天才になる方法。
面倒臭い話はどうでもイイから、早く俺に結果をくれ、という人、必見の話をする。
- 市場を確認する
- パクリをしない・金に目を眩ませないことを誓う
- 集客をかける
- 見込み客とのリレーションシップを行う
- 面白い・価値があるセールスを行う
このプロセスで、テストを行い続けることだ。
【お金】
経済的に成功する人と、そうではない人間の間にあるものは何か。
これについては色々言われているが、
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10代の頃のセールスの経験
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というのは、かなり大きいらしい。
ユダヤ人大富豪の教えという有名な自己啓発本があるが、あの本に出てくるお金持ちの老人も、「飛び込み営業の経験」が金持ちの秘訣と語っている。
つまり、セールス。
最近、世間を騒がせている「紀州のドンファン」に関しても、実は財を築くきっかけはコンドームの訪問販売・営業であった。生涯を通して、女に億単位でお金をつぎ込んで来た人の成功の秘密は、「セールス」である。
ロバートキヨサキもセールスイコール収入だと言う。
売るのがうまい人は稼ぐのがうまい。
考えてみれば当たり前である。
お金を稼ぐ=売る、である。
私が見る限り、経済的に成功している人間は、若いうちにペコペコして頭下げて、おじさんに怒鳴られながら、人をなだめたり何かを売った経験がある人間が多い。
(私なんて、若い時に酔っ払っている人間にビンで頭を殴られた事がある。)
ということで、僭越ながら、10代のうちに接客、販売、歩合制の営業、電話営業、クレーム処理などを一通り経験してしまい、20代に突入してからは広告やマーケティング領域をいじりまくって来た私が、
「非常にわかりやすく営業とは何か」
の核心をご説明する。
人によっては、「全くもって営業を体験しないキャリア」を歩んで来ているだろう。
だからこそ、今から話すものは価値があると思う。
といっても、巷の営業本に書いてあるような
- 靴を磨け
- いいスーツを着ろ
- 雑談力を磨け
的なものではなくて、もっと本質的かつ決定的なことを教える。
正直これは、無料で垂れ流す情報では無いので、よーくペロペロして頂きたい。
実は、私にとって、
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「営業とは何か?」
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の根本を学んだのは、飲食における接客の初歩で学んだところによるものが大きい。
もちろん、後の人生で、「営業マンらしい営業マン」をさせられて学んだこともあったが、そんなことよりも、「もっとエッセンシャルで成果に繋がること」は、接客の現場で学んだ。営業の本質というよりもコミュニケーションの本質に近い。
だいたい、どこいっても「歩合制」が絡むと人一倍成果が高かったので、私の話は参考になると思う。
何より、「最強の営業」である自営業で成功しているのだから、聞くに値することは話せると思う。
私が、人生で一番はじめて、飲食の現場で働いた時。
酔ったお客さん(大人数)に、
「お前のパンツ黄色だろ〜あはははは〜」
と言われた事がある。
そして、笑われた事がある。
私は、その時に混乱してしまった。
「何を言っているのだこいつらは?」
「そもそも初対面の人間にそのようなことを言うのは失礼では無いか?」
「何を根拠に黄色のパンツと言っている?そもそも黄色のパンツなど履いていない」
「もはや何を言っているのかわからない」
「こいつは人として間違っている」
「恥ずかしいしイラつく・・・」
・・・・・・とにかくパニックになった。
後に、先輩に呼び出され、叱られた。
「お前、そこは『なんで僕のパンツの色わかったんですか!!』だろ!!!!」
とご指導賜った。
要するに、「ノリが悪い」と叱られたのである。
パニック状態になっている私に、続けて、こう諭してくれた。
「お前は、俺たちの仕事を、お客さんからオーダー取ったり何かを運ぶ仕事だと思っているかもしれないが、違う。俺たちは、『お客さんに楽しい時間を過ごしてもらうため』にここにいるんだよ」
と。
私は納得した。
なるほど、天才だな、と思った。
(私はこのように、教えてくれる人に恵まれる人生を送って来た。)
それから、数週間も経たない内に、
酔っ払ったらお客さんに「野球の捕手の動作」と共に「ちょっと、ピッチャー持ってきて!」
と言われたら、
「いやいやそれ、キャッチャーです」
と高速でツッコミ返す自分がいた。
(これは飲食あるあるである)
すると、相手から、
「お前、面白いな」
と言うことで顔と名前を覚えられるのである。これが加速すると、自分自身が集客力を持つようになる。おまけに、仕事もできて他人のカバーリングもできると会社内での立ち位置は急上昇して発言権も増していくことになる。
要するに、「ノリ」だ。
この「ノリの良さ」に応用を利かせれば、多方面で人脈が広がっていく。人とうまくコミュニケーションできれば、仕事が全部好転するのは言うまでも無いと思う。
柔道のようなものである。
相手がグワーッと来たら、その勢いを利用してドーンと技を決めないといけない。
商人の街と言われてきた大阪なんかでは、
こういう話は「何を今更」という感じかもしれないが、
案外、関東なんかだと未だに、こういう精神が理解されていない気がする。
私から言わせれば、営業とはノリである。
コミュニケーションとは、ノリである。
野球は投げるのも大事だけれど、キャッチも大事である。
サッカーも蹴るのも大事だけれど、止めるのも大事である。
うまく相手に「乗る」ができないと、なかなかうまいことやれない。
客単価を上げる行為も、結局、お客さんをよく見て聞いて、関連商品をススメていくことにすぎない。
セールスの上手なアパレル店員なんかは、「これもどうですか?」「こちらもいかがですか?」がウマイ。
スタバの店員さんも、セールス強者は、「めちゃめちゃさりげなく気の利いたことを言って洒落た豆のコーヒー」を売りつけてくるのがウマイ。うますぎる。
もちろん、それなりにお堅い営業もあるだろう。ただ、私が言っているのは「ノリ=悪ふざけ」ということでは無い。お客さん側のスタンスに、そのまま便乗してしまえ、ということである。
お客さんに乗るのである。
営業というと、ゴリ押しのイメージが強いが、実際のところ、売れる営業は相手に乗っていると思う。そもそも、ゴリ押し自体も相手の意向に沿ってるとか、相手のスタンスの上に乗っかるものであれば多少強引でもむしろ喜ばれることはあると思う。
- 人の話を聞く
- 人の話に対して適切なネタを返す
- 人を観察する
- 人の意向に合わせる
こういうことができれば、売れないということはなかなか無い。
そもそも、相手が欲しがっているものを売るのが商売である。
相手が欲しいものを推測した上で、企画提案営業するのが商売である。
ノリが良い方が、やはり、ウケは良い。
「こいつ良いとこ突いてくるな〜〜」というのが売れる。
もちろん、徹頭徹尾、平身低頭のススメ、という話をしているわけでは無い。
相手の話を聞いた上で、「じゃあ、これどう?」と振る精神である。
彼女に作ってもらった料理に、自分が嫌いな材料が入っていたとする。
「俺はこれが嫌いって言ったじゃないか!!!」
と、相手の記憶力の悪さを攻めるか、
それとも、
とりあえず口に入れて、吐いて苦しむ様子を見せつける
というノリの良さを発揮するのか、どちらが円満に収まりそうか。どちらがメッセージ性が強そうか。私は後者だと思う。私は、後者を選択する。これがノリの良いやり方である。楽しいのもこっちである。
薄々お気づきかもしれないが、私はコミュニケーションでかなり疲れるタイプである。
頑張りすぎる。考えすぎる。
だから人と会いたく無い。笑
売れる・売れないというのは、神経を集中させて、些細な気づきやヒラメキで勝負していく営みの巧拙の世界でしか無いと思う。
ほんの些細なことである。
だからこそ、疲れるのである。
頭を使うというより、気を使うのである。
そして、さらに高度な話をしたいと思う。
もし、自分自身が「商売」そのものを組み立てる場合、その商売における集客の段階から全てを組み上げていくことになる。
言い方を変えれば、
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どんな属性の客が集まってくるのか?
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ということも、自分自身でコントロールできるのである。
お客さんのデータ、属性なども情報収集することができ、リレーションシップを密に行うことができれば、
- あれも売れる
- これも売れる
- こういうのも売れる
という風に、アイデアは広がる。
私が言う、「お金儲けは簡単である」の意味が、徐々に伝わって来ただろうか。
【時間】
器が成否を左右する。一理あると思う。
私の感覚から言わせると、お金を稼ぐこと自体は簡単。
あなたにもまず間違い無くできるだろう。
しかし、そこに到達するまでの過程で、心理的に耐えられず挫折する人は多いと思う。私は、過去、どの職場でも耐えられずに辞めていく人たちも大量に見てきている。病む人、荒れる人もそうだ。
サッカーの世界を例に例えよう。
若い頃に天才ともてはやされたが、プロになって伸び悩んだ人は腐るほどいる。逆に、若い頃パッとしなかったが、長友のように化ける人だっている。
何が違うのか?
「精神」以外にない。
少し例を挙げようと思う。
私は、どんな仕事をスタートしても、最初の1ヶ月はとことんダメっぷりを露呈するタイプである。一番叱られ、一番注意され、一番恥をかく。その際に、「ヘラヘラペコペコ」するキャラで通す。
「ダメだなぁ」、と思われるが、2ヶ月目から急速に伸びる。群を抜いて頭角を表す。そのあとはぶっちぎりである。このパターンが多かった。面接の類も落ちた事が無い。
お気づきだと思うが、わざと初期段階で、失敗を重ねておくのである。すると、仕事の輪郭が掴める。「仕事ができなくて当たり前」「無知で当たり前」のうちに、素直に謙虚に学んでおく。たくさん失敗しておく。仕事ができるようになってから、初歩的なミス、致命的なミスを重ねる方が辛い。
ところが、一定の年齢以上になると、新しい仕事を始めた時に、
- ミスをして叱られると「あぁ、それわかってましたよ」的な態度でごまかす
- 叱られないようにうやむやに言い訳をする
- 注意される、叱られるとあからさまに不機嫌になる、嫌そうにする
- とにかく自己否定されないように、が最優先に来る
という人が少なく無い。言うまでもないが、扱いづらい、注意しにくい、叱りにくい・・・・・と思われるようになると、その先は辛い。
というか、得るものが無くなってしまう。
長い時間で物事を捉えると、経験値の価値が見えてくる。
目先のことを考えるのではなく、長期的な展望が見えると、「損して得を取る」ということができる。
私の知人は、人間には器があり、「成功する人間は決まってる」と言う。成功できない資質の人間は、どれだけ努力しても無駄だと言う。
私は、才能至上論を否定するが、「メンタル・マインドセット」という点で捉えるのであれば、向き不向きの資質があることは事実だと思う。
どうせこんな話をしても、聞き入れられないだろうけれど。
雇われて働くのだったら、給料以上のものを得た方が得なのは間違いない。正社員を安定的に雇えるような職場なら、絶対に得るものはあるはずである。
サッカー選手で、誰かから叱られた際に、「本当に上手くなりたい」と思っている人と、サッカーが「自己顕示欲の手段」となっている人では、反応の仕方が違うはずである。
本当にずば抜けた心技体があれば、何事もそのままサクッと成功する。
でも、普通はそうじゃ無い。少なくとも、私はそうじゃなかった。世間的に天才と呼ばれている人たちですら、そうじゃ無いことは多い。
つまづくことが自分のプライドを傷つけるから、嫌になるけれど、それを「学習」と捉えたら悪いものでは無いと思う。
生きることは辛い。
なぜかというと、「褒められることの連続では無く、叱られることの連続」であるのが普通だからだ。上司がいないキャリアを歩むのなら、「成果が出まくることの連続では無く、成果が出ないことの連続」である。うまくいかない事が多い。
そもそも、人生はそんなものだと思う。
本来的に仕事やキャリアというのは辛い。
人生は辛い。
自己否定の連続が本当に多い。
でも、そんなことなんていちいち気に留めない方が良いと思う。
失敗を織り込み済みで考えた方が楽だし、事実、現実的である。
私は、
- 初チューで相手の唇に歯を当てる
- 初エッチで勃たずに恥かいて呆れられて終わる
などと、散々な経験をしたが、それが漏れなく「次」に繋がった。
自己啓発本は、完全に読者を甘やかすドラッグであるから、真実を言わないのだけれど、いろいろ試して、いろいろ修正するのが一番良い。
その修正で、自己否定された、なんて思わない方が良い。
「自分流」を貫き通して良いのは、発明や創造、芸能の最前線においてだと思う。そうでなければ、ほとんどの仕事はどちらかというと自分を認めてもらうような営みでは無い気がする。
改善や修正は続くと思う。
自分のことを「天才」「有能」「優秀」と思っていて、実際そうならイイけれど、そうじゃ無いのなら、プロセスで現実がついてこない。すると、イライラや苦難がたくさんある。それをどう乗り越えるか、というのはまさに器の問題。
不幸や苦難があった時に、試練と思ったり「ラッキー、ネタになる」と思っていたり、「学べることがあるな」と思っていたりした方が生きやすいし、実際、得である。
私は真実が知りたいから、失敗を許容する。
どーせもともと、大した器じゃ無いから、何かあっても気にしてない。
結果が欲しいから、たくさん傷つくことにしてる。
仕事も、色恋沙汰もそう。
「ビジネス本読んでる俺、粋でカッコイイ」「セミナー行ってる俺、意識高い」「起業準備中って言うと皆にすごいって言われる」「野心や熱意があることで周りに凄いって思わせることができる」・・・・・・・・こういうので満足できてる段階なら言いけれど、リアルな成果を求める人間は意欲的に失敗を摂取すべき。
上手にちまちま失敗しておけば勝手にうまくなると思う。
哲学の本で心をごまかすとか「もうイイ」から、失敗し続けることにすると決めたんだ。
Anyone can become a virtual marketing genius equivalent by doing one simple thing : testing. ーJay abraham
(誰でも、テストをすれば事実上のマーケティングの天才になれる ージェイエイブラハム)
【遊び】
面白いことが無い。
生きていてつまらない。
やることが無い。
昔は、私もそういうことを思っていた。しかし、それが変わった。どうやって変わったのかというと、「他人に乗った」。
他人は、自分が知らない経験をたくさんしている。
面白いことも知っているし、面白い遊びも知っている。
見ず知らずの他人と知り合い、仲良くなり、面白い情報が入ってくるプロセスはすごく楽しい。
私が今興味を持っていること、面白いと思っていること、好きになっていることはほとんどが自分で見つけたものでは無い。
他人にゴリ押しされたものである。
例えば、私が愛しているものの代表はツーリングだ。
バイクは、めちゃくちゃ楽しい。
しかも、大人になって世界が広がったことで知ったのだが、世の中にはバイクを愛好する女子がいる。女性ライダーも結構いるのだ。だから、一緒に走ったりするとむちゃくちゃ楽しい。
インターネットを使えば、そういう女子とは簡単に知り合える。
そんな私の、バイクが好きになったきっかけを話そう。
あれは、クリスマスシーズン前であった。
15歳頃の話である。
外は、少し肌寒いぐらいであった。
一緒に、外で話をしていた先輩に、「家まで送るよ!」と言われた。
22時くらいだっただろうか。
でも、私は躊躇した。
常日頃から、親に「危ないから絶対に、バイクだけは乗るな!!」と言われていたのである。
また、私自身も、バイクに怪訝なイメージを持っていた。
危ない、怖い、悪い人が乗る。
「いけない世界への入り口」と思っていた。
しかし、その日は疲れていた。
送ってもらえるならラッキーと思った。
だから、恐る恐る乗ってしまった。
その先輩に対する信頼があったのもある。
・・・・・・・衝撃だった。
目の前の景色が、高速で目の前を駆け抜けていく。
クリスマスシーズンであったから、余計に幻想的だった。
夜のとばりの中に浮かぶ暖色の淡い光。
いちゃつくカップル、クリスマスツリー、イルミネーション、・・・・
美しい景色が、これまでに見たことが無いスピードで、
体のそばを駆け抜けて行く。
上下左右360°を、夜景が、高速で駆け抜けていく3D映像。
体にかかる重力、圧力、風圧。
肌で感じる風。
情緒的なサウンド。
こんな体験は、今まで、どこにもなかった。
一瞬にしてヤラれた。
学校での悩み。
家での悩み。
全てが吹き飛んだ。
おそらく、年頃の女子が、ディズニーランドに感じる「トキメキの気持ち」は、これに匹敵する。
実は、千葉近郊に住んでいない全国各地の女性には、
- お兄ちゃん
- 元彼
- パパ
のせいで、意図せず私と同じような体験をし、
バイクの虜になってしまった女子ライダーが少なくない。
バイクがディズニーの代替品になっている。
とにかく、私もやられた。
惚れた。
親の教えが全部、一瞬にして吹き飛んだ。
車とは比にならないぐらい景色を楽しめる乗り物である。
最も、自然や街や建物といった外界を楽しめる乗り物である。
乗らない人間には「危なくて男臭い」と思われているが実際は違う。
実際は、実にロマンチックな乗り物だ。
ジェットコースターにディズニーランドをプラスした3D映像だと思ってくれたら良い。
目をキラキラさせて、街の景色を楽しんだ。
正直、年上の先輩に良いところに
デートを連れて行ってもらった乙女の気分である。
年上の悪い先輩に、強引に連れ回されて、
ドキドキして、
その日の夜に処女を食われる気分である。
あんな気持ちは、これまでに感じたことは無かった。
官能的で、刺激的で、気持ちいい。
胸がドキドキした。
以降、完全に虜になった。
洗脳されてしまった。
車の免許を取っても、やっぱり、バイクには敵わないのである。
自分でスロットルを回せるようになってからは、気分に任せて自分を好きなところに連れていってくれる自由の羽を手に入れたような気がした。
バイクとは自由である。
車と違って、小回りも効くし、どこにでも止まることができるからね。
10代のザワザワした胸を、
常に癒してくれたのはバイクだった。
ほら、尾崎豊も歌っている。
盗んだバイクで走りだす
行く先もわからぬまま解らぬまま
暗い夜の帳の中へ
誰にも縛られたくないと
逃げ込んだこの夜に
自由になれた気がした 15の夜
さすがにバイクは盗まなかったが、
まさに「この歌詞の通りの心情」だった。
(ああ、ダメだ、懐かしい・・・・歳を取ってしまった・・・・・)
バイクの魅力に虜になる男は、古今東西、常に一定数いる。
男が女体を見て目をうっとりさせる時の顔と、
バイクを見て目をうっとりさせる時の顔は、似ている。
目がとろけて、鼻の下が伸びている。
なんやかんや言って、好きな人は多い。
(野球観戦、サッカー観戦、バイク、旅、酒、女は酔えるからオススメだ。)
私なんかは、エンジン音を聞くとオーガズムに達しそうになる。
女の喘ぎ声と、バイクの音はたまらない。
バイクは男を酔わせる魔力があるのだ。
あの島田紳助も、バイク欲しさに働いたということを語っていて、
「どれだけ金持ちになっても、10代の時にバイクのために
必死になって働いて、ようやく買えた時の嬉しさに勝るものは無かった」
と言っていた。すごく、言いたいことがわかる。
ロマンである。
夢である。
以前、神戸のポートタワーで、一人夜景を観ていた時。
(私は一人旅と一人夜景観察が異常に好きである)
パッと傍に目をやると、停車した「隼(大型バイクの名前)」の側で、缶コーヒー片手にタバコを吹かしているイカしたシニアを見つけた。
見た目にして、5〜60代である。
頭はすっかり白髪であるが、やや長めの白髪をオールバック風にしており、流線的なその髪の曲線は、なんか、イケてた。
細身であるが、全体的にスタイルが良く、非常に清潔感のあるダンディなシニアであった。
要するにカッコよかった。
舘ひろしに小泉純一郎を足して2で割ったような感じである。
思わず、話しかけてしまった。
話を聞くと、ただ夜景見たさに、京都から走ってきたというのである。
その時は時間にして21時頃であった。
物静かで、あまり口数の多くない静かな方だった。
しかし、明らかに、バイクと夜景に魅せられた目をしていた。
思わず、
「いい遊び方、知ってますね」
と、心の中で呟いた。
===
"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。