海外旅行の最終日は、朝から少し変です。
ホテルの部屋に散らばった服をスーツケースに戻す。昨日まで自分の部屋みたいに使っていたベッドが、チェックアウトした瞬間に他人の部屋になる。
フロントでカードキーを返す。
あれが嫌です。
プラスチックのカードを一枚返しただけなのに、その街に住んでいた権利まで没収された感じがする。
空港へ行く。
出国する。
飛行機に乗る。
数時間寝る。
成田に着く。
まだ何もしていないのに、
「ああ、帰ってきてしまった」
と思う。
空港の建物が嫌いなわけではありません。
むしろ成田空港は結構好きです。
でも、あそこには妙な装置がある気がします。
日本へ帰国させる装置ではない。
昔の自分へ戻す装置です。
荷物より先に、LINEが帰国する
飛行機が着陸する。
シートベルト着用サインが消える。
みんな一斉にスマホを触り始めます。
機内モードを解除する。
その瞬間、
LINE。
メール。
Slack。
銀行。
ニュース。
仕事。
Amazon。
不在着信。
全部入ってくる。
海外にいた数日間、自分が存在しなくても普通に回っていた日本社会が、
「おかえり」
と言いながら一斉に襲ってくる。
面白いです。
パスポートコントロールを通る前に、スマホの方が先に日本へ入国している。
旅行から帰りたくない人は、飛行機が嫌なのではなく、機内モードを解除したくないのかもしれません。
海外にいると、なぜ普段やらないことをするのか
東京では駅から徒歩15分の店を見て、
遠いな。
と思う。
旅行へ行くと一日2万歩歩きます。
知らない山へ登る。
聞いたことのない料理を頼む。
英語がよく分からないのに店員へ話しかける。
知らない電車に乗る。
道を間違える。
夜中に知らない街を歩く。
日本では食べログ3.2か3.5かを気にしていた人が、海外へ行くと路上で正体不明の肉を食っています。
なぜでしょう。
旅行すると勇敢な人間になるのでしょうか。
私は昔、海外へ行くと「本当の自分が出る」ような気がしていました。
でも最近は逆かもしれないと思っています。
本当の自分なんて一人しかいない、という前提の方が変なのかもしれません。
英語を話すと性格まで少し変わる人がいる
これ、ただの感覚かと思ったら研究まであります。
香港の中国語・英語バイリンガルを調べた研究では、使う言語や会話相手の文化的背景によって、本人の自己評価だけでなく実際の行動上のパーソナリティ表現まで変化しました。研究者は、言語がそれに結びついた文化規範を呼び起こす可能性を論じています。
つまり、
日本語の自分。
英語の自分。
会社の自分。
恋人の前の自分。
一人旅している自分。
全部少し違っていても不思議ではない。
だったら旅行から帰りたくないという気持ちは、
ハワイから離れたくない。
パリから離れたくない。
だけではなく、
「そこで発生していた自分」を消したくない
ということもあるのではないでしょうか。
パスポートには職業が書いていない
パスポートを見ると、
名前。
生年月日。
国籍。
性別。
顔写真。
はあります。
でも、
株式会社○○課長。
年収800万円。
マーケティング部。
既婚。
部下7人。
住宅ローン残高4380万円。
みたいなものは書いてありません。
海外へ持っていく自分には、意外と情報が少ない。
空港を出る。
ホテルへ行く。
フロントの人は、自分が会社で偉いかどうか知らない。
昨日上司に怒られたことも知らない。
中学時代にモテなかったことも知らない。
昔ブログで変なことを書いたことも知らない。
とりあえず一人の日本人です。
役職を海外へ輸出するのは結構難しい。
会社では部長だった男が、海外では電車を間違える
日本で部下20人を動かしている人でも、イタリアへ行けば券売機の使い方が分からなくなります。
昨日まで、
「この資料、論点が甘いね」
とか言っていた人が、
「This train… Milano?」
とか駅員に聞いている。
急に弱い。
でもちょっと楽しそうです。
役職が一回剥がれる。
知らないことを知らないと言っていい。
間違えても、
「外国人だから仕方ない」
で済む。
旅行が楽しいのは観光名所だけではなく、
普段維持している「ちゃんとした自分」を、一時的にやらなくていいから
なのかもしれません。
ホテルの部屋には過去がない
ホテルの部屋が好きです。
テレビ。
ベッド。
机。
冷蔵庫。
以上。
自宅にあるものがない。
昔買った本。
税金の封筒。
仕事の資料。
着なくなった服。
元恋人にもらった物。
使っていない筋トレ器具。
一年前に買ったサプリメント。
全部ない。
ホテルには自分の過去がほとんど置かれていません。
だから妙に頭が軽い。
ミニマリストになったわけではない。
単に過去を家に置いてきただけです。
自宅は「自分のセーブデータ」なのかもしれない
旅行から帰る。
玄関を開ける。
靴がある。
郵便物がある。
いつもの匂い。
いつもの机。
パソコン。
仕事用の椅子。
冷蔵庫。
全部そのままです。
すると昨日まで海外で別人みたいに歩き回っていた人が、驚くほど簡単に元へ戻ります。
ゲームでセーブデータをロードするみたいです。
住所というのは、住んでいる場所ではなく、
「昨日までの自分を毎朝ロードする場所」
なのかもしれません。
これは旅行の効果がすぐ薄れるという研究とも妙に一致します。
休暇は健康やウェルビーイングを改善するものの、仕事へ復帰すると効果が比較的早く薄れることを示したメタ分析があります。 2024年の縦断研究でも、休暇中に上がったウェルビーイングの一部は仕事復帰後にフェードアウトしています。
人間の魂が日本企業を愛しているから戻るわけではない。
いつもの環境へ戻れば、いつもの自分を起動する手掛かりも全部戻ってくる。
旅行で人生観が変わった。3週間後には普通に会議していた
海外旅行から帰ってきて、
もう人生を無駄にしない。
もっと自由に生きよう。
会社だけが人生じゃない。
今度こそ英語を勉強する。
と思ったことがあります。
そして3週間後。
普通に会議しています。
なんだったんでしょう。
旅行先では確かに本気だった。
嘘ではない。
でも日本に帰ると、
午前10時会議。
12時昼飯。
14時資料。
18時退社。
という巨大な時間割が待っています。
旅行中の思想よりGoogleカレンダーの方が強かった。
哲学、敗北。
Google Calendar、勝利。
お土産は「旅行中の自分」を密輸する行為なのかもしれない
帰国前にお土産を買います。
コーヒー。
石鹸。
マグネット。
変な置物。
現地のスーパーで買った調味料。
なぜ買うのでしょう。
日本でも似たものは買えます。
もちろん人に渡すためでもあります。
でも自分用に訳の分からないものを買うこともある。
旅行先のホテルで使った香水。
現地のマグカップ。
Tシャツ。
帰国後、それを見る。
一瞬だけ旅行が戻ってくる。
つまりお土産とは、
外国の物を日本へ持って帰っている
だけではなく、
外国で発生した自分を、日本の日常へ少し密輸しようとしている
のかもしれません。
税関では止められません。
「何か申告するものはありますか?」
「タイで少し自由になった自分を2キロほど」
とは書けない。
でも、そのマグネットは半年後に冷蔵庫の一部になる
これが悲しい。
最初は見るたびに旅行を思い出したマグネット。
半年経つ。
見なくなる。
背景になります。
パリで買ったマグカップ。
最初はパリ。
半年後にはコーヒーを入れる容器。
旅行で持ち帰った非日常が、日常に吸収される。
日本は強い。
というか日常が強い。
海外から何を持ち帰っても、しばらくすると生活の一部へ加工してしまう。
「海外移住したい」の中には、国の話ではないものが混じっている
旅行から帰ると、
この国に住みたい。
と思うことがあります。
本当に住みたい場合もあります。
でも少し疑った方がいい。
タイが好きなのか。
タイにいる自分が好きなのか。
スペインが好きなのか。
スペインで午後11時に飯を食っている自分が好きなのか。
ニューヨークが好きなのか。
誰も自分を知らないニューヨークが好きなのか。
場所と、その場所で発生する自分は分離できません。
「海外へ行けば人生が変わる」という話があります。
半分本当だと思います。
でも海外に住んで、
日本企業の仕事をして、
日本人とだけ会って、
日本語のSNSを一日5時間見ていたら、
東京を飛行機で運んだだけになるかもしれない。
ハワイも住めばゴミ出しの日が来る
旅行中のハワイ。
海。
ビール。
ホテル。
夕日。
最高です。
住む。
電気代。
家賃。
税金。
洗濯。
病院。
役所。
ゴミ。
仕事。
ハワイにも火曜日があります。
これは結構重要です。
旅行先が美しいのは、その国に生活が存在しないからではありません。
旅行者だけが生活を免除されている。
自分がゴミを出していないだけで、誰かは出しています。
ホテルのシーツも誰かが洗っています。
旅行とは、他人の日常の上で自分だけ非日常をやる、かなり贅沢なゲームなのかもしれません。
じゃあ旅行中の自分は偽物なのか
これも違うと思います。
会社員の自分だけが本物。
旅行中は浮かれている偽物。
ではない。
旅行中の自分も自分です。
普段は起動していないだけです。
人間の中には、
朝7時に起きて会社へ行く自分。
知らない道を3時間歩く自分。
ホテルで昼まで寝る自分。
知らない人と話す自分。
一人でいる自分。
恋人といる自分。
いろいろ入っている。
環境によって呼び出される。
スマホのアプリみたいです。
全部インストールされている。
ホーム画面に出ていないだけ。
ここで「自分探し」という言葉が少し変に見える
海外へ自分探しに行く。
昔からちょっと笑われる言葉です。
インドへ行ったら本当の自分が落ちているのか。
ガンジス川の横に置いてあるのか。
たぶんない。
でも、
普段と違う環境へ自分を置いて、普段起動しない自分を見る
という意味なら、そんなに変ではありません。
自分を探すというより、
自分の別バージョンを起動する。
インドで見つけるのは「本当の私」ではなく、
「インドという条件を入れたときに出力される私」
なのかもしれません。
なんか急に数学みたいになりました。
旅行していたはずなのに。
写真を撮る理由も少し怪しくなる
旅行中は写真を大量に撮ります。
海。
料理。
ホテル。
自分。
帰ってから全部見るかというと、そんなに見ません。
スマホには数千枚溜まる。
それでも撮る。
なぜでしょう。
景色を保存したい。
もちろんそうです。
でも写真にはもう一つ写っています。
「その場所にいた自分」です。
旅行写真とは、風景の記録というより、
別バージョンの自分が本当に存在した証拠
なのかもしれない。
だから消しにくい。
帰りたくないのではなく、戻りたくない
検索すると、
「旅行から帰りたくない」
と出てきます。
今の検索結果にも、非日常から日常へ戻る落差、仕事への復帰、旅の終了そのものを理由に挙げる記事が並んでいます。
それももちろんある。
でも「帰りたくない」という日本語は面白い。
家へ帰りたくない。
日本へ帰りたくない。
会社へ帰りたくない。
元の生活へ帰りたくない。
全部同じ「帰る」です。
身体が戻るだけではない。
役割も戻る。
予定も戻る。
人間関係も戻る。
自分まで戻る。
だから飛行機の中で寂しくなる。
旅行先を失うからだけではなく、
数日間だけ存在した自分が消えそうだから。
成田の手荷物受取所で、二人帰ってくる
ベルトコンベアからスーツケースが出てきます。
妙に汚れている。
タグが付いている。
海外の空港のシールも残っている。
スーツケースは旅行した証拠を身体に付けたまま帰ってくる。
人間はシャワーを浴びて、翌朝スーツを着れば、かなり簡単に元へ戻れる。
ちょっとスーツケースの方が偉いです。
傷くらい残している。
だから旅行から帰ってきて寂しいなら、
「また旅行へ行こう」
でもいいと思います。
普通に楽しいので。
でも一つだけ考えてもいい。
旅行先の何が好きだったのか。
海なのか。
料理なのか。
外国なのか。
誰にも予定を決められていないことなのか。
知らないことが毎日起きることなのか。
会社の肩書を誰も知らないことなのか。
それとも、
そこで出てきた自分自身なのか。
もし最後なら、飛行機に乗らなくても少しだけ持ち帰れるかもしれません。
旅行から帰りたくない。
そう思っていた。
でも本当は場所から帰りたくないのではなく、
あそこに置いてきた自分から、
元の自分へ帰りたくなかったのかもしれません。
成田空港では、日本人なら普通に入国できます。
困ったことに、昔の自分もだいたい一緒に入国してきます。
===
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。



