人間の幸せは人の役に立つことでしょう。また、人の最大のモチベーションは人の役に立つことです。そして、全ての職業は人の役に立っていると言うことができると思います。問題は、その役立ち方や影響範囲について、個人的な趣向があるということです。
もちろん、人の役に立ってさえいれば食えるのかというと話はそう簡単ではなくて、同質の供給が多いとそれは仕事として成り立ちにくいものになってしまいますね。
人の役に立てて、供給が不足していて、かつ、自分が無理なく続けられることって何なのだろうか。こういうことを常日頃から考えてみると良いかもしれません。
私が人生ではじめて働くというのを体験したのは15歳ぐらいのときでしたが、お客さんに感謝、激励の声をかけてもらえた時は本当に嬉しく思いました。仕事というのは、給料以上の対価、喜びがあるのだと学びました。仕事仲間の存在も大きいですよね。
ただ、現実は厳しい。そういった喜びだけを優先しても、なかなか生活が成り立たなかったりします。また、全ての仕事において、お客さんから感謝の声をもらいやすいわけでもないし、仕事上の人間関係に恵まれるわけでもないです。
人は誰だって、仕事に対してポジディブな認識をもって社会との接点を持つはずです。若い人たちにはそーゆー輝きがあります。
しかし、多くの人たちは、どこかで、いずれかのタイミングで現実によって揉まれ、どこか荒んでいってしまいます。
私が大人になって思うのは、現実世界は大変だけれど、幸せそうに暮らしている人もいるよってことです。幸せそうに成功している大人もたしかにいるのです。
大人というのは清濁併せ呑む必要はあるでしょうが、そこで荒んでしまったりダークサイドに落ちて仕舞えばある意味、負けです。ひねくれちゃいけません。綺麗事と言われようとも、偽善と言われようとも、理想論と言われようとも、なるべく素敵な大人であろうとする努力と戦略は必要だと思うわけです。
常にパーフェクトであるのは無理です。最初からパーフェクトは無理だし、いつまでたっても完璧、完全になることは不可能です。
しかし、本当に幸せになりたいのなら、幸せな仕事をしなければなりません。これは単に、職選びという狭い視野ではなくて、生き方の話。仕事を考えるとは、すなわち、自分が誰に対してどのように尽くすか、何をもって尽くすかということを考えることでしょう。
幸か不幸か、我々はどこまでいっても相互依存的な社会システムの中の歯車でしかありません。
私も常に考えています。現アップルCEOのティムクックは、キャリアの中で、お金や出世や成功を追い求める中、どうも幸福感を得られずに困っていたようです。そして、ジョブズに出会います。ジョブズに出会って、彼は、ようやく仕事の意味を悟ったようです。
人類に対する貢献こそ、働く意味、生きる意味であると。
人に対する貢献に、大小や、格上・格下はまず考える必要無いと思います。
目先の人、ひとりのレベルからです。いま、目先の人をどうやって救うことができるだろう。どうやって、この人にエネルギーを注入することができるだろう。この人の人生を彩ることができるだろう。
方法はいろいろあります。その表現手段として、業界や業態があるに過ぎません。
こういう話をすると、人はすぐに大きなことを考えます。でも、セールスができない人間がマーケティングができなかったりするように、目先の人間のことを考えられない人間が社会的インパクトを生み出すことができるわけがないと考えてきました。
目先の人間の『ありがとう』や『感動した』、『助かった』、『衝撃を受けた』『インパクトがあった』、『面白かった』という声をおろそかにしては何もできない。
すごい、こわい、偉いとか思われても何の意味も無い。そんなものは賞賛のツラを被った社交辞令でしかない。どうやったら、人に対して自分という制約条件下、深いインパクトや価値提供ができるのか。それを考えていけばいくほど、自分の社会的立ち位置についてアイデアが湧いてきます。人はそれを仕事と呼びます。
では、私の仕事の一つを、紹介してみましょう。
私が常々思ってきたのは、人の人生を根幹から支える土台は、キャリアであると。そして、特に日本社会においてはキャリアが硬直化しており、選択肢が限定されていると。可能性がないと。多様性や柔軟性がないと考えてきました。
高学歴じゃなければきつい、一度サラリーマンルートを外れると致命的、ニート経験者は不利、社交的じゃない人間は生きづらい、孤独は悪、、、、など、日本社会に蔓延るパラダイムに、多少なりとも『いやいや、そーでもないっしょ』というガヤと、具体的なマネタイズ方法の提言があれば、人に対する影響は大きいと考えてきました。
それがこのブログには詰まってます。
また、今後、多くの人が職にあぶれたりしていく中で、セーフティーネット、希望となる新しいキャリアを示すことについて、多少なり、参考になる情報は発しているつもりです。
世の中にはさまざまな問題、課題があります。
それらに目を向けると、自分が多少なり関わっていけるテーマ、自分が関わりたいと思えるテーマがあるはずです。もっとスケールダウンして、地域の問題とか、お友達同士で話題になってる問題レベルのお話でも良いでしょう。
そーゆーものに対して、自分なりのアプローチで切り込んでいく。そしてその経験の積み重ねが、自分自身の職能やキャリアを育てる。
人の役に立つとか、社会貢献とか、そーゆー言葉は、私のような人間にはまだまだこしょばいものです。くすぐったいような気持ちになるものです。しかし、若いうちに、銭を握りしめて性欲なり物欲なりを徹底的に満たし、とことん放浪し、あれこれしてるうちに職業観は変わるはずです。
どのみち、貢献するしか生きる道は無いと気付くようになります。
学校生活や社会人生活、親の指図の厄介な点は、良かれとも思って体験を奪ってしまうことです。痛手を負うのも、怪我するのも、良い経験です。
失敗や挫折が心を進化させます。人間、精神を病んだら大変なことからもわかるように、自分の精神的な成熟に見合わないことをやっても、限界が来るだけです。そして、奉仕活動や仕事というものは、本来、成熟度の高い営みだと思います。
若いうちに女のおっぱいやお尻を触りまくったり、人に言えないようなことをやっておかないと、あとあとやらかします。若いうちにパチンコに溺れたり酒に溺れたりしておかないとあとあとやらかします。
若いうちにあまりにもクリーンな人を見ると、ほんとかよ、って思ってしまいます。
私は毎日、女体のことばかり考えてましたよ。まぁ、今も大して変わらないけど、衰退なのか成熟なのかわかりませんが、最近は25歳以上の女性と接すると性欲の逆転現象を感じてます。昔、男性の性欲は20代前半でピークアウトし女性の性欲は30代後半に向けて緩やかに上昇するという話をどっかで聞いて本当かよと思ってましたが、どうやらその通りのようです。
スティーブ・ジョブズが、偉大だったのは、若いうちに薬物に溺れ、ヒッピーをし、インド放浪をしたり、女を妊娠させて知らんぷりしたり、お風呂に入らず会社で悪臭振りまいたりとめちゃめちゃやった経験があり、しかも23歳、24歳ぐらいでとてつもない大金を得た経験があったからでしょう。
フツーの人間は、若いうちから学校の先生や、親、先輩が教えることに黙って従い、失敗や放浪を恐れ、無難な手ばかりを打ち、お金を使う経験も足りず、性欲も爆発させず、早々に結婚して、我慢の日常を送ります。
私の人生哲学は、10代は刹那的に生きろ、20代は失敗しろ、30代は勝ちにこだわれるようになれ、といったようなスタンスで、多くの人にとって区切りの歳である30歳までには大幅な遊びを許容するスタンスがあります。
これは、心を偽って何かをやろうとしても限界が来るのがわかるからですね。精神的な成熟が伴ってないまま、それなりのことなんてできやしないと思うんです。で、世の中不平等なことに、親が金持ちじゃない人って、初期の段階から経験値足りなさすぎてあらゆることに飢えてるし、見識が狭いんですよね。
大人になってわかりましたが、いいとこで育った人たちって若い頃から経験がたくさんあって、早々にして社会貢献とか意識できるようになってたりして立派な人多いです。ほんと。
普通はそんなん無理なので、若いうちにあそんでおきましょうや、と。
風俗行きまくってきたのでよくわかるんですが、待合室にひとまわり、ふたまわり離れてそうな先輩諸氏がたくさんいる中で、一人ずば抜けて若い私が順番を待つなんて経験、若い頃からして来ました。そして、薬指が光る真面目そうな人たちが順番を待っている光景を見て、思うわけです。男がキャバ遊び、風俗遊び、女遊びにどこかのタイミングで溺れないまま、歳を取るなんて至難の業、、、、と。
男にも『売れどき』はもちろんあって、売れどきに風俗ばかり行ってるやつは負け組扱いされる傾向が男社会にはあります。でも、多くの所帯持ちの男性が嫁とレスになったはけ口を求めて20代前半の学費稼ぎに来た女の子とイチャコラしてるのも知ってます。そーゆー人多いです。
私の友人の大半はそういうおじさんになること間違いなし。
世の中には貞操観という言葉があります。何か、そこらへんのテーマには、『我慢』の響きがありますが、不倫や浮気に関する潜在的な欲望は凄まじいマーケットで、そこに目をつけたアシュレイマディソンの創業者はお金持ちになっちゃったぐらいです。おそらく、多くの男女はフリーセックスへの潜在的願望があるのでしょうか。
本当にキレイなハートの持ち主は、そもそも、乱れた性生活のようなものに一切の興味を持ちません。なので、荒れた性生活の人を見ても、嫉妬の念は持ちません。どーでもいい、ふーんぐらいの勢い。
自分自身、心のどこかで、ゲスい願望があると感じるなら、若いうちに膿出ししておくのは良いかもしれません。世の多くの若者たちはそれをわかってて、サタデーナイトにクラブでフィーバーしてるんでしょうか。
世の中のゲスい性事情を見聞きして、胸がザワザワしたり、過剰に憤ったりするのは、もしかしたら自分も興味がある証かもしれません。私は昔、ヤリチンを見て、過剰にひいてた部分がありましたけど、今思えば、自分が必死に制止している欲望を爆発させている人を見て、胸がザワザワしていたのだろうと思うことがあります。ベッキー炎上の心理もコレに似てそうです。
他人に程よく無関心でいて、かつ、包容力と許容力を持てるためには自分自身、ある程度やりたい放題でやっておいた方がいいのかなと思うことがあります。たまに、女性に包容力を褒められることがあるのですが、その度に、『遊んで来たからです』というセリフが喉元まで出てきます。目の前で、ヤリチン発情男をdisり、私という余裕綽々男をべた褒めして、酔った勢いで近づいてくる目の前の女性に対して、心の中で『あなたが見てきたヤリチンよりその上をいくヤリチンゆえにこの余裕綽々ぶりかもしれないわよ』なんてつぶやいたことは数知れず。まぁ、数より質タイプなのでそんなにヤリチンでもないんですけど。いかにグローバルに交わるかとか、そーゆー体験の質を重んじてるんですけど。はい、どーでもいいですね。
なんの話だっけ。
そうそう、若いうちに遊びましょう、という話でした。
何が言いたいのかわかんなくなっちゃった。えっと、要するに、やることやってこないと、崇高なことってできなくない?ってお話でした。
まぁ、1発ぐらい、小さな当たりを出してないと遊びに捻出する資金も時間も出せないのはあるでしょうけどね。ま、幸い、今の時代は20代のうちに小さな当たりを打てる方法なんていくらでもあるでしょう。
若いうちなんて粗削り、めちゃくちゃで当然。
年配者や玄人が、若者や素人を嫌うのは、稚拙さを見出すからです。あるいは、目の前の若者を前にして自分を客観視、相対化し、自分にも重なる粗を見出してしまうから。もっと言えば、過去の自分をある種のデジャヴの具現として見せつけられたり、自分が過去、辛酸を舐めながら決別したものの再現を前にするからです。
だからこそ、できた若者を見ると、本心で感心し、褒めてしまうのが大人の心理です。しかし、それはある意味で、大人らしきものに迎合するインセンティブを与えてしまいます。果たしてそれがその人のためになるのかは疑問です。大人に絶賛されるいい子は、我慢してる人多いと思うけど。
綺麗にまっすぐクリーンに育つ人間なんているんでしょうか。
あまりにもいい子すぎる人を見ると、『大丈夫?ちゃんとやらかしてる?我慢しすぎてない?』と声をかけるようにしています。
ジャニーズ事務所のジャニー社長が、珍しくラジオに出演した時、『今の若者は昔よりいい子だ。マッチなんてひどかったんだから。』みたいなことを言ってました。ジャニーさん、力説してましたね。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。