ユダヤ国家は、地域的に一度も境界のあったことがなく、地球の上では普遍的で際限なく、ただ人種の集合という点に制限があっただけである。それゆえこの民族はいつもまた国家の中に一つ国家を形成していた。(中略)人間が共同社会を形成した最初の動機は、種の保存の衝動である。しかしながら、それと同時に国家は民族的な有機体であって、経済的組織ではない。この相違は、それが特に今日のいわゆる「政治家たち」にはもちろんいつまでもわからないぐらい大きいのである。それゆえ政治家たちはまた、国家というものは、実際永遠にただ種と人種の保存意志の線にある本性の活動の結果であるのに、国家も経済によって建設できると信じている。しかしこの本性はつねに英雄的な徳であって、決して小売商人的利己主義ではない。そのうえ種の存在の維持は、各人の献身に進んでおもむく覚悟を前提としているからである。
この人の国家観にあるものは、種の保存のための国家の形成と維持のためには、同質同種を基礎とした共属感情と、個人を全体のために献身する覚悟を前提とするわけですね。
経済を唯一の内容になって、それに寄って理念的な徳性のようなものが窒息すると、国家は崩壊する、と。
どこも同じですね。人が手を組んでしまった以上、構成する組織員が全体のために献身する意欲を失ってしまえば破綻が近づくのは自明の理。
国家は国の家と書く。
家庭についても同じかもしれない。
ヒトラーに言わせると、経済を至上とすると、その国家において国家観に基づいた英雄的な徳に牽引されるはずが、寄生者による、嘘つき、偽善、危険な残虐行為に導かれてしまう、、、、と。
彼に言わせると、国家を形成したり、国家を維持するだけの力とは現実に何かと言えば、
全体のために個人を犠牲にする能力と意志
だとのこと。
多分、余談だけれど、「経済」に傾倒する国家、および「個人」というのは、民族的な、血統的な、家系的な後ろ盾を持たないのかもしれない。例えば、個人ベースでも、いつまでも親にベタベタできる人、どんな状況でも親族が助けてくれるという人には、それほど経済的な要請の圧力がかからない。ところが、自分一人で生きていかないといけない人には、それだけ、経済的な要請の圧力がかかる。ハズレ親を引いてしまった人なんかはそうだ。
自分の存在としての基盤である家庭。自分のルーツである家庭。それが、心理・感情的な理由からも、経済的な理由からも、メタメタに破滅しかけていたような家庭、もしくは存立が危ういような家庭、そして精神的に安住できる部分が無かったような家庭で育った人間は、アイデンティティーというか、自己の身体、精神、経済的自由や安全を確保できない状態のまま育ってきているかもしれない。こうなってくると、いわゆる「身寄りが無い」状態になり、これが加速すると、個人ベースでは経済に重心が寄ってもおかしくは無いね。
そもそも経済的課題を実行するために、一定の制限された生活圏に経済的な契約者をまとめたものではないと。種の発展・維持を一層可能ならしめ、心理・精神的に同一な生物の共同組織体であると。
経済力が国家を形成し、国家を維持するという信仰が、あらゆる点から見て歴史的に反対であることが明らかに、かつ徹底的に示されている国においても通用しているということは、まことに理解しがたい妙な気持ちをおこさせる。
ほお。
プロポーズするなら、経済的な援助という意味ではなくて、「何があっても、結婚した以上は、君のために、全力をかけて忠誠を尽くし、心理、経済、肉体的な拠り所として安心できる場所であり続けるよ」というようなメッセージを与えることがそこから始まる「家形成」において非常に重要だということだね。残念なことに、ヒトラーが危惧したような寄生民族みたいなことをやる人たちが横行した結果、英雄的な徳を持つ人たちが崩壊しかかっていたり、そもそも家形成の価値や価値観のようなものが失われつつあるのかもしれない、ということ。
適切なリーダーシップ、構成員の能力、明確なビジョン、各々の献身、共属感情、あらゆるものが成立しないと、グループというのは存続し得ない、維持発展し得ないということ。
ここで日本No.1のキャバ嬢のお言葉を。
お客さんから個人的にプレゼントをもらうのならば、お店に来てもらってお店にお金を落としてもらい、みんなで飲んで楽しんだ方が、お店も嬉しい、自分も嬉しい、お客さんも嬉しいの三方良し。トラブル防止にもなる。(※西園寺意訳)
サラリーマン、営業マンの鏡。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。