社会人10年目には大体みんな気付く、「会社や国を変えてやる!!」という願望が虚しく終わる理由と、安倍晋三憲政史上最大長期政権化のカラクリと、大衆の愚かさ・世の中にはなぜこんなにバカが多いのかについての論考というか雑談

 

安倍晋三が憲政史上最長の政権を握ったのは、

周囲に利益を配ったから

だと私は思っている。

 

公の利益を訴えて人を牽引しようとしても、人は個々人のエゴが満たされないとついてこない。みんな自己中なのだ。

 

周りに餌をばら撒きながら、徐々に権力を掌握して、そこからは強制権力でねじ伏せる。特に厄介な抵抗勢力を押さえつける。リーダーシップとかマネジメントの要諦は兎角「財務(カネ)」と「人事(ヒト)」であるから、例えば官僚の人事を官邸で掌握するなどするとかなり強い。

 

ただし、利益をばら撒くスタイルでも、どこかで歪みが出る。なぜなら、政治なんてものは所詮、「集めた金をばら撒いているだけ」であって、プラスサムでもなんでもない。所詮ゼロサム。イノベーションやテクノロジー分野の人間と違い、政治がやってるのはゼロサム。だから、力を

得ている傍ら、どこかに皺寄せが寄っている。国全体が上向いていないのに急速に力を得ている政治家がいたとしたら、富の搾取や偏った配分を形成しているケースが多い。

こうして、安倍晋三は、自らが生み出した膿から送られた刺客によって殺された。

 

田中角栄もそうだったが、求心力があって、勢いがある政治家が後から闇・歪みに食われるケースは多く、しかもそれは自分が種を蒔いていることが多い。圧倒的な求心力の源泉にやられているケース、つまり「成功の理由が失敗の理由になる」ケースだ。

 

 

利益をばら撒くのはかなり大事である。

まず、個として欠乏している人間は、公の利益に共感してる暇・余裕がない。逆に、個として満たされている人間・美味しい思いをしている人間は既得権益的な理由から反対する。

いずれにせよ、なのである。ここの調整がアホみたいに苦しい。

 

そこで、駆け出しの頃は、何か力があるところの下に入り、積極的に奉仕した後、

ご苦労さん、今度はお前の番だな

という形で利益を回してもらうスタイルこそがwin-winになる。いわば、利害調整に時間軸を挟み込んでいる。よって、「政治力」がモノを言う世界は、年功序列的なカラーが強くなる。掟や順番がある。

 

だから、小泉純一郎の元で官房長官をやった安倍が総理になり、安倍のもとで官房長官をやった菅が総理大臣になったのだ。政治の世界はこの縦の継承ダイナミクスがかなり強い。

こういった「内向きの論理」ではなく、「外向きの論理」で動いている組織の場合は、外向きに大きな業績を成した人間が上に上がる。例えば、典型的エスタブリッシュメントの大企業であれば、トップは内向きの論理で決まり、それは自ずと有力派閥・花形部署からピックアップされる形になるが、組織が危機に陥ると傍流から人材が選ばれる。「会社の危機(全体の危機)」とは「花形部署の危機(主力部分の危機)」であるから、傍流が活躍するのだ。傍流が全体を牽引するパフォーマンスを出すことが多い。

危機の会社を復活させたトップは傍流出身が多い。これは他所からやってきた中途のケースもそう。一方で平時の場合は脈々と受け継がれる花形部署・内向き論理で決まる。

 

世界史で散々証明された。

イノベーションは辺境から起こる

は会社みたいな小さい範囲で見てもそうなのだ。

 

 

アメリカがグローバルスタンダードを押し付けられるのはアメリカが世界最強だから自由貿易にするとアメリカが得するからである。みんなこれがわかっているから白々しい目でアメリカを見つめている。同様に、強者が既得権益を糾弾してフェアネスを追求しようとしても、

それはお前が勝てるからだろ?

という目でみてしまう。その意味で、「痛み分け」というか、率先して犠牲を払っている・デメリットを抱えている人間しか信用されない。

 

表向きは公のフィロソフィーやオブジェクトに異議を唱えているようで深層心理はエゴだったりするのが人間。

特に大人の世界では、エゴや感想でモノを言えないから、最もらしい理由をつけたりするが、実際は単に「好き嫌い」だったりする。

「なんかムカつく」

を、

「汚職リーククーデター」

で追放するのが大人である。

 

そのため、周囲に利権や利益をばら撒いて支持層を固めつつ、それ未満の層からは徹底的に時間や労働力を収奪して反抗できない状態にするという方法が考え出される。これは典型的な独裁国家モデルであり、「北朝鮮モデル」と呼ぶこともできる。

みんなから広く支持を集めることは不可能だと割り切り、賛同層を明確にターゲティングにしてそこを強固な票田とし、それ以外を搾取層と割り切る。搾取して吸い上げたものを激烈に配分する。

このモデルが厄介なところは、全体のパワーを活用している集団と比べて競争力に劣りがちなところだ。だから独裁国家はいつも「自由民主的国家」に負けてしまう。

 

 

自民党は投票率が上がらない方が選挙に都合が良い。

逆に、新参政党・弱小政党は投票率が上がった方が有利。

 

よって、両者の選挙キャンペーンの方法は違う。後者側の政治家は熱心に、普段投票しない層に「投票してください」と呼びかけている。

 

自民党が圧倒的な支持率を持っていたとしても、結局それは「投票する人間たち」の中での割合であり、この国では国政選挙でもせいぜい50%ぐらいしか投票に行かない。だから、70%の支持率を得ていたとしても50%のうちの70%だから実際は国民全体の35%しか支持していない。

 

ここでカラクリを話そう。

 

「大多数が選挙に行かない」という状態になると、例えば自分達と利害を共有していて自分達の息がかかった集団の投票総数に対する存在感・割合というのは相対的に大きくなることになる。だから、投票率が低い段階においては、いわゆる組織票なるものが幅を利かせるようになる。

自民党は流石に選挙巧者であって、新参弱小政党が街頭で人々に声をかける傍ら、

  • 宗教の集会
  • 大企業のトップ
  • 財界の集まり
  • 特定の職業集団・ギルド的な集まり
  • 公務員系

などと利益を共有しながらしっかりと組織票を固めておく。

 

あとは大衆向けに、

  • アイドル、有名人立候補
  • 綺麗事ばっかり言う候補者

などを適当に擁立して、なんか人気がありそうな政治家を懐柔したり誘ったりして基盤を固めていくのである。要はキャスティングである。テレビ番組がyoutuberを起用するみたいなことをやるのである。

 

逆に言うと、普段は投票しないような層が

ぐわーー

とついてくるととんでもないムーブメントである。一般には小泉旋風だったりガーシー旋風はこれだとされる。「ポピュリズム」と揶揄される動き、流れはたいてい、こういう現象である。

 

 

さて、政治にしろ、ビジネスにしろ、人々から支持を集める活動に従事したことがある人間は、

一体大衆は馬鹿なのか、それともそうではないのか

ということについて迷ったことがあると思う。

 

日本人の約3分の2は政府の14の省庁の名前を半分も挙げられず、大ベストセラーのファクトフルネスで指摘された通りほとんどの人間は「チンパンジー以下」の教養しか持っていない。

 

ヘンリー・ルイス・メンケンという風刺家はこんな言葉を残している。

私の知る限り、この世には、凡人の集団的知性を過小評価したために金を失ったものはいない

 

パブリックスピーキングの類で教えられることや、マーケティングの基本中のキ、コピーライティングの基本中のキとされる物事は、大抵が「小学生・中学生でもわかるぐらいシンプルに」が根底にある。

わかりやすさは命だ。

 

とはいえ、バカのくせになかなか騙しにくい、動かしにくい、説得しにくいのも大衆である。

「大衆は賢い」と仮定して動いたら裏切られたような気持ちにさせられ、「大衆を馬鹿だ」とみくびったら痛い目に遭わせられる。そんな経験がある人も多いと思う。

 

 

実際のところ、大衆は個々人としては賢くない。しかし、集団となると、知性が開花する。なぜか?彼らはチームプレイをする。情報をシェアし合うのだ。

大衆の中には、ごく一部のプロや専門家がいて、彼らが発した情報を大衆はシェアすることになる。また、大衆は物事を「比較」できる立場にある。

さらに、失敗した大衆が、いろいろと情報を拡散する。これもシェアされる。

政治家を選ぶにしても商品を選ぶにしても、選択肢の中から相対比較する。そしてそれらの送り手はその領域におけるプロであるから、高度なメッセージを発信する。高度なサービスを見せていく。こうして大衆は学習しながら、比較しながら、賢くなっていく。

 

全ての人を一時騙すことはできる。何人かの人を騙し続けることもできる。だが全ての人を騙し続けることはできない。

ーエイブラハムリンカーン

 

 

つまり、大衆が大衆たる所以とは、

  • 「個人では」決定力を持たない
  • 「個人では」判断力を持たない
  • 「個人では」正解力を持たない

ところにある。それが故に大衆は大衆に追随する。マーケットの動きも、マジョリティに何か火がつくとさらに連鎖していく。

 

 

 

大衆から人気を得る鉄板の方法がある。

まず第一。普段から軽視されている・無視されている(あるいは被害者意識がある)マイノリティに迎合する。ちなみに、なぜ軽視されているか、無視されているか、その背景を読み解かずにひたすら迎合する。すると彼ら・彼女らは喜んでついてくる。

次に、大衆にふわっと心地良い事を言う。そして大衆がゾロゾロついてきたらそのゾロゾロついてきたことによってさらに人々がゾロゾロついてくる。

要は

今話題の!

というノリで行く。

 

エスタブリッシュメントが取れないポジション(カウンターポジション)や、アンチポジションを取ったりする。これは無党派層を起こすために鍵となる。

当然こんな事をすると秩序が無茶苦茶になる。現行の仕組みがひっくり返る。でも現行の王道が元気が無い時ほど有効である。

また、場合によってはエスタブリッシュメントの一部と手打ち・話をつけておいて立ち回る。

 

 

天下統一ゲームは、徳川家康がやったように、時期・頃合いを見て一気に仕掛けられることが多い。

まるでマルサの一斉捜索のように。一気に押さえつける。

 

しっかりと多勢側になっておき、天下分け目を一気に抑えにかかる。そして少数派を弾圧する。徹底した秩序を構築する。しばらくは反目分子が反乱をするがこれも押さえつける。そして徹底的に飼い慣らしていく。こうして新しい時代がやってくる。

明らかに、この一連の流れの中ではキーとなるポイントがある。そこを事前に仕込んでおく、おさえておく、そして満を辞して天下を取りに行くことが求められる。

 

世の中で起こっている根回し、勢力図の変換、そしてキーストーンに、天下分け目の決戦。これらをしっかりと観察しておくことが重要だ。

ただ厄介なのは、自由民主国家は、全体の力をうまく利用するために、「私有財産」や「格差」を公認して、いわば個の利益追求を容認しているが故に、どうしても有力者たちの利害を調整する必要が求められる。その最大公約数の狙い方が困難である。公の利益に訴えかけたとしても、実際のところ、本当に「全体」を意識して動いているのであれば全体主義なはずで、実際に世の中はそうは動いていないのである。必ず、「個々人の利害調整」というのが出てくる。必ず不満が、バトルが発生する。自分が攻撃を受ける側に回ることもある。何より天下を目指す動きはあちこちで起こっているのだ。

 

 

徳川が天下を取れたのは時機を待ったからだ。

歴史上、改革の先駆者は全員消されている。

 

新しい動きを作る人間は必ず潰される。マーキングされるのだ。しかしその流れは止めることはできない。その流れを上手に利用する後発が生まれる。そして彼らが時代の覇者になる。

 

また、改革の成功にも条件がある。

日本の社内改革は、ある程度、スケールが小さい企業でしかその実現はなされていない。大規模な組織になると、「全体が潰れる!」という危機意識がなされた上で、トップからトップダウンで実行されるケースのみ。大体の改革はある程度の規模だからなされている。

日本という国は人口が多い。多すぎる。だから変わるのが難しい。日本より大きな人口を誇るアメリカでさえ、日本より分権性が出来ている。中国は強烈なトップダウンでその軋み歪みもすごい。

 

 


===

西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。