https://news.yahoo.co.jp/pickup/6330494
45歳以上をバサバサと切ってきてるのであれば、45歳以上の人たちと、若い世代や、「旧来の行き方をしたくない人たち」を新しい産業の振興に回して、そこで豊かな経済圏を作ればよろしい。
これからの時代は厳しくなるから、定年退職後も働きましょう、みたいなのなんて、うざいでしょ。
働きたく無いでしょ。ふつーに。
みんな引退したいでしょ?
いつまでも元気に働けとかうざいでしょ。
引退すべき。
まったりと暮らせるようにすべき。
でも、それを社会保障とかでやるのがNG。
自然な経済メカニズムの中でやるべき。
冷静に考えて、歳をとっても働かないといけない経済なんて、失敗してるでしょ。社会設計失敗してるんですよ。
歳寄りが若者に勝てるのって何よ?知力、体力、厳しいでしょ。
西園寺さんですら、老化を感じてますよ。23歳で老化を悟りましたからね、私は。
昔、アメリカで起こった「フェミニズムの失敗」と同じものを感じる。
すなわち、女性には「自然のメカニズム」として、妊娠・出産・育児に最適化された身体構造があり、どうしても、子を残すために特定の期間は機能不全になる、それをオスが支えるというのが自然のメカニズムだけれども、これをベースに形成された社会文化に反発して、「女性の自立」というのを、企業の営利上の目的もあって煽られたフェミニズムマーケティングに乗せられた女性たちが暴れて、結果、どうなったかというと自分たちが苦しむ羽目になった。
老人問題もそう。
老人が必死に働いてどうする。老人は、蓄積した知識資本や金などをうまく若者に回して、若者が盛り上がる産業を作って、そしてその果実を共有して養うという構造を作らないと、結局、苦しい。
中途半端に、若者と年寄りがいがみあって、限られたパイを奪い合っていても苦しい。
年寄りが引退しないと、活気が生まれない。
伸びる産業には年寄りがいないという法則がある。
なぜなら、若者は怖いもの知らずで頭から突っ込むから。リスクテイクするから。年寄りはどうしても保守的になる。本来は、その「挑戦的」と「保守的・理知的」がうまいことバランスを組んではじめて良い感じに機能するはずなのに。
それが無い。
結局、
- 年寄りは旧来の構造にしがみつこうとする
- 若い世代も旧来の構造にしがみつこうとする
という結果、厳しい現象が散見されるようになってる。
違う違う。
新しい産業を勃興しなきゃ。
今の日本の「高学歴」も、明治レジームであって、明治といえば、
「西洋文明に熟達した人たちが、西洋を必死にキャッチアップするために、そのための教育機関を設置して、全国的に富国強兵に励む」
というスタイルであって、その名残をガッツリと受け継ぐ現行の教育体制とヒエラルキーは、全くもって、今の日本の時代に即してないわけ。
ロスジェネ勝ち組は、団塊世代・バブル世代に敵対し、同年代の負け組層とは線を引いているであろう。これらが、10年後、20年後に日本の大企業のトップを張るようになったとき、彼らの厳しい基準が全社的に適用されて、日本の企業はまたマッチョなスタイルになっていくと思う。そして、若い世代の上澄みの方は相変わらず、レガシーなキャリアを選んでいくと思うのだよね。
そういう意味で、「旧来的サラリーマン」はある種の憧れというか、珍種というか、過去の生き残りみたいになる。選りすぐりの人がそれを選択すると思う。それを西園寺は「キャリアA」と呼んでいるのだよ。
私は、たいていの人は、キャリアAをさっさと降りるべきだと思う。
- 学校
- 学歴
- 就活
- 職業
に関する、旧来の価値観やスタイルを援用するのがキャリアA。
必死に、多くのボリュームゾーンの人間が、キャリアAに向かおうとするから、高額な大学の学費とかで苦しむ。下層の人間も、本来行くべきじゃ無いキャリアコースに殺到している。歪みが生まれまくってる。奨学金とかもそう。もともと、Fランとかももう、時代に即してないでしょ。今の時代、大学に行かなくて良いというのは真実だよ。キャリアAの人を除いてね。
- サラリーマン
- 資格
は難しくなってる。宅建も、日商簿記も、行政書士も、年々難易度が上がってきている。士業全般もそう。これらはテクノロジーに代替されながらも、選りすぐりの人たちが残っていくことになると思う。
これらの旧来コースは、オワコンで、「上位層」じゃないとかなり厳しいはず。
いち早くキャリアBに向かうこと。これをキャリアダウンと捉えている人たちが多いから、失敗する。過去、どのような新興産業も「最初は見下されてた・卑しい職業だと思われていた」ということをまず理解しなきゃ。芸能人も、プロ野球選手もそうだよ。ネットビジネス系・youtuber系もそうだけれども、キャリアAで道半ばの人たちが「落ちぶれた世界」とバカにしているから、そういう人たちはいつのまにか行き詰まりになってしまうのだよ。
旧来のコースで、会社で役員・社長まで行けるかどうかなんて、30歳ぐらいまでに何となく目処がつくでしょう。
この本では、「役員室に行けるようなサラリーマン以外は、老後の企業年金が無いことや生活資金、食い扶持が無いことに気づいて自殺に追い込まれる」みたいな話がされているのだけれども、経済情勢、人口動態、企業の財政状態、こういうものを仕事として計算している人たちにとっては自明の理なのだよ。
政治でどうこうできる問題だとも思わない。
キャリアBをいかに開拓できるか、だと思う。
そして、やるなら早い方が良い。
自己投資は若ければ若いほど、回収期間が長いためにその期間でリスク分散できる。「早ければ早いほど、リスク対策になる」というのは真実。若いうちに失うものは無い。若い時ほど、人間は自分の人生をひどく思い、自分の「華々しい将来や可能性、期待」を重く捉えて、萎縮してリスクが取れなかったりする。
でも、可能性は所詮可能性でしかない。期待は期待でしかない。
しかし、現実に歳をとると、「現実」として蓄積したものが手元にある。それは重荷になる。手枷、足枷になる。現実として、失うものが出てくる。でも、若いうちは失うものは無い。それは所詮、見込みでしかない。期待でしかない。先行き不透明の場合は、なおさら怪しくなる。
45歳とかならまだ若い。
45歳以上の人たちがYoutuberをやるのも良いかもしれないけれど、むしろ私は、45歳以上の人たちほど私が提唱しているスタイルの方にシフトすべきだと思う。
つまり、インターネットを活用して、何らかの個人ビジネスをリストマーケティングで展開していく。ここには、ビジネスで一番大事な「客」「販路」「営業」という要素がたっぷりと詰まっている。
確実に今変動が起きてるのは、
- メディア
- エンタメ
- 金融
- コンサル
だと思うけれども、これらの領域でやたらと一部の人たちが稼いでいた経済構造を変革させて、多くの人が多様なコンテンツビジネスを展開しながら、融資・投資のネットワークを形成していけば良い。世の中には、どう考えても「常識的に、それは稼ぎすぎだろ!!」という業界があって、それは長い目で見ると本来あるべき姿に収斂されて行く。メディア・エンタメ・金融・コンサルにはそれが襲いかかってる。
1億円稼ぐ人間が一人いた場合、
これを一人で独占させ無い場合、
「年収500万円を20人」生み出すことができる。
単純計算で、19人養える人間を増やせる。
この間にあるトレードオフは、
「社会的に困難・重要性高い・リスク高い・ストレス高い・専門性や高度性がある仕事に人材を割り当てるために、それなりに傾斜的に配分された報酬をPayする必要性(社会利益)」
と、
「平等に報酬を割り当てて多くの人を食わせる必要性(個人利益)」
の間にあるバランスだと言える。
まぁ、簡単にいえば、「医者の年収が500万円なら、誰がやるか」っていう話である。必要な社会的役割にはそれなりにPayしないといけない。そして、そういう難しい世界には勉強費用も、先行投資も、ストレスも、責任もかかる。
- メディア
- エンタメ
- 金融
なんかは、「そもそも、特定の人たちが独占する必要なくね?」という現象がテクノロジーの発達で起こり、報酬が再分配されている過程である。つまり、ガラガラポン。簡単に言えば、編集者の目利きで有能な人材をあぶり出し、それを編集社のバックアップで世間に大々的に売り出すリターンを編集者たちやクリエイターが独占するよりは、市場の目利きで有能な人材を炙り出し、そのまま市場とクリエイターサイドで消費・生産を行い、その市場における消費オプションを増やす形でそのままクリエイティブ産業に従事する人数を増やす(新しい仕事で食える人間を増やす)方が、これから先の社会に合っているということ。
金融ネットワークも同じ。
どうせ、企業が人を養えないのだから、個々人がミニマムなビジネスを作る必要があり、そのミニマムなビジネスをスタートするにあたり、現行の「初期大資本が要らずにネットビジネスできる環境」と「無駄に新参者への融資が厳しい金融業界」は完全にミスマッチングというか、不要と貸してしまっており、優良企業ほどキャッシュフローが健全で金融の世話になる必要がないという非常に皮肉な構造にある。これに対する適正化のメスが入っている。
要するに、
「自分の食い扶持を自分で何とかする人たち」
のネットワークを形成して、そこで、
- 知識
- 金
- スキル
- 労力
などの資本をシェアしていく経済構造・生態系を作り、その中で優秀な層がエスタブリッシュメント相手に大きく売り上げたり、海外に打って出たり、融資を引っ張って大きな博打をすれば良い。もう、ファイナンス・ファンドレイジングが「市民のもの」になれば良い。みんなが市井で、ビジネスを起こし、あるいはそれについて融資・投資し合い・・・・というネットワークが形成できれば良い。そのネットワークの中で、有能な人間が大きな博打に打って出ていけば良い。その際には、必要な人材は招集できる。不動産担保をベースに融資するしかない人間たちではなくて、自分でビジネスやってきた人間のネットワークがあるから、金も、人も、そのネットワークの中でスムーズに調達できる。なぜなら、そのネットワークの中にいるのは、自分で自分の色を出しながら客を集められるビジネス力に長けた人たちであるから。
この中で、恋愛相手も見つければ良いでしょ。キャリアBの
- 学業観
- 職業観
- 恋愛観
- 家庭観
- 教育観
はこの中で刷新されて、新しいものが作られていくことになる。
どうせ、中国とかも異常な少子高齢化に襲われるし、そのほかの国も同様。
そこともネットワークを作りながら、ビジネスを展開していけるでしょ。
多分、コンテンツビジネスはもっと、展開の可能性がある。
世の中の人は気付いていないけれども、個人が作った作品に集客をかけて、課金とかができるようになっている
各々が、オリジナルのコンテンツビジネス
そこで、
西園寺帝国大学
が超高学歴のヒエラルキートップになり、教育・研究機関として諸外国から人間やノウハウをかき集めることができるようになれば、ちょうど、今のアメリカがやっているようなことを日本ができるわけだ。
世界中から、人材も金も吸い集めれば良い。
残念なことに、スーパー奴隷体質の日本は、シリコンバレーの見よう見まねをして、英米の国際戦略である金融ビジネスに流されて貯蓄した資本を証券市場ネットワークを介してアメリカに流し、有能な人材はアメリカの大学に吸い取られて、外資系企業に行き、アメリカの展開するITビジネスにごっそりとやられてそこに乗っかり・・・・
というように、やられてしまっている。だから、いつも結局イニシアチブを取られている。
多分、私が今考えていることを本気でやったら、アメリカに消されると思うけどね。笑
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。