学生時代に法律を学んで感じた違和感

憲法は胡散くさい。

憲法9条機能してない。そこに反対では無いのだけれど、単純に理解として、どうひねくれた解釈しても、自衛隊を合憲化できる文面ではない。最高裁の判断としては、最高裁と政治の役割分担って発想で、こういう高度に政治的な問題は選挙でなんとかしろ、って事で最高裁はサジを投げるらしいけど、そのくせ一票の格差問題とかはどうにもならないし、技術的に可能な直接民主制は衆愚政治になりかねないという視点だったり、政府の憲法解釈で結構いろんなことが曲げられることとか知ってめちゃくちゃやんけ、と。

仮に、国家的な緊急事態が起こると、9.11の時のアメリカみたいに、どさくさに乗じて政府が超法規的な措置を発揮したりするに決まってる。

 

あと、これはおもしれーなって思ったんだけど、憲法が規定してる権力者って、実質的には官僚も入っててそれも本来、選挙で落とせるようなアレなはずだけれど、実際は違うという。

仮に、官僚がやらかした場合、政治不信みたいなのは与党に向けられて、失脚させられることがある。つまり、ある程度、官僚の都合の良いように回せる仕組みでもある。

これやべーな、って思ったね。

 

憲法の建前は権力者の足枷、三権分立は権力の暴走の歯止めなんだけど、これは机上の空論だと感じたし、法曹が政治家になる理由は、実際に実務家になって仕事していくうちにそういった空虚な構造に気づいて司法の脆さに気づき、立法、行政に食い込んでいったほうがいいって悟るからなんだろうなってね。特に崇高な理想を持って法曹になった人とかは。

まず原案がアメリカ発の時点で、あー、こりゃあアメリカが上にあるわ、と。アメリカ兵のレイプ事件とかほら、いろいろヒドイですから。治外法権ぶりの歴史っていうの?ちなみに、世界で最もアメリカ軍基地が置かれてるアメリカ国外の国はたぶんドイツだったと思うんだけど、まあ、ドイツと日本には二度とアメリカに歯向かわないように、ってやつね。ドイツの公教育ではめちゃめちゃ罪悪感と反省の教育されてる。

 

刑法に関しては、素人目には国家が復讐の代行してると思ってたんだけれどまったくそんなことはなくて。

私刑を容認すると、復讐の連鎖が止まらない世紀末、北斗の拳みたいな世界になってしまってどうしようもないので私刑は禁じますという思想。社会の秩序を守ることと、基本的人権の尊重というのが刑法のテーマで、だから、被害者の方が人権を蹂躙されるようなことが起こるんだなってね。少年法で保護されて加害者のプライバシーは守られるのに被害者だけ根掘り葉掘りみたいな。

基本的にこれ、復讐の法律ではないのね。

だから、社会からの隔離、見せしめ効果、社会復帰みたいなのがテーマになって、案外遺族感情、被害者感情とか考慮されてなくて。

一般人の普通の感覚で、刑罰についておかしいと感じることはあると思うんだけれど、それは国家が代行してやり返してくれると信じてるからであって、実際はそうじゃないということ。

愕然としたのが、罪状と刑罰についてランキングみたいなのを確認した時、単なる殺人、しかも1人だけみたいなときは死刑にならない場合があるけれど、国家を転覆するようなことをやろうとした場合には即刻死刑になるような法体系であること。

これは正義のルールではなくて、現支配体制を崩さないためのものなんだ!ってね。

中国がアヘン戦争の反省からか薬物は即刻死刑でめちゃめちゃ厳しかったりするんだけれど、まあ、要するに法体系って、社会公益とかそーゆー話なんだよね。

 

法学やっててうっすらと悟ったこと。

それは、あくまで法律は、現体制の維持のためにあるということ。

そして、最上のレイヤーには国際関係がある。そもそも、日本は国防をアウトソーシングしてるのである。

 

ワンピース読んでるとき、悪魔の実という設定を呑み込んで読み始めたのに、サンジとかゾロとかが能力者ばりのワザ使い始めて、興味失ったかのごとく、厳密な論理の運用だと思ってた俺、日本国に立派な国だという幻想を抱いてた俺はなんとなく、勉強してガラガラと自分の中で崩れる音がした。

あれから、論理の類は信じてない。

ゲーデルの不完全性定理と、憲法と最も厳密な論理を組んでるであろう刑法という世界、これらに触れてから、信じてない。

解釈がいくらでもできるのと、スタートの価値観次第だったりして、結論の正しさを担保しないんだよね。あと、内部からはその論理体系がどうこうだって言えない部分があって。

崇高な理念とか、社会一般常識、通念に照らして立派な生き方みたいなのを目指すのはやめようと思ったし、なんというか、崩して俗っぽく生きよう、センス良く社会に反発して生きようと思った契機だったかな。

 

勉強しまくって、最終的に、もっと動物的な勘とか、ノリとか、気持ちいい気持ち良くないとか、そーゆーのをもっと大事にしようってね。

感覚とか、感情とかね。

 

国に守ってもらおうとか、何かあれば法の裁きが下るだろうとか、国家に尽くそうとか、なんか、そーゆー路線の生き方というか価値観というか、そーゆーのやめよう、みたいな。

論理とかルールとか正義とかやめよう、みたいなね。

アメリカのヒーロー像って、大抵民間なのよ。バッドマンもスパイダーマンもアイアンマンそうなんだけど。

日本って違うのね。サンダーバードも、ウルトラマンも、ナルトも、遠山の金さんも、水戸黄門も、暴れん坊将軍も公務員。

日本人は、無意識に、公に属するものがヒーローだと思ってんのね。

素晴らしい仕事だと。

 

とんでもない。

 

規制者側の発想、正義の発想、常識の発想から抜けられたきっかけだったかな。

糞真面目な日本人って、恋愛とかセックスにうつつを抜かすのが恥ずかしいとか思ってる人いるでしょ。政治家がプライベートで女癖悪かったりしたらすぐダメってなったりする人いるでしょ。

 

俺は、もっと、セックスとか恋愛とかフリーにして、アメリカ映画のごとく、汚い言葉たくさん使って、自由に、柔軟に、ダイナミックに生きてやろうと思った。どんどん枠外に越えてってやろうって。自由な民間スタイルで行こうってね。

 

公(public)に期待したり、理想・幻想を持ったりするのはやめた方が良い。

大学、資格、公的機関、ぜんぜんカッコよくない。税金で食べるなんて恥ですよ、恥。社会的な必要性を説明できないもんね。人気投票されてないから。これやってて意味あるのかな?っていう自己問答しながら生きていかないといけなくなる。しかも、これだけ財政死んでる中では尚更よ。

しかもさ、その路線に迎合しまくって人、たいてい、打ち砕かれて、純粋な分、反動がひどいから。学校教育突き詰めてテロに走る人とか、高学歴ニートとかまさにそれよ。

学校、大学、法律、公務員、国家資格みたいなものへの理想を捨てつつ、アウトローやアングラに落ちないでセンス良く生きる感覚っていうの?

 

法律って危なくて、弱者に変な誤解させるんだよね。たとえば、労働基準法とかが守ってくれるみたいなこと考えさせちゃうんだけれど、権利意識を高めちゃうんだけど、弱者のルサンチマンを刺激するんだけれど、実際のところ、社会は資本主義の論理で回ってて、弱者の救済は本質的でなかったり、一時的だったりするし、ドウニモナラナイ問題はあちこちに転がってるんだよね。

 

早い話、魔法みたいな風に思わせることがあってね。

全然そんなことはないんだよーってね。

 

国家とか資格とか、ほんと、アレだわ。

 

 

PS

労働基準法も機能してねーわ!

道路交通法も機能してねーわ!っつってね。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。