女は、女同士で集まっているときに誰かの子供が来ると、「可愛い!!!」と声を揃えるが、おそらく、その中には「子供を可愛いと言っておかないと自分は冷たい人間だと思われる」という計算が回っている人間がいくらかいるに違いない。結婚に関してもそう。本当にしたくてしている人は一部で、大方の人は焦ってしているはず。周りに同調してしているはず。就活に関してもそう。
結婚も、育児も、出産も、就活も、起業も、全てはライフイベントの中の一つでしかない。そして、それについて、どう思うかなんて個人差がある。世間の常識や定説なんて関係ない。結婚したくなければしなければ良いし、就活もしたくなければしなければ良い。別に、フリーターでもニートでも何でも良いじゃないか。
女として生まれたからには子供を産んでみたい、と思う人もいる。しかし、そんな軽い感覚で産んでも不幸になるのではないか。第一、子供にも意思があり、そこから一つの人生がスタートする。そして、貴方が味わってきたような人生の酸いも甘いもを子供は味わっていくわけだが、その人生の中で、貴方から引き継いだルックスや経済状況、才能、家庭環境・教育環境が大きな足枷になっていくのである。
もともと、子どもが好きでなければ産んでから後悔をすることだってありえる。結婚や出産・育児が常識的行動だから、マジョリティがやっていることだからと言って、貴方に当てはまるものではないかもしれない。もしかしたら、貴方には結婚の才能も、出産・育児の才能も無いかもしれない。仕事をして、一定の年齢になったら寿退社をして、家庭に収まって、人並みに子供を産んで育てて・・・・というのが当たり前と思い込む人は多くいるけれど、その全てに全く当てはまらないという人もいるのだ。
正社員になることが、その人の人生にとって幸せかどうかはわからない。同様に、結婚することも、出産・育児をすることも、その人にとって幸せかどうかはわからない。
はっきり言って、恋愛〜結婚〜出産の類は、動物的行為以外の何者でも無い。本当に子供が欲しい人は悩まない。本能で動き、産む。男も、結婚を決めるときはDNAレベルで何かが揺るがされるときだ。この女を孕ませたいとか、この女を自分のものとしておさめたいとか、この女と家庭を築きたいとか、そういう感情が自然に湧いてしていくものである。動物が、本能的な勘で子供を身ごもってつくっていくように、人間ももっと、そういうものを大事にした方が良い。計算するものでは無い。
子供を産むのも育てるのも、計算が成せる技では無い。プランが成せる技では無い。これは事業と似ている。情熱やコミットメントがいる。愛情がいる。
結局、結婚にも、出産育児にも向いていない人間が、世間に流されて家庭に収まり、毎日家で飼い殺しをされる中で、周りの同級生たちの社会的活躍を横目に見ながらブーブーと文句を垂れるようになる。みんな、バリバリやっているんだろうな、とコンプレックスを抱くようになる。家事や子育てに追われる中、社会は全くそれをスキル、経験として評価してくれないことや、旦那がイキイキと仕事している姿に対する嫉妬心が湧くこともあるだろう。むしろ、旦那の仕事ぶりに嫌気がさして、「もっときびきび働けよ」とか「もっと野心を持てよ、もっと出世しろよ」とイライラしてくることもあるかもしれない。結局そういうのは、向いていない選択を選んだ先にある不幸である。
世の母親の中には、子供が巣立っていく頃になって、「自分は世の中に一体、何を残したのだろう?」と虚しくなる人もいる。
生きがいを、生きる意味を見失う人もいる。
===
"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。