このコンテンツは人生アドベンチャー 「離散」より引用しています
▼:ガウス、西園寺、ライプニッツ
離散と言えば数列ですよね。
数列と言えば・・・・・ガウスですよね。
天才ガウスは少年の頃、
「1+2+3+4+・・・・100」
という足し算の解き方として、
「100+99+98+97+・・・・」
という逆向きの数列を用いれば、
「101+101+101+101+101+・・・」
という数列に置き換えることができることに気づき、
この101を100まで足す=101×100をして、割れば計算できるという天才的な発想をして周囲の大人を驚かせたと言われています。
これがいわゆる等差数列の計算方法です。
同じようなことを考えて、
数学の歴史にブレイクスルーを与えたのが
ドイツのライプニッツなんですが、
ここにたとえば、
「段差がそれぞれランダムの高さの階段」
があるとして、
これの合計を求める際、
ライプニッツは、たとえば
____
え?それって結局、1番上まで登った時の標高の高さじゃね?
____
と気づいてしまった。
要は階段登る前の標高と、階段登った後の標高の差分。
もっと言うと、各階段の段差は、前の段との差分であることに気づいた。
そして、全ての段差、つまり各階段の高さを、
「●-○」
という差分に置き換えて、
それを
「●-○」「●-○」「●-○」「●-○」「●-○」「●-○」「●-○」・・・
という形で並べていけば、
隣り合ってる部分は同じものなので打ち消しあって、
結局、
「最後は最初のやつと最後のやつしか残らなくね?」
ということに気づいたのです。
この考え方って、
大学数学における
線形代数の対角化で固有値を弾き出すときにも
似たような考え方が出てくるのですが、
これが数学史におけるブレイクスルーにつながる。
みんな大好き・大嫌いの微積分にも使われています。
で、
「数の悪魔」
っていうすっごい有名な本があるんですが、
その本の中に、
・全ての数字は1+1+1+1+1+….で表せる
・減っていくパターンは1/1+1+1+1+1+1….で表せる
・11×11=121、111×111=12321、1111×1111=1234321
みたいなことが書かれていて、
こういう感覚ってすごい大事なんです。
もうちょっと根本的なことから言うと、
私が思うに、数字は、
1、3、5、7
と、
10
が大事です。
10は、言うまでもないですが
数字のカウントが10進法であって、
数というのは10単位で進みます。これは説明は要りませんね。
そして1が大事なのは言うまでもない。
問題は3、5、7ですが、
なぜこれらが大事かというと、
素数だからです。
4とか、6とか、8とかは、
「2」で出来てるので、
2のツーセット、
2のスリーセット、
2のフォーセット、みたいな捉え方ができます。
となると、あとは
3、5、7、なのです。
そして、
3に2を足したら5に、5に2を足したら7になることからもわかるように、
これら3つの数字は、「偶数」を足すことで変換できます。
ということは、3、5、7の中で特に大事なのは「3」で、
「3」に2を足せば「5」になります。
5=3+2です。
そして、「5」に2を足せば「7」になります。
この感覚があれば、数字というのは、
・1
・2
・3
・5
・10
が大事だとわかります。
10は10進法だから。
5は10の半分にして、3+2だから。そして5に2を足せば7になるから。
2、4、6、8は2の倍数。
9は3の倍数。
こういう感覚があれば、数字に強くなります。
1、2、3、4、5、6、7、8、9、10を
等しく大事だと思ってはいけません。
大事なのはまず
・1
・0
・10
ですね。
そして、
・2
・3
・5
なのです。
3、5、7、の奇数は、
「奇数」を足すと、
・3+1=4、3+3=6
・5+1=6、5+3=8
・7+1=8、7+3=10
からわかるように、「偶数」になることがわかると思います。
奇数に奇数を足せば偶数に、
偶数に偶数を足せば偶数になります。
奇数と偶数を足せば奇数になります。
つまり、
・偶数 = 奇遇同じものの足し算
・奇数 = 奇遇違うものの足し算
ということです。
これを踏まえていると何が良いか?
たとえば、大人でも、
「7+5は!?」
「7+8は!?」
という足し算を問われて、暗算にちょっとつまる・タイムラグが出る人って多いのですが
(5+5とか2+2とかと比べると難しいですよね)
「7+5は!?」
→ 奇数+奇数
→ 7=5+2
「7+8は!?」
→ 奇数+偶数
→ 7=5+2
というのが感覚的にサッとわかるだけもかなり「数字勘」が良くなるのです。
しかも、
_____
全ての数字を素数ベースで考える
_____
という感覚があると、
全部最小単位で考えられますから、
・1
・2
・3
・4 = 2+2
・5 = 2+3
・6 = 3+3
・7 = 2+5(= 2+3)
・8 = 2+2+2+2
・9 = 3+3+3
・10
みたいな感じで捉えられるわけです。
11以降は、
「10+1」
みたいな捉え方をすれば良いだけです。
また、巨大な数字に関しては、
「対数変換」
すればすぐ対応できます。
素数を見分ける方法として、
たとえば、
「509は素数か?」
と問われたときに、このルート(平方根)を計算します。
そしたらおおよそ22。
22までの数字で割り切れるか考えれば良いのです。
なぜなら、509を「●×●」で分解したので、
片方をおよそ22まで検証すれば、もう片方も検証したことになるからです。
「巨大な数字 → 対数変換 → 片側素数判定」
を一連のセットでやれば、
もう数字への感覚が超強くなります。
これは私が、
「仮説思考の本質」
で解説した二分法的な分解にもつながるのですが、
ガツンと分けてしまって、
片側を
「素因数分解」
するような感覚で進めていけば超早い。
こうして、数字をミクロレベルまで解剖できるようになれば、
あとは、
「そういった小さい数字を並べたらどうなるか?」
ということが分かればめっちゃ強いですよね。
等差数列に関してはさっき、ガウスの例を説明しましたが、
等比数列の場合は、
「掛け算は同じ性質・DNAを持つ数が対比で増殖・コピー・レバレッジされるものである」
という本質さえわかっていれば、
等比数列の足し算は同じものを二つ用意して片方の数列を倍化して引き算すればほとんどの項を消すことができます。
こういった
「多項式近似」
の考え方が、無限とか極限みたいな概念と接続している。
めちゃくちゃ細かく分解して、
それを足し合わせるみたいな考え方は、
アルキメデスの区分求積法とか
あるいは点のランダムな打点とその比率で面積を求めるモンテカルロ法とか、
数学のいろんなところにあるんですね。
どんなものも、むっちゃ細かく分解して、足し合わせて仕舞えば良い。
そしてその足し合わせには、パターンがあるはずだから、パターンを読んで仕舞えば計算法が導き出せるということ。
数列パターンが発散にせよ、
収束するにせよ、
周期するにせよ、
あらゆることに使える。
離散感覚は、
「論理的な対応」
感覚とも言うことができて、
たとえば有名な話で、
____
人間の髪の毛は最大14万本あるとされるが、
日本国内に同じ髪の毛の人間がいるかいないかを証明せよ
____
みたいな問題は、
髪の毛の本数0〜14万本別に「お部屋」を用意して、
本数に応じた部屋に該当する人間を入れていけば、
奇跡的に14万番目まで誰も髪の毛の本数が被らなくても、
14万1番目、2番目でお部屋が被り始めてきます。
日本には人口が1億以上いますから、
必ず被るわけです。
つまり、同じ髪の毛の人間はいるわけですね。
これ、誕生日とかも同じで、
人間が366人以上いる集団では
必ず誕生日の被りが発生します。1年は365日しかないからです。
・・・・・こういう、論理的な対応関係を見出せるかどうか、が離散的な感覚なわけです。
実際、これは統計も同じで、
統計学を進歩させたのはガウスですが、
ガウスは「誤差論」を元々研究していて、
現象が+と−の方向に同程度「ブレる」ものは
神の悪戯として仕方ない、と捉えることが確率論の始まりです。
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(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。