学歴がある人と無い人にはどんな違いがあるのでしょうか。
ある人事系の人物は、
入学大学と、年齢しか信用できない
なんてことを言っていたりします。
高学歴が持っているもの:スケジューリング力
私は、女性を見ていて思うのですが、
時間通りに約束の場所に来るかどうか
は完璧に学歴と相関します。
大卒はちゃんと決められた場所に決められた時間に来ます。
高卒・専門卒はそれができません。
「好かれてる・好かれてない」
など余計な因子も絡んでいると思いますが、まず、人と約束した日時のようなものをしっかり守れるかどうか。
これは学歴と関係します。
どうしてでしょうか?
実は、関関同立GMARCH以上の学歴というのは、遅くても高校1年生から準備しないと間に合わない・受からないと言われています。
つまり、「目標から逆算して、前もって動く力」みたいなものは、確実に高学歴の方が持っているわけです。
親に言われて受験勉強に励んだとしても、勉強自体は自分でスケジューリングしないといけません。それをちゃんとやったかどうか、ですね。
実は、大学に入った後、
- 高卒
- 専門卒
と区別がつくのもこれで、
「大学」
というのは自由の中にありながら、自分でレポートや課題の期日を意識してスケジューリングするような能力が求められます。
しかし、専門学校はそのような概念はありません。
専門学校・高校は、「遅刻」「欠席」のような概念があるだけで、兵隊を軍隊チックに管理するような場所です。
一方、大学は自由です。
何も言われません。
何も言われない・指示待ちじゃないからこそ、その中で自分でスケジューリングする力が求められます。
これがホワイトカラーに求められる力なのです。
モチベーション管理能力
世間的な高学歴は、少なくとも「3年」以上は受験対策をしています。
ホリエモンみたいに
「半年勉強するだけで受かったよ」
みたいな人は、もともと中学受験の貯金があるようなタイプです。
勉強をスケジューリングし、コツコツ続けていく。
これには、自発的なモチベーション管理力が問われます。
低学歴と高学歴、どっちにモチベーションがあるか。
高学歴です。
間違いなくそうです。
専門学校に行くタイプの言い訳として、
学校の勉強は興味を持てないが、好きなことには興味を持てるから専門学校に行きたい
などふわふわしたことを言って18歳時点の進路選択しますが、これはある意味、「幼稚な発想」であり、すでにトップレベルエリートと差がついています。
これは、何か言っているようで何も言ってません。
なぜなら、誰だってそうだからです。
そして、そういう発言をするなら、18歳までに何かしらの成果を出しておくべき。にもかかわらず、18歳時点でそう発言しながら
「今から何かを学ぶ」
というスタンスの人には大した才能はないのです。
そしてその選択肢としての専門学校ですが、2年で何を身につけ、何になれるというのでしょう?
20歳の頃にはよくわかっていなかった「大学と専門学校の違い」を教えます
結局、こういう人たちは、その道を進めても、その先で待っている
好きなことをするためにクリアしないといけない嫌なこと
にちゃんと向き合えません。結局、またどこかでつまづくのです。
少なくとも、世間的に専門学校勢はそう見られています。
専門学校勢は、卒業した学校と、その先のキャリアに一貫性がない人が多いです。
専門学校がこの手の「アタヨワ」をカモにしているのも悪いのですが。
予習・復習能力
学歴がある人は、
- 予習
- 復習
をちゃんとしてきたから、高学歴なわけです。
その意味で、予習復習能力は高いです。
彼らは、就活の時も、ちゃんと予習します。OB訪問をしたり、先輩の企業突破の足跡を調べます。こうやって、先人をフォロー・キャッチアップするスタンスは、社会に入っても評価されます。
一方で、低学歴に限って、
- 我流
- オリジナル
- 自己流
にこだわって、破滅します。
自分を唯一無二だと信じ込みすぎて、おかしな方向に行きます。
高学歴であればあるほど、
「世界は広くて高く、大体のことは先人がクリアしてしまってる」
ということを知るのです。
一方で、知的貧困層は世界の広さ・高さを知りません。
だから、オリジナルというか、我流を発揮する余地があると思い込む。そして自分が稀有な存在、替えの効かない存在だと思い込みたがるのです。
実家が太いかどうか
そして、これが重要な論点なのですが、実家が太いかどうかです。
これは学歴に影響します。
実家が太いということはどういうことかというと、親もまたエリート路線だということです。そして、教育の大切さを理解して、子供に投資をしてきたということなのです。
親子がそういう路線であれば、やはり、「カエルの子はカエル」なので、きちんとした活躍が期待できるだろう、と思うのは道理でしょう。
社会は、物事を懐疑心だらけで見ます。
人は、遺伝子、家計、そして18歳までの環境・性癖などで決まるというスタンスです。
後から装備するものは全て、いくらでも取り繕えるという考えです。
いわば、血統書が欲しいのです。
企業経営においては、一人のスーパーマンが活躍することを期待するより、「一人のやばい人間を入れて破綻すること」の方が確率が高く、それを未然に防ぐことが求められるのです。
どう考えても、東大卒は事件を起こさない。そして、親も同じような系統だと安心できる。そういう心理が働きます。実際にそういうデータも取れてしまっているのでしょう。
高学歴を採用するのは、世間的に有名な大企業です。大企業はみんな知っています。スキャンダルが起これば大変です。また、採用した人材は、その中から、将来、外部の顔となる人が出てくるわけです。
一昔前、とある女子アナが、キー局に採用されたけれど、水商売をしていた経歴がバレて内定取り消しになり、揉めたことがありました。
日本テレビが、アナウンサーとして内定を出していた女子学生について、銀座でホステスのアルバイトをしていたことを理由に内定を取り消しました。
これも結局、その時代にあったいざこざが、後々スキャンダルになったりしたら困るという理由です。
いつまでも過去をほじくり返されるのです。
余計なことをせず、勉強漬けで生きてきたかどうか
要するに、余計なことをせず、事件・スキャンダルの種を持たず、勉強づけで生きてきたのかどうか。
そういう家計だったかどうか。
そういうところも、世間は学歴を通して測っています。
社会には、「構造」というものがあります。
高学歴家系じゃない場合、どうしても、お金に苦労します。お金に苦労するとどうなるか?人はやはり、道を逸れる危険性が高まります。
人がやらかすのは、
- 色
- 金
と決まっており、裁判官が語る通り、世間の事件の大半はコレがらみです。
そして、
貧乏な家庭であっても、才覚があれば、
- 芸能
- スポーツ
などで生きていけるわけですが、この路線の才能は10代の時にもう開花してしまいます。
だから、それを悟って、賢いタイプは、
- 看護学校に行こう
- 高卒就職しよう
と手堅い動きをしますが、アホっぽいタイプはコレが見られないわけです。そういう手堅さも無いわけですね。
社会が学歴を重んじていること、学歴が事実上の身分制になってることは中学校、遅くとも高校には気付きます。
そして、そのレールから外れていると悟ったら、その準備をするものです。
コレは企業社会における出世競争にも同じことが言えます。
自分が成功の道を外れてると悟ったら、その準備をして動く。
その動き方に、また、その人の「学歴で測れない能力」が表れるものです。
企業採用で、
- 職務経歴書
- 面接
などがあるのは、そういう部分を多少、感知しようというものです。
大学にも、AO入試的なものがあるでしょう。
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(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。