サラリーマンが最高!な理由について述べてみようと思う。
いわゆる『給与が安定してる』とかそーゆーことじゃなくて、サラリーマン最高な本質的理由。
たとえば、やりたいことを自分でゼロからやろうとすると、それができるかどうかもわからないし、積み上がるまで本当に時間がかかる。その点、サラリーマンなら、その組織が積み上げてきたものにすぐジョインできる。チームで仕事できる。万能じゃ無くてもいい。
この利点は大きい。
やりがいが欲しいと言って会社を飛び出す人もいるけれど、独立なんてしてしまえば通常はやりがいなんてものをはるかに超越したいろんなタスクが降ってくる。大変だ。
サラリーマンやめたいって思ってる人と同じくらい、サラリーマンに戻りたいって人もたくさんいると思う。結婚したいって人もいれば離婚したいって人もいるのと同じで。
資金力があって、裁量をくれるような会社だったら面白いことはガンガンできる。ダイナミックな世界にアクセスできる。もし、個人に裁量が無くても、裁量が持てるところまで出世できなくても、会社から安定的な給与をもらいつつ何かが学べるというのは大きい。
仕事をテキトーにこなして、プライベートに走る生き方もありだ。安定的な給与があって、社会的な地位があれば休みはリア充ひゃっほーしていい。即、結婚しても良い。考えてみたらすごいことだけど、実家から独立して、すぐに意中の人と結婚して、独立した家計を持てる。しかも20代そこそこで。職人の世界なら、20代はずっと丁稚でもおかしくないかやそれはすごいこと。
サラリーマンやって、ステキな人と出会えて、結婚して、良好な関係を築いて、、、っていうステレオタイプな生き方してて、すんごい幸せを感じてる人もいる。もちろんいる。
女は知らんけど、男の場合、ごくごぐ稀に、
『すごいステキな嫁さんもらって、幸せな家庭を築いて、今の仕事にも満足してて、ほんとに幸せ!』
って言ってるサラリーマンはいる。
で、たぶん、そのサラリーマンは本気でそう思ってるのよ。だけれど、それに同調するような意見を言ってるサラリーマンもたくさんいるけど、そのほとんどが内心、『なんか違う、、、』って不満を抱えてたりする。
なんか、世の中、
『典型的な理想像』
として描かれる絵があって、その絵通りに生きていて、本気で幸せと思ってる人と、『自分幸せって思い込みたい人』がいると思う。
私はあるとき、気付いてしまった。
『俺はマジョリティやメインストリームに合わせて、自分は普通だ、楽しい』って思い込みたい人だな、って。
学生時代、だいたい中心的な派閥みたいなのとか、リア充みたいなのがいる。で、その中心にいる人たちは本当に楽しそうなんだけど、私は自分に嘘をついてそこに迎合し、『あっ、俺ってここにフィットしてる!楽しんでる!』って思い込みたいやつだった。人生の中で、しばらくの間そーゆーことが続いてて、自覚すら無かった。
自分は普通の街道の平均、あるいは平均以上だと思ってた。
自己啓発読むやつアホ、起業する奴博打打ち、ギャンブルする奴最低、キャバとか風俗行く奴おかしい、年収1000万は超お金持ち、25歳で結婚しないと負け、35歳までには二児のパパになってるはず、株で資産形成、老後は安泰、、、、
みたいなことをボケーっと考えてるところごある人間だった。
今思えば、何もわかってなかった。
自分のことをね。
サラリーマンは良い仕事だと思いますよ。っていうか、世の中良い仕事たくさんありますよ。幸せに生きてる人もたくさんいますよ。
ただ、大人になって行く過程で、
『己を知る』
ってのがますます深まっていき、それにつれてある意味残酷なことにたくさん気付いていった感はある。自分の本当の姿っていうの?自然体の自分っていうの?
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。