「こいつにできるなら俺にもできるじゃん市場」の誕生

 

芸能にしろスポーツにしろ、圧倒的な才能がある人間が表舞台に立つ。

それを大衆は眺める。

 

この構図が崩れ始めたのは2010年代からだと思う。

 

すごい人を崇めて眺めるのではなくて、自分と近い人を眺めて、

『こいつにできるなら俺にもできるじゃん』

とか

『自分と同じような底辺境遇の人がいる』

と安心する市場が生まれた。

 

一昔前の常識から考えて、凡人のナイトルーティンとか、底辺工場労働者の出勤風景、アラフォー独身男性の一人暮らし姿が人々のアテンションを集めるなんて、誰も想像してなかったと思う。youtubeにはこんなコンテンツがミリオンヒットを達成している。

昔の芸能人は、絶対に自分のプライベートを明かさず、明かすとしてもかなりベールに包んだ神秘な存在としてブランディングしていた。でも最近の芸能人は違う。色々と映し出すし明かすようになった。

 

 

私には実績がありません

 

そういうことを言われるたび、「まだそんなこと言ってるの?」と思ってしまう。もうとっくに時代は変わった。

メディアが民主化されて、コンテンツの需要は以下の3つに多様化された。

 

  1. すげぇ人を崇めて眺める今まで通りのトラディショナルなコンテンツ
  2. こいつにできるなら俺にもできる、的な「近さ」が好まれるコンテンツ
  3. 同じような境遇を確かめ合って安心する「舐め合い」コンテンツ

 

3に関しては、従来、コンテンツとしては全く価値が無いとされていた。

牛肉界におけるホルモンである。昔はホルモンは捨てられていた。

 

youtubeの存在・果たした役割は大きい。YouTubeは、アクセス・トラフィックだけで金になる。自分と同じような境遇を確かめ合って安心する舐め合いコンテンツは従来のビジネスの常識では課金のしようが無かった。難しかった。せめて、歌にする、本にする、芸術作品にするなどの工夫が必要だった。でも今はそれを垂れ流しにするだけで注目を集めるケースがある。

 

 

自分のことを、

  • ポンコツだ
  • ダメだ
  • 何もない
  • 終わってる
  • 売るものは何もない

と思うなら、それを容赦なくコンテンツとして晒した方が良い。全てあけすけにしてしまった方が良い。メディアにそれを載せてしまえば良い。

最初は恥ずかしいかもしれない。

しかし、トラフィックやフォロワーが集まってくると、いつの間にか「有名人」「スター」「インフルエンサー」枠に変わっていく。

扱いが、立ち位置が、認識が、変わっていく。

 

もはや手段は選ばない方が良い。なんでも良い。

数さえ集めればなんとかなるのである。

 

「俺ってすごいだろ?」

 

系のコンテンツはみんな出したがるし、意外とコモディティだ。「誰得やねん」ということもある。だから、徹底して自分の醜態や痴態を晒せば良いのだ。

 

 

それがイケてるかダサいかはどうでも良い。

需要があるかどうか、数を集められるか。

目立てるか。差別化できるか。

 

手段はなんでも良い。

 

 

今は、芸能界でも、本当に

「芸能」

と言える力を持っている人じゃないと厳しくなった。

K-POPの台頭もある。本当にゴリゴリのパフォーマンスで勝負できる人たちはそれでいけば良い。そのレベルも上がってきた。

 

メディアが民主化され、みんながコンテンツを好き勝手出せるような時代。「こいつにできるなら俺もできるじゃん市場」が拡大している。傷の舐め合いすらも受け入れられるようになっている。

観たいものが多様化している。

広がっている。

 

そもそも、年末年始の「笑ってはいけない」「格付け」などは、人の痛みを、失敗を楽しんでいたのだ。

あまり難しいことを考えない方が良い。

さっさとアカウントを開設し、チャンネルを開け、ワードプレスをインストールすべきだ。

 

 

舐められる、見下されることを良しとしないで生きている人は多い。

しかし、「金に換える」ためには、むしろ舐められたり、見下される方が良い。

 

  • こいつにもできるなら俺にもできるんじゃないか?
  • そんなの簡単だろ?

 

そう思われた方が、売りやすい。相手が食いついてきやすい。

朝倉未来の素人と殴り合うコンテンツも、素人が朝倉を舐めて応募してきてくれないと成立しない。

 

実際、営業マンも、なんとなく隙があるというか、可愛げがある人の方が成績が良いのである。隙がなさそうで、体をバキバキに鍛えた、刈り上げのテカテカな営業マンは意外と数字に限界があったりする。

孫正義とか、凄すぎて、上すぎて、誰も興味を持っていない。無視されている。スポーツであればとんでもなくすごい人たちの動きを眺める鑑賞価値があるけれど、経営の場合はかなりロングタームで眺めないといけないから「ショー」としての価値があまり高くない。楽しめない。

 

 

「有吉の冬休み」を観て、

これ誰得?

と心底思った。

 

これをとある女の子に言ったら、彼女も同じことを言っていた。

それな!

 

今はそういう時代だ。

「俺らこうやって楽しんでるぜ」とかよりも、視聴者が自分の劣等感や負け組っぷりを慰められたり、あるいはなんらかの情報を引き出せたり、教育的な価値があったり、共感性があったり、「俺にもできるじゃん!」と思いたいのだ。

 

 


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。