自慢話は自慢ではない

今日はチャリに乗って、牛丼屋に行ってさぁ、ご飯食べて、そのあとは新聞配達のバイト仲間と会ったんだよね!

って言われたら?

へー、そうなんだってなる。ただの事実報告に聞こえるだろう。ところが、

今日はフェラーリに乗って、ホテルディナー食べに行ってさぁ、そのあとは●●の社長とご飯食べたんだよね!

って言われたら?自慢話と受け取る人が多い。しかし、今のことを何とも思ってない人からすれば単なる事実報告。そして、それが何とも思わない人同士の会話なら、これもただの会話。

人の自慢話にイラつくというのは、難しい問題。

逆に言えば、一緒にいて、自分のことを相当話してくれる相手なのに、イライラしなくて、なおかつ相手の方が経済水準が上なら、気を遣って喋られていることになる。これは意味深である。つまり、『あなたの生活水準はおそらくこの程度であろうから、この範囲なら話してもイラつかないわよね?この話題なら大丈夫よね?』と計算されてる。気を遣われていることになり、これもこれでまた、なかなかのダメージである。

人は、気を遣われることも傷つく場合がある。気を遣われることで相当なダメージを負うことだってあるのだ。ハッキリ言われないというやつ。

相手が自慢しようと思ってないのにそれに対してイラついてるのなら、単なる勝手なイラつきの可能性がある。相手が元々、出来事をペラペラ喋るようなタイプで、そこに惹かれたのなら、自慢話でイラつくのは矛盾。

人の自慢にイラつく人は生きていけない。なぜなら、自慢の多くは自慢のつもりで語られていないからである。特に、自分より上の世界を覗こうとすれば、イラつきは避けられない。

全く自分のことを話さない人間となら、イライラせずに付き合えるだろう。相手は自分のことを話さないのだから。でも、どうせ『よくわからなくて信用できない』とか人は言い始めるだろう。

基本的に文句が多いタイプは全方位的に何をやってもイラついてしまう。

純粋な自慢と、『自分が自慢と思って受け取ったから自慢に聞こえる』パターンがある。ニートからすれば、普通の社畜たちの旅行の話とか休日の話、奥さんや彼女の話は自慢に聞こえる。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。