ルネッサンスは腐敗した多様性であり、まさに今と似ている

ルネッサンスは腐敗した多様性だったのであり、やがてその荒廃から宗教的秩序へと人類は自ら多様性を捨てていく。ただし、それは宗教改革の節目にあった時期だと言える。イスラム教の厳格な秩序も、そもそも交差点として栄えて拝金主義に陥って荒廃した世界からの修正だったのであり、欧米はイスラムを見下すがむしろ欧米的な拝金主義の世界観の先取りをしているのかもしれない。

元々イスラムは先進的に女性が社会活躍している世界だった。女性の力が強かった。そこからあえて、逆行したのは興味深い。

 

Youtuberになるべきか?

校の問題には正解があります。しかし、社会に出ると正解がありません。よく言われる話です。自分で考えて、判断し、行動していかなければなりません。答えの無い世界で、自分なりに考えるための素地を与えるのが、学校教育·大学教育だそうです。「へー」って感じですよね。

では、ここでクエスチョンです。

今から、Youtuberになるべきでしょうか。

貴方はどうお考えですか。

これについて、もし、自分なりにその結論が出せるとしたら、「なぜその結論に至ったのか」という背景を、他者に説明することができますか。あるいは、未来の自分に、「あの時なぜそうしたのか」を説明できるような説明文書を残しておくことができますか。

Youtubeは、小資本で始められるビジネスで、今最も注目を集めている領域だと言えます。稼ぐ人たちは、非常に華やかに見えることと思います。Youtuberを目指して活動するか否かについて、判断する筋道は数多く存在すると思います。その判断方法と答えについて、絶対的な正解·不正解は存在しないでしょう。

生きていると、こういった選択の連続です。クエスチョン·アンサーの連続です。ましてや、レールの無い世界に突っ込んでしまうと、この類の難しいテーマが毎日のように降ってくる。その中で、自ら考えて判断していかなければなりません。自分なりの考え方の道筋が無いと、多分、精神的にやられて鬱になります。他人に縛られない自由人になればなるほど、自分で考えないといけないので、精神的な負荷が強くなります。

そして、これに加えてさらに厄介な問題があります。それは、世の中の人たちが「嘘をつく」ということです。わざと嘘をつく場合もあるし、やむを得ず嘘をつく場合もあるし、自分で嘘をついている自覚が無い人が嘘をつくこともあります。また、人それぞれ、「言葉」の使い方や定義が違っており、私たちは他人によって浴びせられる言葉のシャワーによって惑わされてしまいます。あるいは、自分が他人の言葉を都合良く解釈してしまい、失敗することだってあるでしょう。

見栄と呼ぶのか、建前と呼ぶのか、気遣いと呼ぶのか、演出と呼ぶのかはわからない・・・・。

この世界には嘘が溢れている

年時代。私は友人に、「また明日な!」と言われた翌日、彼から連絡が来ないことを不思議に思いました。思春期に入って、女の子から「連絡するね!」と言われて連絡が来ないことに傷つきました。いい感じの関係だったはずの女の子が私に「好き」と言っていたのにもかかわらず、告白すると「うーん」と渋い顔をされて「ちょっと考えさせて」と言われた時には、一体何がなんだかわからなくなりました。自分のことを好きと言っていた人が陰で自分の事を嫌っていたり、「絶対に言わないから!」と秘密を約束したことを口外されたり、こういった人間関係の難しさに初めて直面したのが中学生ぐらいの時でしたが、10代後半には女性たちの「性的奔放さ」に「建前と実際」のコントラストが加わって、一時期、女性不信のような心境に陥った事もありました。社会人になると、この建前を用いた権謀術数というのはより高度になりますから、この頃になって「読解力」の重要性を理解するようにもなります。

似たようなことを貴方も経験したことがあるかもしれません。例えば就職活動。転職活動。その際に、企業の人間にかけられた言葉だったり、企業が世の中に放つコピーに踊らされたことがあるかもしれません。会社の本音はどこにあるのでしょうか。上司は、役員層は、何を考えているのか。それがわからずに、「自分の進退」を決めあぐねている人もいるかもしれません。そもそも私たちは、言葉をベースに外部から情報を取っているはずで、その言葉に嘘があったり、コンテクストや発話者の真意を読み取れないと苦労するに決まっています。

生きることに悩み、手に取った自己啓発本やビジネス書の言葉に救われたり振り回されたりしたことがある人だっているでしょう。書店に行けば、五木寛之氏や、瀬戸内寂聴氏、堀江貴文氏、西野亮廣氏、大前研一氏、はあちゅう氏、見城徹氏など各界の著名人が生き方について説いていますが、これは「自分自身に突きつけてきた厳しい言葉」なのか、「世の中の人々が求めている甘い言葉」なのか、「立場や見栄、プライドに縛られて出てきた言葉」なのか、「商業上のポジショントーク」なのか、「そもそも個人的な偏見の塊で万人に使えるものなのか?」「結局、読んだ価値があったのか無かったのか、結局この人は何を言いたかったの?」というのが、サッパリわからないこともあるかもしれません。

キャバクラに行ったり、ギャンブルを始めたり、怪しいセミナーに参加したり、ナンパしたり、社会人として仕事すればするほど、······世の中の嘘と出くわす確率は上がります。私は、腐る程怪しい世界を見てきました。ですから、怪しい言葉のシャワーを浴びた量はズバ抜けています。一般の普通の世界も、大人になればなるほど、人は建前武装をするようになる。アメリカなんかは超建前社会ですし、外資系企業では上司が人事に関して強い力があるので、一般日本人が思っている以上の「お世辞」「おべっか」が飛び交っています。世界的に嘘が飛び交っているのです。そして、きわめつけはネットやSNSです。見栄や虚飾が散乱しています。「youtubeで稼いだ」「ブログで稼ぎだ」という話は、私たちを混乱させます。今の世の中は、とにかく大変です。そもそも、国ですら詐欺を働いているような場面が散見されます。「政治家=嘘つき」と思っている人も多いのでは無いでしょうか。

学生時代、私は、なぜ学校の勉強が必要なのかがわかりませんでした。今でも、学校教育には否定的ですが、学校教育で取り扱っているコンテンツ·テーマ自体は素晴らしいものだと思います。ただし、その本質を教えられる学校の先生に出会うことは、私の場合はありませんでした。

日本がもし、嘘をついていたとしたら

私は小学校低学年の頃から、学校教育を疑っていました。そして、学校教育を通して日本社会全体を疑っていました。学校の図書館で読んだ本であったり、おじいちゃんの話を聞いて、戦争のことや過去の日本のストーリーについて知っていました。それゆえに、ある程度、疑いの目があったのです。国と学校教育は、自分たちを殺すという警戒感がありました。何より、学校の先生という人種を見て、そして学校教育のカリキュラムを受ける中で、私は言い知れぬ違和感をずっと感じていました。

思えば、私の「自由」を求めた人生ストーリーはそこから始まります。

西園寺さんが昔交際していた女性の父親は、自衛官でした。その方とお話させて頂いたとき、どうやら日本の自衛隊には、「旧帝国陸軍·海軍」時代の風習が残ってるらしい、と知りました。例えば海軍カレー。これは今の海上自衛隊にも受け継がれています。大日本帝国は明治に始まり、昭和の激戦で消えました。

旧帝大って知っていますか?今の、東京大学、京都大学、東北大学、北海道大学、九州大学、名古屋大学、大阪大学のことです。読んで字の如く、これらは「旧帝国大学群」だったのです。明治期に創設された大学です。早稲田大学って知っていますか?慶應義塾大学って知っていますか?これらが創設された時期と、創設者の名前を知っていますか?早稲田は大隈重信、慶應は福沢諭吉であり、この二つは明治期に創設されています。大隈重信は政治家でもありました。一橋大学の創設には、福沢諭吉と渋沢栄一が関係しています。戦後、三井、三菱、住友、安田などを始めとする財閥、およびこれらの10倍の規模を持っていたとされる天皇財閥はGHQによって解体されました。教科書にも、財閥解体は記されています。しかし、これには補足が必要で、財閥の解体は「途中でストップ」しました。なぜなら、その後アメリカが朝鮮戦争に突入し、日本からの支援を必要としたので、重化学工業の力がある財閥を活かしアメリカのサポートをさせたのです。だから財閥は今も残っています。そして、朝鮮戦争の漁夫の利によって、日本は戦後の高度経済成長へと進んでいきます。アメリカは、日本の軍隊についても、戦後に解体したのにも関わらず、結局、再武装化させていきました。朝鮮戦争で忙しかったからです。つまり、日本の戦前体制は、中途半端に解体された後、アメリカに利用されて生き延び、今日に至っています。まだ残っているのです。三井、三菱、住友、安田などの財閥系企業は、未だに日本に根を張っています。日本の大企業は、ほとんど財閥系です。昭和天皇も殺されぬまま、平成天皇に受け継がれ、今は令和天皇です。血筋は続いています。結局、国民の血税が彼らに充てられている時点で、支配体制は変わっていないと言えるのではないでしょうか。

何より、財閥の存在を知らずして、日本という国家は語れません。

多くの専門家は、財閥を語らずして、日本の戦争について言及しようとします。

三井は江戸の呉服商を前身とする組織です。それから両替商に転じ、江戸幕府ができて100年が経った頃には国内で金融ネットワークを作り上げ、大坂で徴収した税金を江戸幕府に送金する為替システムを作りました。また、外国銀行との取引も三井を窓口として行われるようになりました。要するに、政府とズブズブだったわけです。明治新政府が出来てからも、三井は新政府にお金を貸し付けるなどしています。三菱は岩崎弥太郎という人物が明治期に立ち上げました。彼は闇が深いです。彼も明治政府とズブズブです。THE政商。スタートは海運業です。政府との取引や、幕末~明治初期の動乱期における内戦に乗じて財を築きます。初期の礎は台湾出兵と西南戦争で築いています。物資輸送の需要があったのです。日本では、江戸から新しい政治体制にシフトする際に、旧体制側の人間たちと新体制側の人間たちの衝突が起こっています。「スペシャリティキャリアシリーズ·インベスター」で言及したように、ロスチャイルドにせよ、三菱三井にせよ、資本家は戦争(ある派閥とある派閥の争い)に乗じて利益を得ています。岩崎弥太郎は土佐(高知県)の出身で、通っていた私塾を通して後藤象二郎と繋がり、後に彼に仕えます。岩崎は土佐藩官位職(いわば公務員)でした。後に廃藩置県で職位を失います。後藤象二郎が明治政府で高官になった際、元上司の彼から「維新政府が全国の紙幣統一をするために藩札を買い上げる」という情報を聞きつけ、藩札を大量に集めて明治政府に買い取らせる、今でいうインサイダー取引をするなどをして巨万の富を築きます。三菱の2代目総帥である岩崎弥之助(弥太郎の弟)は、福沢諭吉の出版事業と、慶應義塾に出資します。そして、福沢諭吉は自らの慶應義塾を通して優秀な人材を三菱に送り込みます。ここに、三菱と慶應のズブズブの関係が見て取れます。弥之助は日本銀行の4代目総裁にもなります。

お分かりでしょうか?要するに、明治政府と三菱、慶應と三菱、日銀と三菱の関係は深いのです。

早稲田の創設者である大隈重信は政治家でしたが、岩崎弥太郎は彼に対して大きな政治献金をし続けています。ここで三菱と早稲田の繋がりが見えるはずです。長崎県にグラバー園という観光名所がありますが、幕末期に、幕府、討幕派、佐幕派問わず武器を売りさばいていた武器商人、トーマスグラバーの旧邸宅跡です。日本の内戦で儲けていた人物です。グラバーが日本で展開していたビジネス、「グラバー商会」はマセソン商会の代理店でした。マセソン商会は、前身が東インド会社で、設立当初の主な業務はアヘンの密輸と茶のイギリスへの輸出でした。清とイギリスの間で繰り広げられたアヘン戦争に深く関わっていた会社です。ちなみに、世界最大級のメガバンクであるHSBC(香港上海銀行)は、マセソン商会が香港で稼いだ金をイギリス本国に送金するために設立された会社です。このグラバーと岩崎弥太郎の関係も深いです。岩崎の三菱が海外輸出事業をする際にグラバーと組んでおり、後にグラバーは三菱財閥の相談役にもなっています。グラバーが三菱の総合商社化へのきっかけになっています。

今でも、早慶はエリートの代名詞になっていますが、大日本帝国の中国大陸進出と泥沼化·後々の大東亜戦争につながる遠因を作ったのは早稲田創設者の大隈重信であり、特亜三国を見下して支配的に考える思想の根源は福沢諭吉であって、日本の庶民レベルはこの二人の思想に振り回されて戦争で地獄を見たとも言えます。人類学者の梅棹 忠夫は日本はもう未来永劫、中国大陸に対して野心を持つべきではない、島国·シーパワーの海洋国家として生きるべきだと説いています。

渋沢栄一が立ち上げたとされる日本初の銀行、第一国立銀行は三井を始めとするその他の財閥の協力によって設立されました。この銀行を国家財政の全収入が経由することになります。この銀行は現在のみずほ銀行に系譜が受け継がれています。明治維新を国会財政の面から見るならば、三井とその他の富豪たちが国家という商品を売買する対象にした流れです。三菱は船会社として富を巨大化する一方で、三井は国家財産そのものを支配していきます。第一国立銀行は、三井の支配下に置かれます。1882年に、日本銀行が出来ますが、ここで三井は主要株主になります。

え?こんなこと学校で教えてもらってないって?当たり前じゃないですか。教えるわけがないじゃないですか。

まだまだ続きますよ。

三菱財閥三代目総帥の岩崎久弥(始祖·弥太郎の息子)は、慶應義塾大学を出た後にアメリカ·ペンシルバニア大学に留学します。そして、三菱は、日清·日露戦争、第一次世界大戦でも戦時利得にあずかります。また、日銀総裁は連続して三菱系が牛耳っていきます。第7代の高橋是清も三菱系の人間です。日銀総裁のポストを三菱系が独占したことがわかると、日本の金の流れがわかります。軍備拡大、貿易拡大、そして労働賃金抑制。財閥は、工業系分野でグングン伸びていきますが、その成長を支える人材は非常に安価な金額で買い叩いたのです。結局、それは明治政府以下が仕組みをこしらえた「学校教育」によって排出された人材であることは容易に推測できます。農村から流れた女工たちは1日16時間も働かされたのです。大量生産·大量輸出のために、あえて労働者を飢餓状態に置いていたとされています。多くの女工は病気になるか、娼婦へと転落していきました。

岩崎家·三菱の流れを組む著名人は、幣原喜重郎や、シンガーソングライターの中島みゆき、それから福沢諭吉も血縁関係になっています。皇族や野村財閥、松方正義、加藤高明とも血縁関係です。安倍晋三は三菱財閥の創った成蹊大学出身で、兄弟は三菱商事のお偉いさんです。

日本史を理解すればわかるように、明治から昭和の流れというのは、「日本の支配者層」として君臨した新政府や資本家たちが、一般日本人を労働に徴用したり、戦争に突っ込ませたりする過程でした。物凄く一般人を働かせたのですね。明治~大正には多くの女性たちが売春婦として売り飛ばされています。遊女として国内で売られたり、海外へ売春婦として売り飛ばされたりしています。

幕末において、討幕派を支援していたのはイギリスです。薩長の背後にはイギリスがいました。日清、日露戦争に関しても、イギリスが背後にいたから勝てた戦争です。スペシャリティキャリアシリーズ·インベスターでご説明した通り、イギリス(シーパワー)はロシア(ランドパワー)をけん制したい動機を持っており、ヨーロッパ側ではなくアジア側の南下を考えたロシアを恐れていた日本に対してイギリスが支援に回ったのです。つまり、イギリスは間接的にロシアをけん制した。結果的に、日本とイギリスとの同盟が、日本の第一次世界大戦への参加にも繋がっていきます。

こうやって歴史を読み解くと、この国が誰に支配されているのか、何に翻弄されているのかがわかるはずです。

学校教育で主軸となるのは、

  1. 国語
  2. 数学

の2つだと考えます。そして、国語とは書いて字のごとく「日本国の言葉」という意味です。自国の言葉ですね。日本語です。古文漢文は古い言葉ですが、現代文と合わせて、国語という分野は、「日本人」や「昔の日本人が生きていた文化圏(中国の影響)」に生きた人間たちの変わらない本質を学ばせる領域ではないかと思います。時代を超えて、何が変わったのか?何が変わらなかったのか?その当時の人たちの心情や、想い、人生観、人間関係は今の私たちにどう通ずるのか?····そんな勉強ですね。

日本の「国語」の該当する領域は、海外なら例えば「英語」があてはまります。アメリカの学生の教科書を見ると、彼らにも「英語」の授業があり、英文の小説における表現などの読解法が教えられています。

15歳の時にアメリカに飛んだ孫正義は、アメリカの高校卒業資格を得るために、

  1. 数学
  2. 物理
  3. 化学
  4. 歴史
  5. 地理
  6. 英語

の試験を受けており、大学時代はこれに加えてコンピュータと経済学の学習と力を入れたそうです(ですから、彼は日本の学校教育の中で、古文や漢文をあまり学んでいないと思われます)。孫さんは、坂本龍馬や織田信長が大好きなので、自習はたくさんしているはずですが、学生時代に「日本史」をカリキュラムとして受けさせられた量は一般日本人より少ないはずなのです。当たり前の話ですが、古文漢文、日本史はグローバル科目では無いとわかります。逆に言えば、これらはローカル科目であり、それを学ぶことでローカルの範囲を文学的·心情的に理解しやすくなると言えるでしょう。特に、海外文化や歴史を知って比較できるようになると尚更です。現に、「古文漢文が得意だったおかげで中学人富裕層、エリート層と深い関係を持つことができた」などと言う人もいます。「うし(辛い·憂鬱だ)」「つれづれなるままに(することがなく退屈なのに任せて)」という表現が古文にあることから、昔の人間も現代人と同じような気持ちで暮らしていたのだなということがわかるし、「銀も金も玉もなにせむに優れる宝子に及かめやも(銀も金も珠玉も、何になるだろうか、どんな優れた宝であろうとも子供に及ぶだろうか)」「防人にいくは誰が背と問ふ人を見るがともしさ物思もせず(防人に行くのは誰のご主人、と聞いている人を見ると羨ましい。その人は、何の物思いもせずに。私の夫は防人に行くというのに)。」といった文章からも、昔の人間の心情が伺えます。今と大して変わりませんね。人間の心情は昔から変わらないのに、昔の方がいろんな面で荒れていた。

マクロでやばくなってから初めて動くのが国です。あるいは社会的インパクトがある個人の事件がスポットライトを浴びて、国民意識が動いてから対応するのが国です。政治家や官僚は、世の中を「総計、大所高所」で見がちです。歴史や統計の知識を駆使して、上からざっくりと、あるいは長い時間でざっくりと捉えがち。だから、彼らにはあまり、一般国民の心情に共感するとか、あるいは陳情を受け付けるというような発想は無いでしょう。2019年、年金制度の事実上の崩壊とも取れる発表に際して、麻生太郎さんが発した言葉が「他人事すぎる」と物議を醸し出していますが、政治家の発言がいつの世の中も国民感情を逆撫でするのは、国民1個人の心情に寄り添うというより、大きな高い所から捉えているからです(ただし数ある金融商品の中でも、最も素晴らしいリスクリターンがあるのが年金なのは変わりません)。

これを悪く表現したある著名な人物の言葉があります。

一人の人間の死は悲劇だが、数百万の人間の死は統計上の数字にすぎない。

ースターリン(※ただし、これはナチス親衛隊中佐·アイヒマンの言葉だという話もある。諸説あり。)

ある意味、これが国を司るポジションの人間の性質ですし、高いところにいる人間の宿命です。当然ですが、支配者は、現状に良い面が少しでも残っている限りは保守的です。世界史·日本史を参照すると、過去、あらゆる社会システムは世の中を荒廃させて失敗した歴史があるからです。彼らの比較軸は長い人類の歴史にあります。自らの手を下して世の中を改革するという度胸、責任は取れないでしょう。権力者に仕える層は、個々人のキャリアとしても、保守的な人間の集まりですから、尖ったことをやりたい人は少ないはずです。だから結局、技術や起業家、新しい文化、トレンドなどによって世の中が変化していったのを後ろからキャッチアップするだけです。

昔、私が子供の頃に、「暇だなぁ~~~」と言っている友人がたくさんいて、彼らは大人になると「時間がない、忙しすぎる」と漏らすようになりました。人は、暇を持て余すとくだらないこと、非生産的なこと、悪さ、争い、恋愛や性愛に溺れがちな傾向にあるとその当時を思い出して思います。歴史の知識と照らし合わせた時、世の中の覇権争いをする人間は、金や、いつでも金をひねり出せるような権力の希求、現体制への不満、階級逆転への野望などがあって蜂起をしてきました。彼らが支配層になると、現体制を強固にします(徳川家康のマネジメントなんかはすごく有名です)。そのため、支配者層の関心は、主に

  1. 内部統制
  2. 外敵との戦い

であることは変わりませんし、日本の場合は、ヨーロッパなどと違って、長らくの間異民族の侵略がありませんでしたから、内部統制をがっちり固めるスタイルに卓越しているように思えます。自国を世界的に飛躍させることよりも、内部統制です。現に、江戸時代の日本国の経済成長率は物凄く低かった。265年間ボーッとしてるうちに、海外勢は激しい競争の中でみるみる強力になり、これが外来してそのギャップや脅しをかけられた内容に「ハッ」と驚かされたわけです。内部にばかり目が向いた結果、外的に出遅れていたというのは、この社会においてよく散見されるパターンです。

歴史というのは、過去の膨大な臨床データです。基本的に、未来予測というのは過去を調べ上げることで実現するものです。これは数学的な分析においても同様です。歴史がわかると、方向性が見えて来ます。パターンが読めて来ます。日本は幕末以降、諸外国に翻弄されまくりです。明治維新の際、新政府軍が強かったのはイギリスがバックについていたからです。日清戦争は、南下してくるロシアをけん制したい日本が朝鮮を巡って当時の中国と争ったものです。中国は朝鮮を治めていました。日清戦争はロシアを意識した上で、朝鮮を巡る中国との戦いです。それゆえに、その直後の日露戦争へと繋がって行きます。スペシャリティキャリアシリーズ·インベスターでご説明したように、ロシアは、地政学的な事情により南下したい動機を持っています。

EU(欧州連合)が先の大戦でヨーロッパが荒れまくったことによる反省をベースに生まれたことなども考えると、経済体制というのは世の中を安定化させて争いを防ぐという思惑もあります。争うより、みんなで取引をした方がみんなハッピーになるよね、国同士の争いは減らせるよね、というのは人類の歴史の叡智です。特に日本は、敗戦国ですから、外国と戦って散々な目に遭いました。こういうことを考えると、

世の中の支配体制は、現代人を忙しくさせることで、現行の体制を崩壊させないように考えているかもしれない → ベーシックインカムなどは実現可能だとしても、権力層はそれを許さないかもしれない(日本が内部荒廃するぐらい経済が荒れたり国民が海外逃亡しない限り)、人は余裕ができると悪さや争い、さらなる野心や強欲さをむき出しにしてしまうかも」

日本のエスタブリッシュメントは、伝統や既存体制を残すことに固執し、その代わりに海外勢との調和を通して何らかの形で生き残りをしぶとく測り、国のあり方を抜本的に変えることはしないかもしれない(歴史の長さは頑固さ、しつこさ、変わらなさを意味する)」

「世の中の多くの産業は、一般日本人が、忙しい、辛い、疲れた、不幸だ、と感じているからこそ、その先に消費が存在して成り立っており、人々が人生に変化や潤いを求めて結婚しなくなったり、子供を産まなくなったり、ストレスフリーになると、いろんなものが売れなくなる、経済が回らなくなると支配層は考えているかもしれない」

「一般日本人に暇とお金を持て余させると、現行の体制を崩そうと動き始める人が増えるかもしれない」

「日本は強国との関係性において、自国民をないがしろにするような政策を取りがちである、世界の強国と政治的に巧みな駆け引きをするのが下手である」

「日本は自国民にわざと英語を習得させないようにしているかもしれない、だからあんな意味不明な英語教育·試験を続けたのかもしれない(→ 公教育を通して、若いうちに英語ができるようになったら、日本国民は海外逃亡する。特に若者は。)」

というような読解だって可能になります。こうやって、様々な仮説を立てていって、総合的に解釈した時に、「世の中の見えない本音」が見えてきたりするのです。現に、世の中の経営者などは、従業員に対して給料を与えすぎたり、ノウハウを与えすぎると自立して逃げられると感じ、あえてそれをセーブしたり、年功序列制度にする人もいます。

グローバルに考えると、学校教育で主軸となるのは、

  1. 言葉(国語·英語)
  2. 数学

と置き換えても良いと思いますし、国内の私立大学だとこの2つしか受験科目が無いところもあると聞きます。この2つさえしっかりできていれば、後の点数はひどくてもどうにかなると考える人も多いはずです。学校が国語系で教えているのは「読解力」であり、数学系で教えているのは「論理的思考力」だと考えることができるでしょう。問題は、この「読解力」です。

私が思うに、文系とは読解力です。日本史、古文、漢文、心理学、政治、経済、などの文系分野は読解力をサポートする補助データ、知見、知識という認識でいます。ベースにあるのは、言葉です。自国語(&英語)です。

世間の人間が思っている以上に、国語力は重要です。以前読んだ「役員の心得」「出世の心得」のようなテーマを扱った書籍の中に、「そこそこ出世する人は数学が得意であるが、トップクラスまで行く人は国語が得意」というような事が書いてありました。もしかすると、人によっては「国語がなぜ出世に関係があるのかわからない」と思うかもしれません。しかし、出世とは海千山千の人間になること。有象無象·魑魅魍魎の世界を駆け抜けて這い上がることです。交錯する人間の思惑を読み解いていかないといけない。国語は大いに関係ありです。

これはパラフレーズすると、論理的思考力よりも読解力の方が社会的成功に関係するということでは無いでしょうか。そもそも、論理的思考力は「正しい読解」の上に機能します。論理的思考力の素材となる情報·データは読解して自分で集めるのです。あらかじめ用意されてしかもそれが読解容易な形で目の前に置かれているのは学校の試験だけです。

むしろ、日本の学校教育は、「与えられた資料や、情報などの範囲外で物事を考えて欲しくない」「そんな人材を育てたら大変だ(やばい)」と思っているかもしれません。

私はマーケティングや投資等を仕事としてやってきましたけれど、統計や数理的分析と結びつきなこの分野は、正確には「文理融合領域」であって、しかもどちらかと言うと「文系領域」なのです。ベースは読解力です。数学力だけでは統計を読み間違えたりして失敗します。学校の数学問題と違って、実務の数学は人心を分析対象としていたりする事が多いからです。そもそも、統計しているものが人間心理だったりするからです。純粋に「数学力」「定量分析力」などを突き詰めて上に上がりたいなら、CFOやクオンツ、アクチュアリ、物理学者や数学者を目指すと良いかもしれません。しかしそれでも、数学の天才を集めて、多くの出資金をもとに資産運用を破綻しようとしたLTCMは破綻しました。彼らの失敗の理由が、私にはわかります。国語力が弱かったのだと思います。すなわち、読解力です。要人発言とか要人の打ち手により平気で荒れる投機マーケットで、機械的に数学思考を当てはめると大変なことになります。素人とは違い、本物の投資家は「人」に投資するものです。人とのコネクションが違っていたりするものです。統計確率にしても、微積分にしても、前提に置いている土台の不安定さや変化を理解しないと大事故になります。

そして、個人的な偏見ですが、日本人が常に先進国に対して劣り、戦争でもビジネスでも後塵を拝するのは、「日本語」という情報コミュニケーションインフラに欠陥があるからだと思っています。多くの日本人は勘違いしていますが、日本は常任理事国に入っておらず、敗戦国であり、近代の文明開化も先進国の猿真似、戦後の経済成長はアメリカのおかげ、現在一人当たりGDP(購買力平価)は世界30位台、東大の世界ランクは40位台と、別に優れた国ではありません。そしてその根底にあるのは、学校教育の悪さです。幸運な地理的要因ゆえに、外部から仕掛けられる厳しい生存競争の脅威にさらされず江戸まで過ごしてきたものの、急速な外来の危機を感じて、列強をベンチマークし、中央集権的に富国強兵したのです。運動会の練習や遠足なども軍事教練の名残です。

私は個人的な嫌気もあり、学校教育に従わないという意味で、「最低な学生」でした。小学生時代は優等生だったもののその頃から学校教育をおかしいと思い続け、中学はよくサボり、高校は推薦入学、大学は通信教育、就職も紹介·推薦のような形で、しかも15歳からほとんど学校に行っておらず、その頃からずっと働いて、シャバの現実ばかりを見てきました。学生らしい思い出がほとんどありません。歳上の彼女と同棲したりしてほとんど実家におりませんでしたし、16歳頃にはすっかり資本主義の本質と構造に気付いてしまっており、「資本家シフト」を人生のテーマとして歩んできたのです。これも結局、読解力に根付くものです。学校教育を受けていて、雇われて働いていて、「何か世の中おかしい」と察してしまったのです。何なら、親もちょっとおかしいかもしれない、友達もちょっとおかしいかもしれないと思い始めていました。

大の大人でも、コミュニケーションには大変苦労します。大人になればなるほど、コミュニケーションに苦労させられます。その際、「うまく世渡りできるかどうか」は、国語系の科目で読解力を磨いたかどうかというのが重要な素地となるはずです。AI時代にうまく生き残るためには、読解力が大事だと言われています。読解は高度な知的作業なのです。AIに勝てる道です。情報処理、例えば論理的思考、統計処理、推測·予測などはすでにコンピュータ·AIの方が人間より優れています。しかし、解釈やコミュニケーション領域はまだまだ人間の領域です。

読解を仮に「Reading」と呼ぶならば、センテンスのリーディングもそうですが、マインドのリーディングも大事だし、シチュエーションのリーディングも大事です。溢れる情報を取捨選択して効率よく取っていく、という意味でのリーディングも情報時代には必須ですし、ますます重要性を増す「人の価値観の多様化」「心情の理解」「メンタルビジネス」へのセンスも欠かせません。

それと同様に、人を口説いて、何かを売り込んで、

  • お金や社会的成果
  • 人間の心(女の身体)

Get·Have·Takeしていくためには「Speaking(スピーキング)」「Writing(ライティング)」も大事になるのです。そして、素晴らしい「Speaking」「Writing」をする人間には、向こうから心の内がドバドバと明かされるものです。まるでダムが決壊するように。その際には、ちゃんと「Hearing(ヒアリング)」して人の気持ちと情報をキャッチしていく必要があります。せっかく相手が、その人本人についての情報と気持ちのヒント、いわば個人情報をドバドバと漏らしてくれるのです。読解の大チャンスです。世の中のあらゆるビジネスが個人情報と引き換えに無料ITサービスを提供するのは、個人情報が金になるからです。つまり人間は、自分に最大限にoptimizeされたものを好むし、時間とお金を注ぐのです。

Hearingがきちんとできた時、相手はまるでこちらを神を見るような目で見てきますし、絶対的な関心と帰依心、忠誠心を向けてくれます。人が一生仕えて尊敬する人間は、自分の気持ちを理解してくれた人間か、自分の人生を変えてくれた人です。

「自己啓発本を読む人なんて養分」と思っていた私が、ロバートキヨサキの本を読んでどハマりした理由は、「なんでこの人は、こんなに私の気持ちと、私が考えて悩んでいることと、そして私が体験してきた世の中の辛さと、そして世界について知っているのだ!?」という衝撃でしたし、それ以降、宗教にハマるように浸って人生を変えられてしまいました。今思えば、ロバートは世界の労働者層を読解し、資本家層の思惑を読解し、未来を読解していたのでしょう。97年に出された彼の書物は20年先の未来を読解していたとも言えます。彼はシリーズ第1冊目で、企業年金·公的年金の危うさを指摘していました。2019年、日本国は事実上の「年金に期待しないで宣言」をしてしまいました。素晴らしい読解は、20年先の未来を読むのです。

私が過去に、「フェラチオはどうしてもできない」と言っていた女性にフェラチオしてもらえたのも、その人の世界観を理解して、そしてその人の人生にインパクトがある言葉を発したからです。彼女は、私が送った言葉をスクショして、ノートパソコンに書き写したほどです。お金の話ではありません。生きることとか、人生についての話です。そして彼女は、ずっと迷っていたアメリカ留学に飛び立ちました。彼女は、死ぬほど生きることや人生について迷っているタイプの人でした。陰鬱とした気分に害されているものの、誰にもそれを打ち明けられず、誰も相談に乗ってくれない、乗ってくれたとしても「ピンとこない」という状態だったのです。

西園寺貴文は、

  1. Reading
  2. Speaking
  3. Writing
  4. Hearing

の4つを使いこなして、「金」「女」を手にいれてきたのです。そして、社会的地位も確立させることができました。私はどんどん満たされていきました。こうやって私の人生は変わった。私という人間は進化した。すなわち、「BE」です。神戸の港に「BE KOBE」というモニュメントがありますが、私は「BE Better Communicator」を実現したのです。

私が若年の頃から、生きることに苦しんでいた理由の最たるものは、人間関係であり、突き詰めると「人の本心がわからないことへの恐怖」でした。人が腹のなかでどんなことを考えているのかはわからないものです。人の集積が社会ですから、人がわからないということは社会がわからないということに繋がり、生きることへの恐怖心が膨らんでいきます。

そもそも、世の中の本音がわからないから、うまく売れない。

そして、人は世界について理解が難しくなり、不安を抱えるようになると、何事も疑心暗鬼になって人間不信になっていきます。その先にあるのは、ヒステリック化か、攻撃的になること、あるいは異常な保守化で、そうするともしかすると良い巡り合わせや運気、チャンスの風が吹いてきたかもしれなかったのに、それすらも逃してしまいます。こうやって、悪いスパイラルにハマっていくのです。

鬱病になる人などは、読解力が欠けているがゆえに、人と世界への認知フレームワークを誤ったもので設定させてしまっています。これでうまくいかずにバグやフリーズを起こし、自分に自信を失って世界に絶望します。やがて意欲も失って死にたくなるのです。彼らはメンタルが弱いのではありません。自分の持つ世界観がうまく現実にフィットしていないのです。ですから、世界観を改めるか、もしくは自分の持つ世界観がうまく機能する領域にお引越しする必要があります。ロマンチストは普通に生きれば苦しみますが、ディズニーランドを作ってしまえば大成功してしまいます。理想と現実は違いますが、理想は常に現実をストレッチさせるものであり、捨てるものではないのです。人間の歴史は、理想で現実を引っ張ってきた歴史です。ですから、理想主義者はリードする、クリエイトする、パフォーマンスをして魅せるという領域で花が咲くかもしれない。東京はゲゼルシャフト(利益社会·合理的組織)ですが、沖縄はゲマインシャフト的(共同体)です。こういった違う環境を移動することで鬱になることもあれば、救われることもあるでしょう。エリアによって、社会構成や文化が違うことを読み解く·感じることも読解力でしょう。東京の時間感覚がスピーディーでキッチリとしており、沖縄の時間感覚が緩やかなのは、主に電車の影響(交通網)です。これも歴史の知識があればわかります。鉄道が張り巡らされていないエリアに、鉄道が張り巡らされていくことで人々の意識がどのように変わっていったかの歴史がわかれば、読み解けます。そもそも人が時間を分単位·1時間単位で気にするのは、「時間あたり活動量」に関係しているからであって、活動とは「人·物·金·情報」の動きのことです(原始人は、朝、昼、夜がわかれば良かったでしょう)。ですから、これらのベロシティや総量に変革を与えるイノベーションは時間感覚と関係しています。

人の行動なんて、

  1. WANT (やりたいこと)
  2. HAVE TO (やらなければならないこと)

のどちらかであり、HAVE TOは他人(外部)がもたらすものである場合がほとんどですから、「じゃあ、なんで東京にはそんな忙しいHAVE TOがあるのだろうね?他の地域との違いは何だろうね?」と考えれば、だんだん見えてくるものです。人口が一部に集積しすぎていて、回転速度を上げないと経済が回らないのです。時間の密度を上げていかないといけない。

こうやって、手元に「解釈によって発展させた情報や膨らんだ情報」が増えてきます。これが本当なのかどうか、妥当なのかどうかは、仮説の裏付けとなりそうな物を定量的に測ってみたり、あるいは他人に「どう思う?」と聞いて回ってみたり、関連書籍を当たってみたりすることで、見えてきます。グーグルで検索をかけるにしても、「普通とは違う角度での質問」をグーグルに投げかけることができます。クエンスチョンアンサーの質が変わってくるのです。

クエスチョンアンサーの質が変われば、他人や会社の本音や真実を暴く際にも、相手にバレずに実行することができます。角度を変えた質問を投げかけることで、相手に真意がバレずに情報が引き出せるのです。

例えば、会社に就職する際に、「会社というのはWANT(やりたいこと)よりHAVE TO(やらなけばいけないこと)を数多くさせられる場所である」と推定した場合に、会社に入社して降ってくるやらなければいけないことはどこから降ってくるのかと考えると、上司からであって上司の上にはさらに上司がいて・・・と辿っていくと、最後は社長、そして株主や債権者、外部の取引先に行き着きます。ですから、その企業が、どんな客に対して販売して、どこから何を仕入れていて、競合関係はどうなっていて、どっから金を借りていて、出資元はどこで、株主は誰で・・・・というのを読解していけば、社内の待遇とか強いられるHAVE TO、ワークスタイルは「だいたいお察し」なわけです。グーグルやマイクロソフトの福利厚生が良いのは、その業界·市場·テーマで王様になってしまってるからです。youtuberやインターネットマーケターはどうあがいてもグーグルに逆らえないですから。

政治家とかも、政治資金が無いと動けませんから、お坊ちゃん政治家なら実家のビジネスモデルだったり、政党の支持団体とか見ていけばだいたいわかりますよね。麻生太郎やトランプ、ベルルスコーニに失言·暴言が多いのは、家業が金持ちだからですよ。サラリーマン経営者や上場企業経営者が言葉を選ぶ丁寧なタイプなのは上下左右にがんじがらめだからで、非上場のオーナー創業者に態度がでかくて奔放なのが多いのは、市場から潤沢にキャッシュを得られるビジネスモデルを上手に構築してしまってるからです。人が抱えている周囲との関係を読解すれば、行動パターンや発言パターンも読めて来ます。

ホリエモンみたいな自由奔放で発言が尖ってる人間が、社会公共性·公器性の高い会社のトップに立ったり、政治とか、業界団体のしがらみが多いところに頭突っ込んだら、この国では叩き落とされます。孫正義ですら、NTTに嫌がらせを受けたりしてますからね。

とまぁ、私が思う「読解力」というのはこんな感じです。

歳を重ねるごとに、人に嘘をつかれたり、裏切られることも増えていきます。恋愛で傷ついたり、浮気されたり、就活で落ちたり、怪しい広告コピーに引っかかったり、変な本に踊らされたり、カルトに誘われたり、外国人に暴言吐かれたり、企業の言い分に騙されたり、繁華街のキャッチに騙されたり、情報洪水に飲み込まれたり····世の中を生きる上では大変なことが数多く存在します。

そして、人の本音がわからず、「満たされない」という状態になった時、人生の苦しさはピークに達します。社会の本音や会社の本音が読めないと、社会的不能(仕事がない、社会的地位がない、家がない、金が無い etc)になってしまいます。そうすると人は本当に危ない状態に置かれます。

世の中には、あんまり細かいことを気にしない人や、人が何を考えているかに興味が無い人達がいます。鈍感さで世の中を渡る力ですね。一昔前に「鈍感力」という本が話題になりましたし、小泉純一郎が発したことでも知られています。ただし、鈍感さは行き過ぎると周囲との温度差を招き、最終的には時代に取り残される場合も多いのです。鈍感な人間には大胆さと奇抜さがあり、時代に合致している時はその強烈性が受け入れられますし、うまいこと都合が良い存在ならば周りから持ち上げられたりしますが、一度環境が変わると、一気に手のひら返しされることもあります。人の気持ちや環境の読解ができないと、「稼ぐ(売る)」と「口説く」に苦労します。私は元来繊細ですし、お金と異性に興味を持って生きてきました。人の本音を知りたいとずっと思ってきたのです。

オードリー若林の書籍では、「お笑い芸人を目指す人は人間不信」ということが書かれていました。人がする反応のうち、最も嘘がつけない反応が笑いだから、だそうです。もしかすると、お笑い芸人にしろ、歌手にしろ、漫画家にしろ、人を虜にさせるものをアウトプットする仕事を目指す人はどこか、本気の人間交流を求めているのかもしれませんね。

私の満たされない思いが徐々に埋まるようになっていったのは、「コピーライティング」や「心理学」「社会心理学」「マーケティング」を通して人の心の基本原理を学んでからでした。私にとって、それらの知識は、救いとなりました。感覚で理解できていたこと、できていなかったこと、社会や他人について自分が持っていた仮説について、科学的知見·統計データ、臨床データをもとに照らし合わせることができたからです。そして、私はこれまでの人生を強く恥じたのです。どれだけ自分が自己中心的に生きていたのか、どれだけ他人が他人に興味がなく自分のことに最大の関心を持っているか、どれだけ私が世の中の綺麗事に踊らされていたか、常識やマナー·礼儀、ルールに囚われるあまりに「人間の現実」を受け止めようとして来なかったのか、異性の現実を知っていないかを思い知らされたのです。それまでの私は、自分にも他人にも、「have to」の色眼鏡を通した景色で接していた。私は、真面目すぎたのでした。

この私の真面目すぎる性格が災いして起こった人生のトラブルや悲劇。そして真面目すぎる性格が故にコツコツ努力してきたストーリー。真面目で繊細であるが故に感じてきたこと。そういったものを公にしてきたことで、「高学歴」「金融系」「公務員」「経理·会計職」「中高年」などの比較的真面目な層が多いと思われる人達が、私に共感してくれるシーンも増えてきました。「真面目に不真面目」を体現してきた私の人生に興味を持ってくれるようにもなりました。

私のことを人間モルモットだと思って、「私が痛い目に遭いながら得てきたこと」を貴方の中に何らかの使える形で以降の話を取り入れて頂けたら幸いです。もっと露骨なことを言うと、女を抱いたり、金を稼いだりという即物的なことに繋げて頂けると嬉しいです。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。