人生に正解はないはずなので、テキトーに生きる

人生に正解があるかな、って昔は思ってたけど「無いわ、そんなもん、アホくさ、テキトーに生きよ」ってなってダラダラ生きて参りました。昔は、何かを選ぶ際、どっちが正解でどっちが不正解ってものがあるかなって思ってましたが「無いわ、そんなもん、アホくさ」ってなってダラダラ生きて参りました。

何を選んでも後悔する。自分がやったことや選んだことに対する評価もコロコロ変わる。いい時もあれば、悪い時もある。

どうやったら楽しく生きれるのか。

どうやったらより良く生きられるのかな。

 

私が昔、一つ思ったのは、

あれがしたい、あの仕事に就きたいって思うのがまず一つの才能

だってことです。でも、私はそういうのが無かった。

 

イチローの小学生時代の作文とか有名じゃないですか。

ああいうの、無かったわけです。

 

高校生の時、金持ち父さんを読んで衝撃を受けました。

「これだ!!!望んでいたのは!!!」

ってなりました。

脳天に稲妻が落ちました。

 

要するに、私がしたい仕事ってのは、「仕事がしたくない」ってこと。笑

 

そういうことだった。きっとそう。

仕事から解放されたかった。

 

私に才能なるものがもしあるとしたら、私の才能というのは「仕事がしたくない」という方向に向けられていたはずなのです。今振り返って思うと、そう感じます。

仕事に人生の大半を売り渡すという世間の常識、アイデアが気に食わなかった。

 

でも、よくよく思い返すとそうなんですが、それ、友達に読ませてみたことがあったと思うんですけど、「ふーん」って感じの反応だったんですよ。

要するに、ピンとこない人にはピンとこない。

 

だから、多分、私は、自分でそういうのに反応しちゃっているんですね。

 

私があの本にフックされたのは、冒頭で、学校教育に対する疑問が投げかけられていたからなんです。

それ、自分がずっと思ってきたことだったんですよ。

自然に思ってきてたことだった。

要するに、共感した。

 

自分で思ってきたことだったから、ぐいぐい引き込まれたのであって。

 

結局、人間、何かに惹かれる・何かを選ぶってのも、自分の中に「そうなるように何かがある」ってことなんじゃないかと思うわけです。

私はそう思っています。

 

人生に正解があると思うと、身動きが取れなくなります。

学校教育では、何かしら正解があると教え込まされますが、人生に正解なんてないでしょ、多分。

 

正解なんてないわ、って思った瞬間からフッと心が軽くなります。

 

ただ、私の中では良いアイデアがあります。

それは、

「仕事に埋没するのが人生」

という常識を崩す、というものです。

結局、私はそのアイデアが気に入ってきただけです。

 

私はそのアイデアに生きてきただけ。

 

仕事と人生を同化させると、体調不良になることは今の所、よくわかっております。

自分に関しては、そうわかっているわけです。

 

だからもう、「仕事と自分を切り離すことが仕事」みたいなところがある。

 

なんか、多分ですけど、ずーーーっと、小さい頃から、

「大人になったら仕事しなきゃ仕事しなきゃ仕事しなきゃ・・・・・自分は将来何になったらいいのだろう・・・・・」

って考えまくってたんだと思う。

 

そして、何も見つからないことに焦っていた。

方向性が見えないことに焦っていた。

 

強迫観念に囚われていた。

仕事しなきゃ。方向性を見つけなきゃ。

 

これは、ある意味真面目すぎるというか、

人生=仕事って思っている人間の発想だったのだと思う。

だからこそ、生き方の方向性について、一生懸命探ってた。

 

今、私は、根本から捉え方を変えてしまっている。

 

仕事しない。

仕事と自分を切り離す。

全くもって、クレイジーなアイデアですけど、それでええか、と。

 

仕事を手段と割り切り、

じゃあ、どういう手段がいいかな・・・・っていう感覚。

そーゆー感覚で生きている。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。