「変な男と結婚するより独身が幸せ」は論点が違う。結婚は幸せになるためにするものではない。

 

そもそも幸せな人は、結婚する前から幸せである。

幸せな人が結婚するから幸せなのだ。

不幸な人が結婚に幸せを求めても、その後に幸せはないことが多い。

 

つまり、「変な男と結婚するより独身が幸せ」は論点が違う。

そもそも、結婚は幸せになるためにするものではない。

 

では、結婚は何のためにあるのだろうか。

 

はっきり言ってしまうと、これは、

見栄のため

である。

そしてこの見栄が大きいのだ。

 

高学歴は低学歴をほぼ確実に見下す。

同様に、既婚者は独身をほぼ確実に見下す。

 

独身で暇なくせにそのパフォーマンスか?とマウントする。

あるいは、結婚を後悔している人が、「お前も苦労しろや」という呪いで見てくる。「私たちが育てた次世代に、お前たちは迷惑かけるんでしょ?自分の子供を作らず?」という目で見てくる。

 

多くの凡人にとって、凡人にもかかわらず、無難に家庭を形成して、20年間子育てを完了するのに最適なのは、社畜である。

社畜生活では、「大して才能のない人たち」が集まり、切磋琢磨し、競争し、協力し合う。

その世界では、

  • エクセルのショートカットキーをいくつ覚えたか
  • ビール瓶のラベルの方を上にして注いだか
  • 名刺の渡し方がエレガントか

というくだらない競争が繰り広げられる。

似たもの同士の争いとなると必ずそうである。

 

そこは、「人を見る目がない人間たちが、あたかも人を見て判断できる」という前提で運営されており、そこにはバイアスがたくさんある。

だから、

独身のあの人はマネジメントができないのではないか?

という偏見は普通にあるし、

うーわ、あの人、30過ぎて独身だよ!ババアいじりすると、ちょっとムキになって怒るところとかなんか感じ悪いな!

というかなり意地悪な見方をされることもあるっちゃあるのである。

 

考えてみてほしい。

いつか自分も結婚できるだろう、とか出世するだろう、と未来に希望を抱いているピチピチの22歳が、32歳の会社の人を見て、その人が独身だったら?

そして、別の30歳の幸せ結婚してる人がいたら?

一方は自分のため、趣味のため、楽な人生のために生きてる。

もう一方は家族のために「全てを捧げる、死ねる覚悟で生きてる」。どっちがまともな大人に見えるだろうか?

 

言い方を変えれば、

独身でも、キャラが立ってるとか、

芸事に通じている、一芸があるとか、

そもそも周りが独身だらけとか、

会社の評価システムがまともとか、

会社の内部にいる人材がまともでプライベートを一切探ってこない、、、とかであれば、話は別だろう。

 

しかし、社会一般を考えてみてほしい。

 

学歴は?

卒業大学は?

既婚ですか?

子供はいますか?

年収はいくらですか?

 

これらに対して、いくらハラスメントだなんだはしゃいでも、

銀行の審査、クレカの審査、賃貸の審査、市役所の手続き、

どこに行っても付き纏うのである。

 

それで信用評価スコアリングされてる現実がある。これはずっと変わらない。この先も変わらない。

 

社会は次世代がいないと回らないので、

次世代を産み育てる人たちが正義で、

そうじゃない人は邪道とする構図は一生変わらない。

この先変わるはずがない。

 

 

見栄というのはそういうことなのである。

 

 

要するに、

結婚していないと生きにくくなる

ということである。

 

 

そもそも、歳を重ねた人間が、自分のために稼ぐで頑張れるのか。

頑張れるとして、使い道はあるのか。

いい歳こいた大人はどこで誰と遊ぶのか。

 

そういう問題が出てくる。

 

さらには、結婚してる人の方が、ダブルインカムがあったり、手続き的に有利だったり、孤独死を避けられたり、病気の時に助け合えたり、まぁ、とにかく色々ある。

周りの友人が結婚していく。

自分の祖父母は死んでいくのだ。

 

 

大事なことを言おう。

繰り返そう。

 

結婚して幸せになれるとか、

変な人と結婚するより独身が幸せとか、

それは論点が違う。

 

そもそもそういうものじゃない。

 

また、一生涯独身の人と、一度結婚して子供を産み、別れた人では、質が違う。

 

 

 

だからと言って、

結婚した方が良い

という話ではない。

 

結婚は、極めて、就職と似ているのだ。

就職しない生き方もあるだろう。

 

フリーランス、起業もあるだろう。

親から財産を受け継ぐ人、宝くじを当てる人、資産運用に成功する人もいるだろう。

 

ただ、実社会の大半は、就活に絡め取られ、サラリーマン社会でいき、その中で家庭を作り、生きがいを作り、回っている。

こういう連中が大勢なのだ。

こういう連中によって、社会が回され、彼らの価値観が社会を作ってるのもまた事実なのだ。

 

ということは、その世界の中で、

「独身を貫く!」

と言っていても、生きづらいのである。

生きづらさはある程度あるのだ。

 

 

 

この結婚というものに対する見方は、

自分の価値が下がってきたことを自認すること

が無いと変わらない。

 

自分の価値が下がり、この先も下がっていく。

老人に向かっていく。

社会的にゴミになっていく。

 

そういう前提の変化がないと変わらない。

 

変な人と結婚するより独身が幸せで楽

というのはごもっともだが、

一方で「独身老人」の道へと進んでいくことになる。

それに対応するほどのスペシャリティはあるのか、バックアップはあるのか。

普通の人間だらけの社会で踊る普通の凡人として、浮かずにやっていけるか。

偏見に戦えるか。

 

いわば、既婚と独身であれば、勇気ある選択は、独身の方なのである。

そちらの方が逆風が多いことは間違いない。

 

そっちの方が楽だから、そうならざるを得ないから、そう感じてその道に舵を切っているのかもしれない。

もしかしたら、本当にそうかもしれない。

そういう天性、適性かもしれない。

 

 

独身という生き方は、社会における”正解”のレールを外れることであり、

それはすなわち、

「世間から正当性を認められなくても、自分で自分を認め続ける」

という自己評価の構造を持っていなければならない。

就職しない人が「社会的地位」を放棄する代わりに、自分の中に独自の経済圏や思想を築くように、

結婚しない人も「世間的承認」や「形式的幸福感」を捨てる代わりに、別の何かを見つけなければいけない。

問題は、「その別の何か」が、見つからないまま歳をとることである。

20代の独身は「自由人」「クリエイティブ」「モテそう」で済むが、

40代になった独身は、「売れ残り」「孤独」「人間的欠陥」とみなされがちである。

もちろん、そうでない独身もいる。

だが、それは明確に、「例外」である。

そして、「例外」で生きるには、常に問われる。

「あなたは、なぜその道を選んだのですか?」

「あなたには、それに代わる価値がありますか?」

それに耐えられるだけの精神力、実力、成果、矜持が求められる。

結婚しないことは普通の選択だった、というスタンスは通じない。

結婚が普通であり、

独身は「異常選択」として見られ続ける。

そして、「なぜ?」という問いは、必ず、向けられる。

明示的にも、暗黙的にも。

必ずそう見られる。

普通の人として扱ってもらえることはない。

結婚というのは、共同体の中で評価される「わかりやすい誠実さ」「堅実さ」「普通さ」を体現するシステムである。

独身というのは、「わかりにくい生き方」「他人に理解されにくい価値観」「不可視の自由」の中で生きていく挑戦である。

では、どちらがいいのか?

これは完全に、「人生において、何を重視するか」で決まる。

人に理解されることが大事なら、結婚した方がいい。

共同体に評価されたいなら、結婚した方がいい。

制度の中で有利に生きたいなら、結婚した方がいい。

しかし、

人にどう思われようが関係ない。

制度に乗らなくてもいい。

自分のリズム、自分の世界、自分の孤独と共に歩いていける。

――そういう人であれば、結婚に頼る必要はない。

むしろ、結婚によって得られる「安定」や「世間的承認」が、毒になることすらある。

大事なのは、「結婚するかしないか」ではない。

どちらの道でも、「自分の人生に責任を取れるかどうか」だけが問われている。

それができない人間が、結婚しても、独身でも、不幸になる。

繰り返す。

幸せな人は、結婚する前から幸せである。

不幸な人は、結婚しても不幸である。

――だから、まず問うべきは、結婚の是非ではない。

「あなたは、自分の人生に対して、どれほどの覚悟を持っているか?」である。

その覚悟さえあれば、

結婚してもしなくても、人生は、まぁまぁ楽しくなるようにできている。

そして、その覚悟がない限り、

どちらの道を選んでも、誰かのせいにし続けることになるのだ。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。