、
そういう数字を横にポンポンポン
って並べるイメージなのです。
小学校くらいまでの知識なら、
足し算は単純に数字が増えていくもので、
むしろ掛け算の方が、「平面の面積」の計算(縦×横)で使われたり、「りんご2個のセットを6個買ったら何個でしょう」みたいな例え話のせいか
異質なものを組み合わせている印象があると思います。
ただまぁ、掛け算は、
相似スケールのレバレッジ、
鏡写・万華鏡みたいな感じなんです。
一方で足し算は、そもそも違うものを映し出す。
ABC予想も、フェルマーの最終定理も、この文脈にある話なのです。実は。
カレー作ってる時に、
ルーを増やすのかとか、
水を入れて薄めるのか的な話は
掛け算・割り算的な話です。
しかしそこに、
「アイスクリームぶち込んでやったら奇跡の味になるのでは?」
「コーラ入れたらどうなるだろう?」
「刺身を入れてみようか?」
的な発想は足し算的なんですね。
____
数式を立案するとき、
実は結構、悩ましいのが足し算です。要素の並列加算です。
____
・・・・・・・・・ここからわかることは何か?
人生を変えたい、とか思った時、
・足し算する
・掛け算する
は二つの方向性としてありますが、
同じことを続けるのが後者の掛け算方式で、
これをなんとかしたかったら、
・係数
・次数
をなんとかしないといけないです。そして、次数の方が効きが良いので、いくら係数を上げる努力しても次数の構造的限界に抗えません。
なのでまぁ、
新しいことを並列的に付加するのか、
次数を上げるかを考えるのは基本です。
ただ、
「足し算的」
なものは、これまでとは全く別のことをやることを意味します。
これがまぁまぁ厄介。
さて、ここまでの「理系的な枠組み」から、「文系的な枠組み」に飛んでみましょう。
いわゆる肉体労働的なものであったり、
「決まった時間に決まった職場に行ってタイムカードを押して働く」
的な普通の一般的な働き方をやるにあたり、
・時給を上げよう
・月給を上げよう
という発想で資格を取ったり社内章を目指すとかそういうのは係数を上げようとする努力ですが、
実際のところ、
「出世」
が1番早いんですね。
それが次数を上げる方法だから。
つまり、「30人の部下を統率している」「100人の人間を使って部門成績を問われている」みたいな立場になれば、
嫌でも成果が大きくなる、会社への影響度がでかくなるので、給料上がります。
(実際、人事の統計データとか見ても、昇給が職位・役職、企業規模・人員と強い相関を示すのはそういうことなんです)
じゃあ、これが無理だ、ってなった時、
・時間
・労働
という限界があるリソースじゃなくて、
(みんな体は一つ、一日24時間しかない)
例えば借金してきたお金で事業するとか、貯金使うとか、
いわば限界の枠が大きいリソースを使って稼ごうという考え方が出てくる。
あるいはそれを副業として並行しようとする、足し算的にやろうとする考え方が出てくる。
株やろうとか、
フランチャイズやってみようとか、
そういう発想ですね。
それから、kindleダイレクトパブリッシングで本をたくさん書いてみたり、
アフィリエイトブログ、youtubeチャンネルを水平展開する、
こういうのも、足し算的な横展開であったり、
もしくは次数を上げようとする考え方ですね。
ただ、
往々にして、
現行の構造に嫌気が差していて、
構造的転換・飛躍を狙っている人たちというのは、
今のベクトルでは行き詰まってますから、
新しいことを足し算しないといけないわけです。
でも、足し算にもリソースが必要です。
そのリソースは何処かから調達しないといけない。
ということはどこかで引き算しないといけなくなります。
この引き算の判断って、
結構、難しいんですね。
経済を見た時、
マクロが右肩上がりで伸びていると、
そこにいる「普通の国民」はみんな右肩上がりの恩恵を受けます。
中間層は繁殖して豊かです。
逆だと、普通の人々が苦しい。今の日本ですね。
あからさまなトレンドがある時って、
わかりやすいんです。
そのトレンドに乗れば良い。
みんな恩恵を受ける。
でも、そうじゃない経済社会で、それでも利益を得ようとしたらどうするか。
マクロが死んでるなら、ミクロで勝つしかないんです。
ミクロで勝つとはどういうことかというと、
「何かを捨てて何かに乗り移る」
ことを意味します。
部分的には何かを捨てて、部分的に何かを捨てる。
タイタニック号で例えるとわかりやすいですが、
沈んでいる船においては、
浮いている頂上部分に移動すればとりあえず生きられるわけです。
全体が死んでると、部分的に勝ってるところに移動することが重要。
それは部分的には、「何かを捨てて何かに勝つ」ということです。
難しい専門用語を使うと、
トレンドで勝てないなら、
ボラティリティで勝つしかないわけです。
マクロで勝てないなら
ミクロで勝つんです。
この本質は、「取捨選択」なんですね。
選択と集中とか、アセットアロケーションとか言い換えても良いかもしれませんが、
いわゆる経営判断というのがそれです。
何の業界・業態で何をやるか、どこの店を閉めるのか、どこに金を突っ込むのか、どの客にリソースを当てるか、引き上げるか。
これは個人でも会社でも同じなんですよ。
足し算・引き算の判断です。
そして面白いのは、
この話は、
「何に手を出さないかが勝利を決める=利益を決める」
という構図になっているということなのです。
なんか面白いと思いませんか?
全体が腐っている世界では、
「やばいエリアに手をつけないこと」
が勝利の秘訣になってくる。
また、
「無駄なところからリソースを引き上げる」
ことが、有意義なことにリソースを投じれる源泉になる。
足し算と引き算は逆演算ですから。
この取捨選択の体系と、
次数・係数・比を考える体系はまた別であって、
そこがややこしいのです。
「コスパ中毒者」
とか
「節約主義者」
とかは比で考えちゃってたりするけど、
そういう人はもう次数はおろか係数を増やすことを諦めて、
もはやコスパに逃げてしまっている。でもそんなことしてても豊かになれません。
足し算的並列横展開なんてその人からするともってのほかでしょう。だから新しいチャンスなんかない。
______
「貯金なんかするな!自己投資しろ!」
______
みたいな私がよくいう概念は、
理解できない人には絶対理解できません。
これは数理的に深淵な哲学なのです。
その行為自体に、
「口座の数字が減る」
とか、
「それやっても口座の数字が増えるとは思えない」
みたいな捉え方しかできない人の宇宙と、私のような人間の宇宙は違うのです。
私は人生で貯金をしたことがない。でもファイナンシャルフリー。
世間の95%は貯金している。でも金ない。
それはなぜか?
そのヒントがこの話にあります。
望月さんの宇宙際タイヒミュラー理論とか、
ゲーデルの不完全性定理とか、
4次元空間とかって、
「その世界(宇宙)の中ではその内部のものは解決できない」
的な哲学が根底にあると思いますが、
割とこういう視点って結構重要で、
1980年〜1990年代以降のアメリカの復活って、
それまで必死にやってた地政学的な争いから、金融とかITみたいなバーチャルに走ることで
巡り巡って世界での資源争いとかパワーバランスとか競争に勝った構図だと思いますが、
ある意味でパラレルワールドですよね。
よく、ダメな人間を表す言葉で、
「朝起きて、仕事行って、帰ってきて、オナニーして寝るだけ」
みたいな言葉がありますが、
この人の世界って一つで完結してますけど、
ヒカキンみたいな人とかは同じようなことを新潟出身のスーパー店員としてやりながら、
一方でなけなしの給料を高いカメラとかパソコンに使ってyoutubeというパラレルワールドで活動してたことが
報われてああなってると思うわけです。
誰かが、
「情報交換で稼いだお金と、物理空間で稼いだお金は質が違う、税率を変えた方が良い」
みたいなことを言っていたんですが、
江戸時代末期に金銀交換レートの日本と海外の差に目をつけた欧米勢が日本から金銀をさらったのごとく、
同じようなことをアメリカは達成しちゃったんじゃないか、
なんてことは時々思います。
これも、4次元的ですよね。
スペシャリティキャリアシリーズでもお話ししましたけどね、4次元について。
このコンテンツは時給と富裕層の秘密と本質より引用しています。
===
"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。