世の中、いろんな先生がいますよね。それは職業先生という意味ではなくて、自分の経験から何かを語る人たちがたくさんいるわけです。先輩なのか上司なのか友達なのかはわかりません。しかし、みーんな、何かしらの持論、一家言を持って何かを語るわけです。
私は昔、99パーセントの大人の言い分は聞く必要が無いと思ってました。負けてる人たち、うまくいってない人たちの話なんて聞いてもしゃーないし、いろんな人の意見を聞いてミックスさせれば、結局意味のない結論に辿り着きます。
絵の具は全色混ぜると黒になります。そして、それ以降、何を混ぜても色が変化しなくなります。
まさにそれ。
人の意見の最大公約数なんかとっていたら、結局、常識的な何かにたどり着くわけで、まったくもってエッジが立ちません。そして、戻れなくなります。
だから、情報源は固定しないといけない、絞らないといけない、選ばないといけない。私はそうやって考え、話を聞く人間を厳選してきました。ゆえに、あまり社会一般のこととか常識は知りません。
よく、意識高い系の人が、将来起業するためにいろんな世界を知っておいた方が良いという理由から、人材関連の職業とかコンサルティングに従事することがあります。
私的にあんなものは最悪だと思ってるわけです。知見広がっても結局、同業界でしかできませんよ。そんな、外から何かを観察してる程度で深いレベルのことなんてわかるわけない。ましてやサラリーマンなら尚更です。
メッシのドリブル観てたらドリブルうまくなるって言ってるのに等しいです。
偏れ、尖れ、選べ。絶対に特化した方が良いです。まず間違いない、これは。偏って、尖って、選んで、そこで成果と実績出して余裕生まれない限りは次のステージなんか見えません。もちろん、ダメな時は潔く撤退することも大事ですが、何かから引く時に土産となる成果、獲得スキルがなければ、どれだけ言い訳しようと『こいつは負けた、逃げた』と思われるのがオチです。
言ってみれば、そーゆー厳しい時期があるからこそ、勝負所はじっくり考えて選ぶべきなのです。やる気が無けりゃ遊んでおけばいいんです。ジョブズが、好きなこと見つかるまでウェイターしてろって言ってたのには理由があります。私も、ニートとかプラプラするのは肯定派ですが、同じ理由ですね。
何事もやる時は厳しいし、どのみち面倒くさいからこそ、覚悟決まるまではプラプラしときゃいいんです。
プラプラして、挙げ句の果てに逃げ道を失って、追い詰められると結局、どのみち覚悟を持って何かしないといけなくなります。どのみち遅かれ早かれそうなるのです。
やることは一緒なのだから、だったら自分にとって納得いくものを選べばいい。そーゆー論理です。
勝負どき、勝負場所では、退路を断つぐらいの勢いで愚直に突っ込まないといけない、やりきらないといけない場面が必ず要求されるからです。何かに優れるということは、何かの可能性を捨てるということです。もちろん、永遠に可能性が閉じるわけではなく、成果をあげればその先で可能性に広がりが出てきます。だから、先鋭化することで可能性が閉じる心配などしなくていいのです。
どんな世界でも、ナンバーワンは死にません。安定します。そのフィールドが沈没しても、どっかで買い手がいますって。拾ってくれる人がいるのです。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。