王の軍艦は、1,300メートルしか進めなかった。

1628年8月10日、日曜日。

スウェーデンの首都ストックホルムには、大勢の見物人が集まっていた。

王立造船所で建造されていた巨大軍艦が、初めて海へ出る。

船の名前は、ヴァーサ。

全長69メートル。竜骨からメインマストの頂上まで、50メートル以上。船体には王家を象徴するライオン、ローマ皇帝、聖書の英雄、人魚、怪物など、数百体の彫刻が取り付けられていた。

積まれた大砲は64門。

重量は、装備を含めて1,200トンを超える。

当時、スウェーデンはポーランド・リトアニアとの戦争を続けていた。国王グスタフ2世アドルフは、バルト海を支配するための強力な軍艦を必要としていた。

ヴァーサは、ただの船ではない。

スウェーデンの軍事力と王権を、海に浮かべた建造物だった。

岸辺には市民が並び、外国の大使たちも見守っている。

出航の合図が出た。

ヴァーサは岸を離れ、港の中をゆっくりと進み始めた。

風は弱かった。

最初の突風が吹く。

巨大な船体が、左側へ傾いた。

しばらくすると、元へ戻った。

見物人には、少し不安定な船に見えたかもしれない。

しかし、航海は続いた。

二度目の、やや強い風が吹いた。

ヴァーサは再び左へ傾いた。

今度は戻らない。

下段の砲門は、祝砲を撃つために開かれていた。傾いた船体の砲門が、水面へ近づいていく。

海水が、一つの砲門から流れ込んだ。

次の砲門からも入る。

大砲が並ぶ砲列甲板へ、大量の水が押し寄せた。

船はさらに傾く。

傾くほど砲門から水が入り、水が入るほど船は傾く。

乗員たちは大砲や索具につかまった。甲板にいた人々が海へ投げ出される。

出航から、わずか数分。

ヴァーサは横倒しになり、ストックホルム港の底へ沈んだ。

進んだ距離は、約1,300メートル。

建造に二年以上を費やした王国最強の軍艦は、造船所から見える場所に沈んでいた。ヴァーサ博物館の記録は、この航海を「史上最短の処女航海かもしれない」と表現している。

事故の翌日、スウェーデン枢密院は調査を開始した。

国王はストックホルムにいなかった。

ポーランドとの戦争を指揮するため、プロイセンに滞在していた。

沈没の報告を受けた王は激怒した。

国家の威信を背負った軍艦が、敵と一度も戦わず、首都の住民と外国大使の目の前で沈んだ。

誰かが責任を取らなければならない。

最初に疑われたのは、船長のセフリング・ハンソンだった。

彼は服が乾く間もなく拘束され、尋問を受けた。

乗員は酒を飲んでいたのではないか。

命令を間違えたのではないか。

大砲を正しく固定していなかったのではないか。

船長は否定した。

乗員は酔っていない。

大砲も固定されていた。

帆の操作にも、大きな問題はなかった。

ただし、船はひどく不安定だった。

次に疑われたのは、船底へ積まれた石だった。

船には約120トンのバラストが積まれていた。船底を重くし、重心を下げるための石である。

バラストが少なかったのではないか。

責任者は答えた。

これ以上積めば、下段の砲門が水面へ近づきすぎる。

つまり、バラストを増やせば船は安定するが、今度は砲門から水が入りやすくなる。

船長の操船でもない。

酒でもない。

固定されていない大砲でもない。

バラストの積み忘れでもない。

調査委員会が証言を集めていくと、原因は船の使い方ではなく、船そのものにあることが見えてきた。

ヴァーサは、上部が高く、重すぎた。

二層の砲列甲板に多数の大砲を積み、その上に巨大なマストと豪華な彫刻を載せている。

それに対して、船体の幅と、水中部分の容積が足りない。

上へ持ち上げようとする浮力より、横倒しにしようとする上部重量の作用が強い。

少し傾いた船を、元へ戻す力が弱かった。

簡単に言えば、ヴァーサは海に浮かべるには、背が高すぎた。

では、設計者は何をしていたのか。

ヴァーサを設計したのは、オランダ出身の造船技師ヘンリック・ヒュベルツソンだった。

当時の造船には、現在のような復原性計算や設計理論がない。

造船技師は、過去に成功した船の寸法、経験、勘をもとに新しい船を作っていた。

しかしヴァーサは、従来の船より大きく、重武装だった。

過去の成功例を、そのまま拡大すれば作れる船ではなかった。

しかも、建造途中でヘンリックは病気になり、完成を見ることなく死んでいた。

仕事を引き継いだ造船技師たちは、設計どおりに作ったと主張した。

その設計は、国王が承認していた。

委員会は困った。

船長を罰する根拠はない。

乗員にも明確な過失はない。

造船技師は、王が承認した設計に従ったと言う。

最初の設計者は、すでに死んでいる。

そして王自身を、設計責任者として裁くことはできない。

調査は行き詰まった。

ところが、尋問の途中で、一人の男が妙な証言を始めた。

バラストの積載を担当していた、ヨーラン・マットソンである。

彼は、ヴァーサが出航する少し前、船上である実験が行われたと話した。

実験には、三十人の男が集められた。

三十人は甲板の片側へ並ぶ。

合図とともに、反対側まで一斉に走る。

船が傾く。

今度は、元いた側へ走って戻る。

人間の体重を左右へ移動させ、船がどの程度揺れるかを確認する「傾斜試験」だった。

一往復。

ヴァーサが大きく揺れた。

二往復。

船体の傾きがさらに大きくなった。

三往復ほどしたところで、実験は中止された。

三十人が走り続ければ、係留されたまま転覆する危険があったからだ。

その場には、副提督クラス・フレミングもいた。

つまり、海軍上層部は出航前に知っていた。

ヴァーサは、三十人が甲板を往復しただけで転覆しかねない。

海へ出せば危険である。

実験は、正しい答えを出していた。

では、なぜ出航を中止しなかったのか。

マットソンは、副提督がその場で漏らした言葉も証言した。

「国王陛下が、ここにいてくださればよかったのに」

国王は国外にいる。

だが、早く船を戦地へ送れという圧力は届いている。

副提督には、危険な実験を止める権限はあった。

しかし、王が承認した軍艦の出航を止める責任までは負いたくなかった。

だから、止めた。

船ではない。

実験を。

ヴァーサはその後、予定どおり出航した。

三十人の体重移動に耐えられなかった船が、風と波のある海へ送られた。

二度目の突風で、実験と同じ方向へ傾いた。

甲板を走る三十人の代わりに、64門の大砲、巨大なマスト、数百体の彫刻が船を倒した。

傾斜試験は、事故を防げなかったのではない。

事故を正確に予告していた。

それでも船は沈んだ。

ここで、この事件は単なる設計ミスではなくなる。

ヴァーサに不足していたのは、データではない。

警告でもない。

実験でもない。

実験結果を、意思決定へ変換する人間だった。

検証には、二種類ある。

結果によって行動を変えるための検証。

もう一つは、「検証した」という事実を残すための検証である。

前者では、悪い結果が出れば計画が止まる。

後者では、悪い結果が出ると検証のほうが止まる。

会社でも同じことが起きる。

新商品を発売することは、すでに経営会議で決まっている。

そのあとに市場調査をする。

調査結果が良ければ、「顧客ニーズが確認された」と報告される。

悪ければ、対象者が違う、質問が悪い、ブランドを理解していないと説明される。

発売は変わらない。

従業員の離職が増えたので、満足度調査をする。

低い数字が出る。

人事部は報告書を作る。

経営陣は「重要な課題として認識している」と発表する。

しかし、予算も人員配置も評価制度も変わらない。

調査結果は残る。

退職者も増え続ける。

会議を開いた。

専門家に聞いた。

データを集めた。

リスクを確認した。

それらは、合理的な行動に見える。

しかし、検証結果と意思決定の間に接続がなければ、検証は装置ではない。

儀式である。

なぜ、そんな儀式を行うのか。

人は真実を知りたいから調べるとは限らない。

何か起きたとき、自分は何も知らなかったわけではないと証明するために調べることがある。

検証によって問題を解決するのではない。

検証したという記録によって、自分の責任を薄める。

ヴァーサの傾斜試験も、出航の可否を決める装置としては機能しなかった。

しかし、海軍が船の安定性を確認していたという記録にはなった。

事故後、関係者は全員、自分の職務を果たしたと主張できた。

船長は正しく操船した。

バラスト責任者は、積めるだけの石を積んだ。

造船技師は、承認された設計どおりに作った。

副提督は、安定性を確認した。

王は、専門家に建造を命じた。

全員が仕事をしている。

それでも船は沈む。

誰も決定しなかったことによって、最も権力のある人間の決定だけが自動的に実行されたからだ。

計画を続行するには、誰も新しい責任を負う必要がない。

予定どおり進めればいい。

しかし計画を止めるには、誰かが名乗り出なければならない。

自分の判断で止めたと言わなければならない。

成功すれば、何も起きなかった人になる。

失敗すれば、王の軍艦を遅らせた犯人になる。

続行と中止は、対等な選択肢ではない。

続行には惰性がついている。

中止にだけ、署名が必要である。

これが、権力のある組織で危険な計画が進み続ける理由だ。

全員が賛成している必要はない。

反対している人間が、停止する責任を引き受けなければ、それで進む。

調査委員会は、最終的に誰も処罰しなかった。

王が承認した設計を問題にすれば、王の責任に近づく。

戦争中に、必要な海軍関係者や造船技師を大量に処分することもできない。

そこで責任は、すでに死んでいた設計者ヘンリックへ近づけられた。

死者は反論しない。

処罰する必要もない。

事件は終わり、関係者の多くはその後も出世した。ヴァーサ博物館は、この査問を、責任追及というより「デューデリジェンスを示す政治劇」だったと解説している。

ヴァーサは、設計を検証しなかったから沈んだのではない。

検証したからこそ、誰もが安心して自分の役割へ戻れた。

三十人の男たちは、船が沈むことを正確に示した。

副提督は、その結果を見た。

そして、実験を中止した。

最も危険なのは、検証しない組織ではない。

検証結果に従う人間が、どこにもいない組織である。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

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Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。