今日は冷える。
コーヒーが染みるぜ。
これまで、人生相談をされてきた回数は通算・・・・いくらになるんだろう?
みんな、人生について私に尋ねてくる。
理由は、私が人の「強み」や「能力」を開花させること、もしくは上手に使い切ることをマネジメント、リーダーシップと捉えているからだと思う。
最近は、(プライベートだけど)管理職のお姉さまが「最近の若い奴はほんとヤベェ、使えねぇ」みたいなマネジメントの愚痴を延々とぶつけてきた。それをウンウンと聞いてあげる。
世の中には、いろんな悩みがある。
私もそれなりに悩んできた。いや、だいぶ悩んで生きてきた。どうして、私たちはこれほどまでに人生について迷ってしまうのだろう。息苦しいと思ってしまうのだろう。面白くないと思ってしまうのだろう。
#1:才能がない
決定的には、これだと思う。
ベストヒット歌謡祭2018で、あいみょんが「今夜このまま」を歌っていた。テレビを観ない私が、わざわざ観た。
・・・・・痺れる。本当に、稀代のアーティストというか、国宝級だと思う。しかも、彼女が登場する前には散々、国内の音楽界が散々、荒らされていたからね。
ヒトラーと同じ感じだ。
登場する前に、舞台が整いすぎている。
だから、音楽ファンのたまっていた鬱憤が、あいみょんで爆発した感じだ。10代から90代にまで人気があるらしい。・・・・うわぁ、やっぱり、天才って時代にも歓迎されるんだ。
ここ10年、世界は荒れた。
舞台に立つべきではないブスが舞台に立ってアイドルをやる。下手な歌手が歌を歌う。キャッチーなダンスのフリだけが流行る。そこらへんにいそうな、クラスで一番簡単にヤれそうなそこそこの子が、誌上で脱ぎ始める。コミックバンドみたいなものばかりが注目を浴びる。
アートには多様性があっていい。
ただ・・・・こうなってくると、世の中がおかしくなり始める。というか、勘違いが生まれ始める。才能がある人間には責務がある。例えば、B’zやX JAPANみたいなものを見せられたら、「あぁ、俺にはあんな高音ボイスは出せねぇや」って歌手の道を諦めるだろう。
才能が無いなら、教育を受けなければならない。でも、才能がある人間と無い人間を明確に「差別」しなかったり、舞台の上の人間に対して才能のかけらも無い人達が平気で対等に物申すことを当人たちが当たり前の感覚になってしまったら?・・・・実は、その当人が苦しむことになるんだね。
人生に迷ったら、みんなどうするのだろう。
会社の先輩に相談?
会社の同僚に相談?
お友達に相談・・・?
やめた方が良い。天才に相談した方が良い。
ゲーテと対話すると、ものすごく優れたものを知ることによって、自分の中の思想とか思考を正していく必要性をひしひしと感じさせられる。少なくとも、中途半端なミュージシャンの夢を追っている人は、あいみょんの才能に触れるだけで「うわぁ、もうやめよう」と思う契機になるかもしれない。
最近、キングアンドプリンスというジャニーズアイドルが人気を集めている。
パッと見た瞬間、「平野紫耀」くんはダントツでカッコいいと思った。顔といいい、体躯といい、この子は遺伝子から優れている、という感じがした。そしたら、案の定、センターのような扱い。
この新しいグループは、ドラマ・花男を思い出す。華がある。特定の世代には絶対にバカウケする。正統派王子様系アイドルなんだけれど、平野くん以外の他のメンバーを見ていると、なんというか、こってり感を感じた。ゴリゴリ押して売ってくる感じ。そしたら案の定、多くのメンバーが自分で応募をしたと言う。しかも、結構ナルシストが多いらしい。彼らのトークを聞いていて思った(詳しくは知らない)。彼らには、かなりの営業ソウルというか、売れたいという意識を感じる。
・・・・・彼らの先輩に嵐がいる。名実ともに、トップアイドルだ。そのメンバーのうち、大半が「やる気がなかった人」「やめる気全開だった人」で構成されている。それを事務所が半ば強制的にキープして、いきなりハワイでドカーンとデビューさせたのが嵐だった。特にダントツの才能を誇る大野智はやる気無しの筆頭だった男である。
本当に、ジャニーズのマネジメントはすごいと思う。慧眼だと思う。実際、嵐はあれだけのトップに登りつめている。
・・・・・・ふと思った?
平野くんは入所のきっかけは何だったのだろう・・・・?
やっぱり、「YOU来ちゃいなよスタイル」でした。ああ。赤西先生もそうだったっけ。「YOU残っちゃいなよ」スタイルだったな。
デビュー当時の長瀬智也くんもそうだし、平野紫耀くんもそうだけれど、世の中にはあからさまにわかりやすい才能というのがある。誰が見てもわかるわかりやすい才能。10代の頃の宇佐美貴史なんかもそうだったのかもしれない。君はその道に行くよね、という才能。
こういう人は、人生を迷うことが無い。進路に迷うという概念が無い。ある意味、可哀想でもある。道を固定化されるから。個人の才能ではなくて、家系で縛り付けられる人もいると思う。二世政治家とか。
輝きすぎる才能は、その人の人生を固定化する。その道に縛り付けてしまう。脳ある鷹は爪を隠すっていうけれど、「脳がありすぎる鷹は爪を隠しきれない」というのが私の意見だ。世間がその才能を放置しておかない。やめさせない。
自分を必要としてくれている人がいる。
それは、人間にとって喜びだと思う。それと同時に、自分の才能を見つけるための道しるべだ。
こんな私にも、「自分の中に、何か秘めたる才能があって、それがまだ見つけられずにいるだけでは無いか・・・・・私の才能が爆発する領域があるはずでは無いか・・・・」みたいなことを思っていたことがあった。もしあの時に、ゲーテと対話をしていたら、考えをすぐさま改めていたに違いない。
天才を見てないから、そうなる・・・と。
曲がりなりにも、自分は人から求められている、という実感は生きている中であった。でもそれは、所詮、「労働力」としてだ。本当の才能というのは、求められ方が違う。大谷翔平にかけられるオファーのように。ジャニーさんに「YOU、残っちゃいなよ」と言われるように。歩いているだけで男どもがワラワラとナンパしてくるように。ハイスペック男子が列をなして求婚してくるように。
#2:教育が無い
才能がある人間ですら教育を受けなければならないのに、才能が無い人間なら尚更教育を受けなければならない。・・・・・でも無いと、どんどん卑屈な大人になっていってしまう。世界が狭まり、自分の可能性を信じられなくなり、人を嫉妬するだけの手抜き人間になる。努力をしない人間になる。
「努力しても報われないんでしょ」
という若いうちのひねくれの背後には、自分の才能に対する一筋の望みがある。
アラサーやオーバー35女子の結婚相手に求める条件が「暴力を振るわない」「ギャンブルをしない」と控えめになったりするように、人がどんな期待・希望を持つかはフェーズによってだいぶ違うのだけれど、「努力」に対していちいち報われる・報われないを考えているうちは、浅いと思う。まだ、余裕や奢りがあるんだと思う。
ゲーテは言う。
「生来の資質を矯正しなければ教育など何の意味がある」
それです、それ。先生。本を買いながら、いちいち批判コメントとか書いていたら、きっと、ダメな大人になるような気がして怖すぎるから。あとあと、自分が苦しむ羽目になりそうだから。だから、中身を知らないまま、Amazonでポチりまくる。
学んでいる間、その価値と意義が現在進行形で理解できると考えるのは、消費行動としては満足度が高いかもしれないけれど、教育としてはどうだろうと思う。受けている時に、あまり意義が感じられないものほど、あとあと大きな意義が感じられたりする。それってつまり、人生が変わったってことだ。
#3:振り切らない
やっぱり、一番ダメなのは振り切らないことだと思う。
「家族がお金を出してくれたから、この仕事は辞められなくて。」って言っている看護士さんを見たことがある。すごく家族を気にしている感じ?
最近、ママ活の取材映像を見たけれど、アレも看護士さんだったなぁ。一生食っていけそうな仕事、資格、結婚、産休、転勤とか色々考えて、この高齢化社会でその道を選び、現場に飛び込んで、安定したそれなりの給料をもらいながら、その先で、
あれ、私何してるんだろう
って思いやすいのかもしれない。保守的・現実的な選択として、めちゃめちゃ立派だけれど、自分が自立して食っていく分には全然困らない稼ぎを得ながら、「人生やり直すならこの道は絶対選ばない」と言っている人たちを何名も見たことがある。そして、これと同じような状況・感想を持っている男子としては、地方公務員とか。
私みたいな両極端な男から言わせると、エッジが立たない選択は後悔する確率が高いと思う。
小さく縮こまって生きていきたいのなら、10年ものの国債を買うかのごとく、公務員試験をパスして、さっさと職場でふさわしい相手を見つけ、ドピュっと中に出して、家でも買えば良い。もし逆に張るんだったら、思い切って勝負した方が良い。どうせ死ぬんだから。
生きててつまらないってことは、
- お金
- 仕事
- 人間関係
とかで縛られている可能性が高い。だけど、親戚や友人一同にいい顔しておきながら、自由にやりたいし、やりたいことは全部やりたいし、時間も欲しいし、結婚もしたいし・・・・みたいなことを言っていると一歩が踏み出せないかもしれない。あのホリエモンですら、著書で、まずはバランスを崩せみたいな話をしている。
お金も命も使うものだろう。そして、「使う命」と書いて、「使命」と呼ぶ。
例えばだけれど、財布を長財布にして、ピン札だけを集めて、毎日お札を丁寧にクリーニングしていたらどうだろう。硬貨をクリーニングしていたらどうだろう。愛着が湧きすぎて、丁寧に手間暇かけすぎて、使えないと思わないだろうか?手放せないと思わないだろうか?
昔、これが行きすぎて、金貨だった時代には悪貨が流通するようになった。それを「悪貨は良貨を駆逐する」と言ったりした。
お金も命も大事にしすぎると、本末転倒なことになってしまう。
何のためのお金か、何のための命かわからなくなっている人がゴマンといるのである。
あいみょんの歌に、サビで、「死ねええええええええええええええええ」と言う曲があるんだけれど、本当に気持ちいい。
あいみょんの「死ねええええええ」という言葉を聞いたら、スカッとする。
スイスに行けば、安楽死ができる。
アメリカのウォルマートに行けば、銃が買える。これで死ねる。
そうやって、死を意識した時、はじめて、視座が「人生・生き方」にシフトするし、死を意識するからこそ「生きる」とか「生きたい」という意欲が湧いてきたりする。不思議だね。
人生に迷っている人の話を聞くと、「あれ、もう詰んでるよね?死んでるよね?このままだと実質的に死んでる状態だよね?だったら振り切ったらどうだろうか」と突っ込みたくなることがある。もちろん、言わない。でも、その言葉は、自分で自分だけにかけてあげている。結局、私も、「これじゃ死んでるのと同じ」という基準値が高くて、自分が「生きてる」を実感するために、金も命も使おうと思って生きてきた。そしたら、生の躍動を感じられる毎日にシフトすることができた。
神戸で夜景を見ながら、「生きてる!!!」ってね。
人間は、過去に命の扱いを粗末にした。その反動で、命を大事にすぎる世の中になった。「恥ずかしながら帰って参りました!」でお馴染みの小野寺少尉は、現代の日本について、とても豊かになったけれども、明日生きるか死ぬかの状況の中で強く生きていた時代と比べて、逆に命や人生を粗末にするようになってしまった気がすると言っていた。
マジで、そう思う。
酸素吸うために生きてるんじゃねぇ。水分を取るために生きてるんじゃねぇ。俺は俺なりに、生の実感を感じるために生きてるんだ。
#4:思いやり
人間関係で人が苦労するのは、クソみたいな奴と関わらないといけないから・・・だとみんな思っている。
これは正解でもあるんだけれど、本当に人間関係で苦労するのは、「いい奴」との付き合い。お世話になった奴だとか、守らないといけない奴だとか、お返ししないといけない奴だとか、そういうもの。つまり、親とか、家族とか、妻とか、彼女とか、彼氏とか、親友とか、仕事の上司とか、先輩とかそういうものだ。
クソみたいな奴で疲弊すると思ったら大間違いだ。
わかりやすい敵、わかりやすくムカつく奴、バカ、関わる価値が無い人間、嫌いな相手は排除すれば良い。切れば良い。シカトすれば良い。ブラインドアウトしておけば良いんだよね。それで終わりだ。最悪、こっちから逃げてしまえば良い。
・・・・・・・でも、一番難しいのは、自分が思いやりを示す相手だ。感謝や、愛情や、義理を感じる相手だ。
人々を見ていて思うけれど、信義誠実、義理、思いやり、優しさで苦しんでいるように見える。だから、「嫌われる勇気」なんて本が流行るんだ。
生きている限り、人間との関わりは避けられない。
ルールなるものは、2人以上の人間がいる空間でしか、必要性が認識されない。だから、どんな集団にも、コミュニティにも、そういうものがあるんだ。校則とか、社内規定とか、法律とか、条約とか・・・・。
「人とどう繋がるのか?」
これは、生き方とか死に方を考える上で、大事な視点かもしれない。
PS.
結局チキンで才能無しな私は、自己啓発本を真に受けて、起業程度のチャレンジをする人生を選択してしまった。そして、十二分に満足している。
個人的に信奉している自己投資の哲学は、実は、出会いのための哲学でもあるんだ。
もし、結婚にせよ、就活にせよ、転職にせよ、人生において「大きなターニングポイントとなる、リミットがある、後世に影響を及ぼす」というものの選択と決断について考えるならば、例えば20歳から検討を始めて30歳までに落ち着きたいとした場合に、数学的には24歳までは決断を焦らずにスルーするのが正解だ。そして、その後にやってきた選択肢の中で、過去に見てきたものの中で暫定1位を超えるものと結ばれる方が一番良い選択になる。これは仕事を決めるにあたっても、結婚するにあたってもそうだ。ただし、これには前提がある。
自分の価値が下落しないこと、および上昇しないことだ。
つまり、自分が一定である限り、人生の物語は、ある程度の時間が過ぎれば終わってしまう。
自分を成長させない限り、時間の経過の前には無力になる。そして、タイムリミットがやってくる。タイミングを間違えれば、人生は終わってしまう。最悪のシナリオを歩んでしまうことになるかもしれない。そしてそもそも、その人はタイムオーバーになっている可能性があるんだ。
自己投資の哲学は何のためだ?
未来に希望を持つためだ。
出会いのためだ。
物語を終わらせないためだ。
もし、自分を成長させない選択を取るならば、あとはタイミングの問題、時間の問題になる。最適な時期までに、最適なことを選び、最適に逃げ切る。これが全てになってくる。もちろん、手遅れの現象に関しては、どうしようもない。
オチンチンは何歳まで勃つのか?
髪の黒さは何歳まで保てるのか?
肌のツヤは?
体力は何歳まで?
健康リスクは?
確実に、時の流れに抗えないもの、ピークアウトするもの、賞味期限があるものはある。それらを洗い出して、将来はどうなっていくかについて想像力を巡らせながら、人生を考えていく。
ただ単に、お金を増やしたいとか、事業を大きくしたいのであれば、孫正義の50年計画のように、50年という時間のまとまりをそのままで捉えても良いかもしれない。でも、人間である私たちが生きる以上、時間は単なるクオンティティでは無い。クオリティを追求していかなければならない。
PS
さぁ。今日も私は、自由を謳歌してくる。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。