昔の人は、何のための仕事したか。
家族のためだった。
男1人働けば、家族を養える。
妻は徹底的に夫に尽くす。家族は父を絶対的に尊敬する。
経済は右肩上がりで、将来は悲観する必要がない。年金も充実。
定年を迎えれば優雅な老後。
コンピュータもないからコンピュータが競合になることはない。
そんな中で必死に働いたのだ。
働く理由、意味、目的があった。
今は違う。
男1人働いても、家族を養えない。女の性は乱れて、調子に乗っている。結婚は、最終下取り処分で、家庭ではリスペクトされない。会社の将来、日本の将来も危うい。
地方の給与は下がっている。
少子高齢化で、人口ピラミッドは逆三角形。しかし会社のポストは三角形。社会保障の負担は大きく、年寄りになっても長く働かないと生きていけない。会社やキャリアを選ばないと、将来が危ない。
総合商社クラスの会社に働けるサラリーマンは別だが、大抵のサラリーマンにとって、働く意欲が湧かない。逆風が多いのだ。
今の世の中で、働けない、働くのが辛いのは当たり前なのだ。
今の時代は、
- 結婚
- 仕事
- 子供、家族
がワンセットになってるハッピーセットを得るのが難しい。
家族が手に入らなければ、『何のために仕事をするのか』という動機を失う。
だからみんな、必死なのだ。
この会社にこのままいたら大丈夫なのか?
年次の上の人たちを見て不安になる。だから転職する。これが若手が仕事を続けられない理由にもある。
会社預けにしてられない。
だから、自分のキャリアに真剣になる。仕事を選び取ろう、という意識になるのだ。
この仕事は楽しめるだろうか?好きだろうか?
そういうことがテーマになるようになったのも、仕事を家族のために頑張るという前提が崩れてしまったからなのだ。
意外と、地方のマイルドヤンキーの方が、若くしてさっさと結婚して、子供を持ち、仕事を選ばずに続けていたりする。
皮肉なことだが、
- 総合商社に勤めるようなサラリーマン
- 田舎のマイルドヤンキー
ほど、古典的・伝統的な暮らしをしているのだ。
そしてそれ以外の大多数が、彷徨っている。
恋に、結婚に、仕事に。
一体、何のために生きるのだろう?
仕事を仕事そのものとして完結させて、仕事一筋に生きるのか。
それとも、家族や恋愛を最優先するのか。
この辺りをハッキリさせた方が良いのかもしれない。
仕事を生きがいとして生きるのは、かなり、宗教的なコミットメントが必要になる。かのプロテスタントのように。資本主義は、仕事へのある種の宗教的なコミットメントで発展してきたところがある。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。