そのロケットは、発射一秒後には壊れていた。

1986年1月28日、午前11時38分。

フロリダ州ケネディ宇宙センターで、一本の宇宙船が轟音とともに空へ上がった。

機体の名前は、スペースシャトル・チャレンジャー。

機内には七人が乗っていた。そのうちの一人、クリスタ・マコーリフは宇宙飛行士ではない。ニューハンプシャー州の高校教師だった。

「宇宙授業」を行う最初の教師として選ばれた彼女の打ち上げを見るため、全米の学校で子供たちがテレビを見ていた。

発射は成功したように見えた。

機体は白い煙を引きながら上昇する。

管制官が速度を読み上げる。

チャレンジャーから、応答が返ってくる。

だが、地上に設置された高速度カメラには、肉眼では見えないものが映っていた。

発射から一秒にも満たない時点。

右側の固体ロケットブースターの継ぎ目から、黒い煙が噴き出していた。

煙は断続的に現れ、発射から約三秒後に見えなくなった。

その後、何も起きない。

十秒。

二十秒。

三十秒。

チャレンジャーは飛び続ける。

黒煙が消えたのだから、異常は収まったように見える。

ところが、発射から約58秒後、右側のブースターから炎が噴き出した。

炎は、隣にある巨大な外部燃料タンクへ吹きつけられた。

約73秒後。

青空を上昇していたチャレンジャーは、巨大な白い雲に包まれた。

二本のロケットブースターだけが、白い雲から別々の方向へ飛び出していく。

チャレンジャーからの通信は途絶えた。

七人全員が死亡した。

発射から、わずか73秒だった。NASAの事故記録によれば、外部燃料タンクが破壊され、機体は激しい空力荷重によって分解した。

しかし、チャレンジャーが壊れ始めたのは、73秒後ではない。

発射から一秒にも満たない時点である。

では、なぜ壊れた宇宙船が、さらに七十秒以上も飛び続けたのか。

事故調査委員会は、海から回収された機体の破片と、打ち上げ時の映像を調べた。

調査対象は膨大だった。

メインエンジンかもしれない。

燃料タンクかもしれない。

機体へ付着していた氷かもしれない。

コンピューター、配管、接続部、発射台、積み荷。宇宙船は数百万個の部品で構成されている。

ところが、七人の命を奪った部品は、複雑な電子機器ではなかった。

ゴム製の輪だった。

Oリングと呼ばれる、黒いゴムのパッキンである。

チャレンジャーの両脇には、固体燃料を詰めた巨大なロケットブースターが取り付けられていた。ブースターは複数の筒を現地で接続して作られる。

その継ぎ目から、高温・高圧の燃焼ガスが漏れないようにする。

その役割を担っていたのが、Oリングだった。

ロケットへ点火すると、内部の圧力によって金属の継ぎ目がわずかに動く。Oリングは、その動きに素早く追従し、隙間を塞がなければならない。

だが、打ち上げ当日のフロリダは異常に寒かった。

調査では、問題となったOリングの温度は華氏28度、摂氏でおよそマイナス2度と推定された。

ゴムは、冷えると硬くなる。

押しつぶされたあと、元の形へ戻る速度も遅くなる。

点火の瞬間、Oリングは動く金属へ追従できなかった。

できた隙間を、高温の燃焼ガスが通過した。

それが、発射直後に映っていた黒煙の正体だった。

ところが数秒後、黒煙は消えた。

偶然、燃焼によって生じた酸化アルミニウムなどの物質が隙間へ詰まり、一時的な栓になった可能性がある。

壊れた部分が、自分の燃えかすによって塞がれた。

チャレンジャーは治ったのではない。

傷口に、たまたま血の塊ができただけだった。

約37秒後から、機体は上空の激しい風に遭遇した。

機体を安定させるため、制御システムが姿勢を細かく修正する。継ぎ目には新たな力が加わる。

約58秒後、脆い栓が壊れた。

再び燃焼ガスが漏れ、今度は炎となって外部燃料タンクへ噴きつけられた。

発射直後から始まっていた故障が、73秒後にようやく人間の目に見える大きさになったのである。事故調査委員会は、右側ブースターの継ぎ目とシールの破壊が事故原因だったと結論づけた。

委員会に参加した物理学者リチャード・ファインマンは、公聴会にOリングの素材と同じゴム片を持ち込んだ。

ゴム片を金具で押しつぶし、氷水へ入れる。

しばらくして金具を外す。

ゴムは、すぐに元の形へ戻らなかった。

世界最高峰の科学者が集まるNASAの事故原因は、コップ一杯の氷水で再現できた。

ここまで聞くと、事故の構図は単純に見える。

NASAは、寒さでゴムが硬くなることを知らなかった。

だから打ち上げた。

だが、調査を進めると、この説明は崩れる。

NASAは、知っていた。

より正確に言えば、ロケットブースターを製造したモートン・サイオコール社の技術者たちは、打ち上げ前夜に警告していた。

1月27日夜。

NASAとサイオコール社は、電話会議を開いた。

翌朝の気温が、過去の打ち上げより低くなると予想されていたからだ。

技術者たちは、寒さによってOリングの動きが鈍くなることを懸念した。

過去最も寒い条件で打ち上げたときにも、Oリング周辺に深刻な損傷が確認されていた。

サイオコール社は当初、打ち上げを延期するよう勧告した。

華氏53度より低い条件では、打ち上げるべきではない。

翌朝は、それを大きく下回る。

NASA側は、判断の根拠となるデータを求めた。

低温ほど危険だという傾向は理解できる。

しかし、手元の飛行データは少ない。何度以下なら必ず壊れるのか。今回の温度で事故が起きると証明できるのか。

技術者たちは、証明できなかった。

宇宙船を、その温度で打ち上げた経験自体がないからである。

サイオコール社の幹部たちは、NASAとの電話を一度切り、社内で協議した。

技術担当副社長のボブ・ランドは、打ち上げに反対した。

そのとき、上級幹部から、後に有名になる言葉を投げかけられた。

「エンジニアの帽子を脱いで、経営者の帽子をかぶれ」

協議後、会社は判断を変更した。

打ち上げを推奨する。

NASAへ、承認文書が送られた。事故調査委員会の証言記録には、技術者側が「安全でないことを絶対的に証明できなかった」ため、判断が反転していった経緯が残っている。

これで犯人が見つかったように思える。

経営者が、技術者の警告を無視した。

打ち上げ日程を優先した。

その結果、事故が起きた。

しかし、この説明でも、まだ足りない。

NASAもサイオコール社も、素人ではない。

彼らはすでに、二十四回のスペースシャトル打ち上げを成功させていた。

巨大なロケットを宇宙へ送り、人間を地球へ帰還させてきた人々である。

なぜ、彼らはゴムの損傷という、わかりやすい危険を受け入れたのか。

答えは、過去の打ち上げにあった。

Oリングの損傷は、チャレンジャーで初めて起きたのではない。

以前の飛行でも、Oリングの浸食、熱による損傷、Oリングの後ろ側へ煤が回り込む「ブローバイ」が確認されていた。

本来なら、高温ガスを完全に遮断すべき場所である。

そこに煤があるということは、ガスが入り込んだ証拠だった。

だが、その宇宙船は無事に帰ってきた。

別の飛行でもOリングが傷ついた。

その宇宙船も帰ってきた。

さらに別の飛行でも異常が出た。

やはり事故は起きなかった。

最初は「設計上、起きてはならない異常」だったものが、無事故の飛行を重ねるたびに「過去にも起きたが問題にならなかった現象」へ変わっていく。

異常が改善されたのではない。

異常の呼び方が改善された。

NASAの内部でOリングは、危険な欠陥から、「飛行経験の範囲内にある事象」へ変わっていった。

技術者が警告しても、管理者には別の記録が見える。

二十四回の成功である。

前回も傷ついた。

しかし飛べた。

今回も、おそらく飛べる。

事故を防げなかったのは、経験がなかったからではない。

危険な状態で無事に帰ってきた経験が、豊富にあったからである。

ここに、経験というものの気味の悪い性質がある。

壊れかけた機械を動かして、何も起きなかったとする。

二つの解釈ができる。

一つは、その状態でも安全だった。

もう一つは、今回は残っていた余裕と偶然に救われた。

外から見える結果は、どちらも「無事故」である。

安全性が証明されたのか。

安全余裕を一回分使ったのか。

結果だけでは区別できない。

チャレンジャーの過去二十四回の成功にも、安全の証拠と、消費された幸運が混ざっていた。

だが、人間は成功を一つの箱に入れる。

予定どおり飛んだ。

予定どおり帰ってきた。

ならば、この方法は正しい。

異常が起きるたびに無事だった経験は、警告を強化しない。

むしろ警告する人間の立場を弱くする。

「あのときも危険だと言ったが、結局何も起きなかった」

これが積み重なると、慎重な人間は臆病者に見え、危険を通した人間が現実を知る経験者に見えてくる。

そして、ここにはもう一つ、人間が認めたくない心理がある。

Oリングは危険だと認めることは、翌日の打ち上げを止めるだけではない。

過去の成功の意味まで変えてしまう。

自分たちは優れた判断によって二十四回成功したのではなく、欠陥を抱えたまま二十四回助かっただけかもしれない。

実力だと思っていたものの一部が、運だったことになる。

経験だと思っていたものが、見逃しだったことになる。

表彰されてきた判断が、まだ事故になっていない過失へ変わる。

人が警告を拒絶するのは、未来の予定を守りたいからだけではない。

過去の自分を、有能な人間のまま保存したいからである。

警告は、これから起きる事故について語っているように見える。

実際には、これまでの人生に対する再審請求でもある。

だから、成功してきた人間ほど止まれない。

成功回数が増えるほど、自分の判断を疑ったときに失う物語が大きくなるからだ。

会社でも、人生でも同じことが起きる。

社員が体調を崩すほど残業している。

だが、これまで納期には間に合ってきた。

一人の顧客に売上を依存している。

だが、何年も契約は続いている。

貯金を取り崩しながら事業を続けている。

だが、これまでも何度か危機を越えてきた。

問題がないのではない。

問題を抱えたまま生還した記録が増えている。

生還回数が増えるほど、人はそれを安全実績と呼び始める。

しかし、昨日渡れたひび割れた橋が、今日さらに頑丈になっているとは限らない。

昨日一回分の荷重を受けて、残っていた余裕が減っているかもしれない。

経験とは、安全だったことの記録ではない。

まだ死ななかったことの記録でもある。

1986年1月28日、チャレンジャーのOリングは、突然初めて傷ついたのではない。

以前から何度も傷ついていた。

そして、そのたびに事故が起きなかった。

だから打ち上げられた。

チャレンジャーを破壊したのは、一度の失敗ではない。

失敗にならなかった、過去の小さな異常だった。

事故は、異常を見落とした日に始まるのではない。

異常を「経験」と呼び始めた日に、すでに始まっている。

 

 

PS.

問題は根本から見ないとね。

 

君は、「問題解決の本質」と、「統合構造理論」のどっちにする?


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。