今読んでいる本に、業界とか会社別の社風について取り上げられてるのがあるんだけど、『オマエのつくる資料には魂がこもってない!!』と上司に命令されます、みたいな証言があった。社風ってやっぱりそれぞれだと思う。電気、ガス、水道、通信などのインフラ系と、例えば外資系コンサルとかじゃカルチャーやら、ワークスタイルやら違っていて当然なのは当たり前の話、もっと言えば大きなところと小さなところでは何もかもが違って当然だと思うわけ。で、少し視点を高くしていうのなら、これは資本家の視点なんだけどそのビジネスの収益パターンが、従業員パワーによるものなのか、モデルの良し悪しによるものなのかはよくわかっておいた方が良くて、従業員パワーのところならよくイメージされるよーなバリキャリ型になるけど、モデルが良いパターンだとその中でおとなしく仕事できるかどうかが鍵になってくる。もう、儲かる仕組みできてるから。余計な創造性とかいりませんよ、的なね。基本的に、ビジネスは、労働者の視点と経営役員の視点と投資家の視点の3つがあるととても良くて、1つの視点に偏ってると見えるものも見えてこなかったりする。
会社員の悲劇は、あれだ。
どこでも通用するような、できる人間になろうとすればするほどかなり激務生活を強いられ、激しい競争に巻き込まれる。そしてまぁ、いろいろ苦しくなる。かといって、安泰のホワイト系、たとえばインフラ系、規制業種のビジネスに入っていくと今度はどうなるのかというと、そこから弾き出された時にどうなんの?っていう問題を抱えることになるわけだ。
個人的には、せっかく会社員、組織人になるのだったら、とことん利権を握っている世界でそこにしがみつくってのは良い選択だと思うんだよね。潰しが効かない、無能化が進む、それでケッコーコケコッコーみたいな。失業したらバイトでもなんでもあるし。
逆に、会社をどんどん渡り歩くようなキャリア、転職可能性を高めるような生き方は若い頃にハードな重いをしたりすると思うんだけど、でも、なんか思うにそーゆー人達って最終的には独立するパターンに行き着いていると思うわけだ。
つまり、組織の利権にしがみつくか、それとも自分の腕で渡っていくかっていう感じじゃないのかな。その間にいろいろと微妙なゾーンがあるんだろうけど、個人的にそこらの領域はなんというか、キャリアへの自己肯定、自己満のために多くの労働者に用意された緩衝材、『アソビ』の部分に思えてならない。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。