褒め言葉は嘘の塊 (年収800越えられないアダルトチルドレンが全員知らない真実)

 

褒め言葉は嘘の塊。

 

多分、年収が高い人は全員わかっている。低い人は全員分かってない。

 

人は褒められた方向に進み、怒られた方向を避けるが、故に破滅しがち。

 

褒め言葉はなぜ嘘か。

それは、褒める側にメリットが全くないからである。褒められた側も別に課金された訳でも何もない。そして、人は褒め言葉について、自分でもそう思ってることを受け止め、そう思わないことを怪訝に受け止める。

 

結局、自己強化でしかない。

 

経済学の原則に照らして褒め言葉は危ない。メリットがない。いや、褒める側には何か別のメリットがある。それは印象だ。好印象になるし取り入りやすくなる。褒める側の印象が上がると同時に仲良くなりやすくなる。相手がアダルトチルドレンなら操作できる。

 

自分を褒めてきた異性を落とせず、ディスってきた異性は落とせた、という経験は無いだろうか?

そもそも、良いと思うことと、必要とされる・欲せられることは違う。

要らない、必要ない、欲しくないけど遠巻きに表面を撫でるように褒められることはある。

 

実家暮らしの弊害はこういうところにある。

23を過ぎても褒められる方向に邁進して自滅する。

 

世間は貴様らのお父さんお母さんではない

この意味は、お父さんお母さんがもたらした評価、すなわち褒めと報酬とは違うロジックで世間が回っていることを意味するのだ。

と同時に、世間の褒めは砂糖に見せた毒なのである。いや、砂糖は最初から毒だが。

 

世間で最も誉れ高い評価とは、全く厳しく君を褒めない監督や上司が、厳しい戦いで君をアサインすることだ。クレームを投げつけられたり、要求が飛んできたり、オーディエンスが湧く瞬間だ。ご指名だ。本指名だ。

 

また、

全くの無より、

全くの褒め言葉だけより、

利用されている方がマシだ。

 

お父さんお母さん親戚に地元、彼氏彼女が与えたものは全て嘘だった。

ではどこまで本当なのか?本当の自分はどこにあるのか?

 

真の自分探しとはこういうことなのかとしれない。

 

無論、絶望して死にかけるが、

疲れたなどと言ってられない辛い自分の価値の低さと直面する時期

というのは社会人になれば誰もがどこかで直面する。恋愛に関してもそうだ。そこで一皮むけて脱皮するか否かである。

 

絶望の裏側には希望がある。

絶望は半端や夢や根拠なき楽観という『呪い』から自らを解放して、現実に根付いた新しい未来への期待をもたらす。

 

人の良いところを見つけて褒めましょう

と言われるぐらい、人は人の良いところを見つけないし褒めない。悪いところを見つけて悪いところを指摘し糾弾するのが自然なのだ。

ゆえに表面化、可視化される褒めは怪しい。

 

君がいた世界と君がいない世界の差分にこそ君の価値がある。

 

俺がいた世界といない世界に1ミリの差分も生み出せないなら俺は何のために生きているかわからない。そうやって仕事してきたんだ。

 

 

 


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。